『あんぱん』第33回 物語の都合で出し入れされる「愛国精神」と、実在モデルへの不遜の話

嵩(北村匠海)がのぶちゃん(今田美桜)に赤いハンドバッグをプレゼントするシーン。単体としてはよかったと思うんですよ。東京に染まった嵩がその東京の象徴のようなド派手な赤いハンドバッグを買ってくる。今の嵩の「理想の女性像」は銀座を闊歩するモダンガールなわけで、好きな女の子をそんな理想に当てはめたくなる気持ちもよくわかる。
その赤いハンドバッグはとっても美しいから、のぶちゃんが「こんな美しいもん……」と感嘆するのもわかるし、そういえばこの人は軍国主義者だから思い直して突き返す。
「美しいものを美しいと思ってもいけないなんて、そんなのおかしいよ」
嵩のセリフも立っていますし、その言い草には絵描きというバックボーンも乗っています。明確になる対立軸、変わってしまったのぶちゃん、時代に引き裂かれる若い2人。やりたいことはよくわかった。「しゃんしゃん東京へいね」という、のぶちゃんの10数年ぶりのリフレインも技が効いてるね、とは思うんだよ。
でも、ここで2人の思いを引き裂いているのが戦争という時代のように見えて、実はのぶちゃんの気分でしかないのが問題なんです。
なんの思想もなく、ただ「正直すぎるくらい正直で、おもしろい女の子だった」(嵩談)のぶちゃんが愛国精神を宿して、自らを律して戦地に思いを寄せるようになった。その「律しっぷり」といいますか、何を許して何を許さないかのボーダーがのぶちゃんの気分に委ねられているから説得力がない。
昨日、のぶちゃんと嵩の仲直りを「雰囲気にほだされただけ」と書きました。海でみんなでギターで歌って、のぶちゃんは嵩が東京でチャラついた生活を送っていることを許して、仲直りをしている。なぜ許したかが語られていないので、のぶちゃんが日頃どれくらい愛国に傾倒しているかがわからなくなっている。
昨日の海でギターは「こんなことしてる場合じゃない」とはならないのに、赤いハンドバッグは「こんなの買ってる場合じゃない」となる。のぶちゃんのお仕着せの愛国精神が、物語の都合で出し入れされているということです。
「こんな贅沢なもんに使うお金があったら、嵩も戦地の兵隊さんのために献金するべきや」と、のぶちゃんは言います。
確かに、あの赤いハンドバッグは高そうだね。今のお金で2万とか3万とかするのかな。だけどね、移動費だって贅沢なんだよ、のぶちゃん。あんた師範学校に入ってからというもの、たいして用事もないのに毎週末のように御免与に帰ってきてましたよね。そんな贅沢な行動を繰り返すお金があったら、あんたもずっと寮に寝泊まりして、その汽車賃を戦地の兵隊さんのために献金するべきじゃないのかね。これも物語の都合で愛国精神が便利に出し入れされている例だね。
と嫌味を言いつつNHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』第33回、振り返りましょう。
フィクションの礼儀作法
史実としては嵩ことやなせたかし先生と妻の暢さんは社会人になってから出会っていて、『あんぱん』におけるこの時期のお話は完全にフィクションなんですよね。
それ自体は別にいいし、この時期に両思いにさせるわけにはいかないという都合もわかるんだけど、対立を描くために実際にモデルのいる人物に極端な思想を抱かせるという作劇は、いささか不遜な気がしましたね。
足の速い女の子が「先生になる!」と言い出す。師範学校に入学したら、あんまりやる気がない1年を過ごす。身内である豪ちゃん(細田佳央太)が兵隊にとられて愛国に目覚める。その思想に至ったことで、嵩と対立する。
物語がそうしたいなら、そのひとつひとつのプロセスをいかに丁寧に、まるで「実際にそうであったか」のように描くことがモデルとなった人への礼儀作法だと思うんです。架空の人生を創作することが不遜なのではなく、その出来の悪さが結果的に不遜な行為になってしまっている。
どうあれ『あんぱん』を見てたら、やなせ先生の妻の小松暢って人はわけわかんない奴だったんだなと感じてしまいますもん。「フィクションだってわかってるけど、こんな素敵な人だったのかもしれないね」と思わせてやれなかったら、それは作り手として負けだもんね。今んとこ、かなり負けてると感じます。
メイコと千尋のエトセトラ
メイコ(原菜乃華)は健ちゃん(高橋文哉)にめちゃんこ恋をしている。千尋(中沢元紀)にほのかに恋をしている。そういう要素が昨日今日で追加されました。
人が人を好きになるのはとっても自然なことで、そりゃこういうこともあるでしょうけれども、『あんぱん』は主人公ののぶを嵩とストレートに両思いにさせることができないという縛りが存在しているように感じるんですよね。史実として小松暢さんは2度結婚していて、一度目はやなせ先生ではない。そことの整合性なんでしょうけれども、周囲にこんだけ色恋沙汰を散りばめてしまうと、のぶだけが頑なに色恋を語らないことが不自然に見えてしまう。色恋してないのに嵩と付かず離れずの関係を続けさせなければならないという状況が、主人公の感情を窮屈にしてしまってる感じがするんです。
もともと爆発的な感情の持ち主として登場したはずのハチキン娘が、心底からあふれる感情を爆発させることができない。その代わりに、愛国精神、軍国主義の主張を繰り広げるしかない。そういう感じになってるのかな。そりゃ見てる側もテンション上がらんよな。
今日はそんな感じ。明日もがんばって見ます。
(文=どらまっ子AKIちゃん)