『あんぱん』第34回 「変わってしまった」ことで悲劇を生みたいのに「変わる前」がわからない

「一緒に涙を分けてきたがや」と寛先生(竹野内豊)が言って、のぶちゃん(今田美桜)は泣き出してしまいます。ぽろぽろと大粒の涙を流して、とってもきれいですね。とってもきれいという以外に感想がないのです。この人に共感もしないし、理解もできない。なんで泣いてんだっけ? と思ってしまう。
言いたいことはわかります。東京に行った嵩(北村匠海)が変わってしまって、のぶちゃんはハチキンだし気が強い女の子なので、ついつい言い過ぎてしまった。電話で一度言いすぎて、一度は海とギターという情緒的なシチュエーションのおかげもあって仲直りしたけど、今の自分の考え方を否定されてまた言い過ぎてしまった。
「しゃんしゃん東京へいね」なんてひどいことを言ってしまったから、嵩は汽車を一本早めて、黙って東京へ帰ってしまった。
悲しいけれど、寛先生は「今は平行線でもいつか交わる」と言ってくれた。のぶと嵩は「ぶつかり合うて、一緒に涙を分けてきた」のだからと。
えーっとね。いつのどれなのだ。一緒に涙を分け合ったのはどのエピソードなのだ。
思い出すのは、結太郎パパ(加瀬亮)が死んでも泣けなかったのぶちゃんに、嵩が絵を描いてあげたシーン。それと、嵩が高知でママ(松嶋菜々子)に「親戚の子」と呼ばれて帰ってきて、座り込んだ畦道でのぶにあんぱんをもらったシーン。
そのどちらも片方が片方の心の再生に寄与しているという美しいシーンではありましたが、「涙を分けた」というニュアンスではないんですよね。シンプルに画面として「2人で泣いてた」わけじゃないし、畦道のシーンでは嵩はのぶたちを置き去りにして颯爽と町に帰っていきましたから、あのときの嵩を奮い立たせたのはのぶではなくヤム(阿部サダヲ)のあんぱんだったという印象のほうが強い。仮にあの場にのぶがいなくて、行商に出たのぶママ(江口のりこ)に発見されてあんぱんを与えられたとしても、きっと嵩は立ち上がっていたはずです。
「一緒に涙を分けてきた」
声に出して言いたいくらい美しい日本語ではありますが、その言葉を聞いた瞬間に視聴者の頭の中に数々のシーンがフラッシュバックするような、そういうちゃんと意味のこもった言葉ではなかった。意味のこもっていない言葉で主人公に泣きだされても、共感できないのです。
このセリフも何か、やなせ先生の御言葉からの引用なのかな。そう思わせるくらい、のぶの涙を引き出すトリガーとして適切ではないし、寛先生という人物にも「どうせ引用じゃねーの?」と疑っちゃう程度には信用を置けなくなっています。
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』第34回、振り返りましょう。信用を取り戻せ。
変わる前ののぶを知らんのよ
のぶが今田美桜になって、すぐパン食い競争があって、ラジオが来たら「先生になりたい!」と言い出した。この間、のぶに「パン食い競争に出たい」以外の感情描写はほとんどなかったので、今の「変わってしまったのぶ」はなんとなく理解できても、「変わる前ののぶ」をほとんど知らないんです。
だから、2人のすれ違いに切なさがない。「あのころみたいな2人に戻ってほしい」と思わせなきゃいけないはずの、その「あのころみたいな2人」が存在していないんです。嵩がカッちゃんやらに嫉妬して部屋でバタバタしていたシーンはあったけど、その嵩がのぶのどんなところを好きだったのかが描かれていない。
そういうことを考えていて、ふと思い出したんですよね。今田美桜の初登場シーン、通学中の嵩と千尋を追い越して、おちゃらけて、なんか唐突に変顔をしてました。
あのときは「今田美桜きたー!」「着物似合う!」「へ? 何その変顔」「来週から本役かーどうなるんだろう!」などとこちらの感情も忙しかったもんであんまり深く考えていなかったんですが、おそらくあの「おちゃらけ&変顔」が「変わる前ののぶ」ということなんでしょう。子どものころから相変わらず明るくて楽しくて、少し乙女になった少女。そんな少女が師範学校の教育によって軍国主義に染まってしまった。そこに悲劇がある。筋立てとしてはそういうことになっていそうだ。
だとすれば、「変わる前ののぶ」の描写が足りなすぎるんですよね。正味数分しかない。明るく楽しく育ったのぶちゃんと、その快活な少女に振り回されながら嵩の抱いた第二次性徴期の恋心、その恋が焦れていく様子をね、1週間くらいかけて、じっくりやったらよかったんだと思う。
今ののぶの中途半端な愛国精神の発露も、「変わる前」がちゃんと描かれていれば躊躇いとして映るところですが、本来ののぶがないからただ中途半端なだけになっている。
確かに今ののぶはおちゃらけて変顔とかしなさそうだもんな。あの一瞬のロングショットの変顔にそういう意味があったとはね。じゃ、なんでロングだったんだろうか。
で、今ののぶについてもわからんところはある
メイコ(原菜乃華)は健ちゃん(高橋文哉)を好きになって、自分はその気持ちを伝えたからお姉ちゃんも伝えるべきだと言います。
これ、メイコのセリフをそのまま受け取ると「のぶ姉ちゃんも嵩のこと好きなんでしょ、好きなら好きって言っちゃえよ」ということなんだけど、そうなのか、どうなのか、それもよくわからない。当ののぶも「謝りたい」「言い過ぎた」とは思っているようだけど、メイコのエピソードと噛み合ってないから、単にメイコの恋心も展開のための道具としてしか使われなかったという印象になってしまう。つくづく、それぞれのエピソードがグルーブしてこない。
あと、駅についたのぶは寛先生に「謝りたいけど、また会ったらもっとひどいことを言ってしまいそう」みたいなこと言ってましたけど、手紙書けば? と思うんだよな。『あんぱん』では東京の嵩がのぶに近況を伝える手段として手紙という媒体を採用しているわけで、のぶがこれまで返事を書いていないことも示されている。今こそ手紙を書きなさいよ、と思うんだよ。
そういう細かいところから軍国とか愛国についての大きなところまで、のぶちゃんのあらゆる感情が少しずつ私たちの共感ラインからズレている感じがするんです。少しずつだけど、決定的にズレている感じ。この平行線も、いつか交わることがあるのかな。
(文=どらまっ子AKIちゃん)