『べらぼう』彫師・四五六の年収20両は現代換算で500〜700万円、大ベストセラー作家・滝沢馬琴の年収は?

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・大河ドラマ『べらぼう』に登場した人物や事象をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく独自に考察。
『べらぼう』第17回「乱れ咲き往来の桜」には、初回以来となる、人間の姿の九郎助稲荷が登場し、かわいらしいファーの尻尾を付けた綾瀬はるかさんの艷姿を見ることができました。その第1回では花魁姿でしたが、今回は町人娘、さらには江戸城のお役人にもなっていましたね。
次回(第18回)からの『べらぼう』は新章に突入するのだとかで、何かの節目には綾瀬さんも登場ということになるのでしょうか。次回からは蔦重(横浜流星さん)が吉原の本屋経営者・編集者から、江戸を代表する出版業者にまで成り上がる姿が描かれていくのでしょう。自分のビジネスに協力してくれる仲間を集め、現代風にいえば本格的な総合出版社を結成していく姿が描かれていくのでしょう。
それでは今回もドラマの中で気になったところをチェックしていこうと思います。
前回のドラマでは浪人から農民にジョブチェンジし、吉原から足抜けさせた元花魁のうつせみ(小野花梨さん)と暮す新之助(井之脇海さん)が、子どもの教育用にと「往来物」を買って帰ろうとする姿が描かれていました。蔦重も「往来物」出版に乗り出そうとしますが、腕がよいと評判の彫師・四五六(肥後克広さん)は蔦重に協力すると、他の版元から仕事をもらえなくなると脅されたとのこと。蔦重は四五六に年20両のサラリーを確約して、彼を耕書堂の専属にしてしまいました。
四五六もまんざらではない様子でしたが、この彫師の年収20両とはどの程度の生活水準を約束するものだったのでしょう?
江戸時代、職人の中でももっとも稼げたのは大工でした。ドラマの時代より少し後の文政年間(1818-31)の大工の平均年収は26両2分くらい(年間294日稼働の場合)。
その他の職人――たとえば畳職人や石切職人といった人々の年収が15両ほどだったので、蔦重が耕書堂専属となった彫師・四五六に約束した20両は、なかなかの金額だったようです。
個人的には江戸時代後期の1両=現代の5~7万円のレートで考えることが多いのですが、それなら年収100万~140万円になってしまうのですね。同様に庶民の中では「高収入」で知られた大工も、年収130万~182万円ということになってしまいます。
しかし、実際は年収26両の大工も長屋の家賃を支払い、妻子を養いながら、特に大病になったり、バクチに狂ったりしなければ、そこそこ貯金もできる生活を送っていたようなので、現在の日本ではその数字を5倍したくらいの年収レベルだったような気はしますね。
つまり年収20両の四五六は、現代なら年収500万~700万円くらい。年収26両ちょっとの大工は650万~910万円くらい……でしょうか。
ちなみに彼ら職人の年収は、江戸に暮らす下級武士よりかなり高い場合もありました。『南総里見八犬伝』などの「ベストセラー」を連発した曲亭馬琴(滝沢馬琴)の父親・興蔵(おきよし)は、1000石(=1000両)取りの松平信成という旗本の屋敷に住み込みで勤める「用人」――わかりやすくいうと家老だったのですが、おそらくその年収は11~12両程度だったと考えられています。
滝沢家は父母と馬琴(本名・興邦、おきくに)、そして兄姉の5人家族でした。母は馬琴の少年時代に早逝、父も酒の飲み過ぎで早死しているので5人家族だった時代のほうが短いとは思いますが、それでも貧しいながらに(ギリギリの)生活はできたようです。
――と考えていくと、一人暮らしの職人で、年収20両の四五六は「贅沢」とまではいかなくても、「プチ贅沢」できたのではないでしょうか……。それこそ吉原にも蔦重の顔で遊びにいけそうですしね(ちなみに「江戸最大のベストセラー作家」曲亭馬琴の最大年収は44両程度。この年収の読み方については日を改めてお話する予定ですが、興味のある方は拙著『日本史 不適切にもほどがある話』をどうぞ)。
歌麿をプロデュースする蔦重の手腕
また、次回予告では蔦重が「先生が書くのは100年先の江戸ですよ」とおそらく恋川春町(岡山天音さん)に伝えているセリフを聞くことができたのですが、これはもともと鱗形屋専属だった作家・恋川春町を蔦重が耕書堂に引き抜き、書かせたと考えられる『無題記』(無益委記)という黄表紙本の話だと思われます。
来週のドラマでも詳しく触れると思うのですが、『無題記』は100年後どころか、本文によると「天皇が三万三千三百三十三代」の時代のお話。はるか未来の江戸が想像で描かれているというSFコメディ(?)なのでした。
とはいえ、今から約250年くらい前の江戸時代の人々が考える「未来予想図」ですから、「髪型も変化している」という予測になると、はるか未来の話なのにまだ「チョンマゲ」をベースとした髪型だったりで、江戸時代の人々の想像力が追いついていない部分が妙に笑えてしまう一冊となっています。
ただ、現在では3月~5月あたりとされる初鰹のシーズンが12月末まで繰り上げられ(気候温暖化の影響?)、値段もカツオ1本880両(1両7万円として計算した場合、6160万円!)になってしまっている――つまり未来では物価がえげつなく上がっているという考察は「正解」といえるかもしれません。
ちなみに現在、ドラマは安永9年(1780年)、その翌年あたりを舞台にしているようです。『無題記』も一説に安永8年(1779年)あるいは天明元年(1781年)の出版だとされています。この手の出版情報の欠落に加え、本には耕書堂のトレードマークである蔦紋はもちろん、恋川春町の署名すら、没落中だった鱗形屋の孫兵衛に配慮して入れられておらず、江戸時代の人間関係も現代以上に煩雑だったことがうかがえます。
また、ここからは版元の不調を背景に、専属だった作家を引き抜くのは不義理な行いで、忌避されていたことも想像されるのでした。それでもやってしまうのが蔦重という男だったのですが……。
また次回(第18回)は「歌麿よ、見徳(みるがとく)は一炊夢(いっすいのゆめ)」と題され、「蔦重(横浜流星)は北川豊章(加藤虎ノ介)の長屋を訪ねると、捨吉(染谷将太)と名乗る男に出会う。その頃、朋誠堂喜三二(尾美としのり)の筆が止まる事態が起こり…」とあるので、蔦重はついに喜多川歌麿との出会い――ドラマでは再会を果たすようですね。史実の歌麿の幼少時代はよくわかっておらず、成人後は見たものをパパッと描ける異能持ちでしたが、人見知りのせいで仕事が限定されていた模様です。
のちに歌麿は蔦重にプロデュースされるがまま、美人絵師、春画師としても名を馳せるのですが、歌麿初の春画集が出版されたのは、彼が数え年・28歳くらいのとき。つまり安永9年(1780年)のことでした。当時の歌麿は「北川豊章」などのペンネームで活動していましたが、鳴かず飛ばずだったようですね。
このあたりの事情を、ドラマでは「他人の絵柄を器用に真似られるが、自分の絵柄がなかったから」と説明しそうな気がするのですが、個人的にも歌麿は当時流行りの絵柄だったスレンダー美女に萌えられず、野暮と思われていたポッチャリ女子が好きなのを隠そうとしていたからではないかな……などと思われます。
それが天明元年(1781年)以降、蔦屋重三郎と同居し、与えられた仕事で「喜多川歌麿」という新ペンネームを名乗り、活躍する中で自分が本当に萌える女性とエロスを描くことができるようになり、ついに天才として開花するわけですね。このへんをドラマではどのように描くのか、楽しみに見守りたいと思います!
(文=堀江宏樹)