CYZO ONLINE > 芸能の記事一覧 > ツートライブの解散危機

『ボクらの時代』で明かされた『THE SECOND』3代目王者・ツートライブの解散危機

『ボクらの時代』で明かされた『THE SECOND』3代目王者・ツートライブの解散危機の画像1
(写真:Getty Imagesより)

「どういう状況ですか」

「おもろすぎるやろ」

「東京のド真ん中で、ガクテンソクとツートライブ」

『THE SECOND』客票審査の是非

 大阪の劇場で長い時間を共に過ごし、気心の知れた4人のトークは、そんな感想から始まった。

 1日に放送された『ボクらの時代』(フジテレビ系)は漫才コンビ・ツートライブとガクテンソク。ともに結成16年以上の漫才師による賞レース『THE SECOND』を制したコンビである。

 今年で3年目を迎えた『THE SECOND』、先月17日の生放送でツートライブは脱兎のようにトーナメントを駆け上がった。決勝の囲碁将棋とのカードはハイレベルな争いとなったが、囲碁将棋に1点を入れ続けた観客票の存在もあって、その結果は大いに議論を呼んだ。お笑いファンだけでなく、明石家さんまや爆笑問題・太田光といった大御所芸人までがその審査に苦言を呈した。ガクテンソク・よじょうの妻も「囲碁将棋だと思う」と言っていたのだそうだ。

 ともあれ、ツートライブは優勝した。たかのりは言う。

「別にネタで勝ったとは僕らは思ってないし、そのときのお客さんの状況、寄席での状況で勝っただけ」

 結成18年、『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)での最高成績は準々決勝どまりだった。それでも10年以上、毎月のように単独ライブを打ち続けてきた。ミルクボーイ、金属バット、デルマパンゲとともに「漫才ブーム」というユニットライブを立ち上げ、全国を回った。そうした日々が、「寄席での状況」を読む能力を研鑽していたことは想像に難くない。

 大会から2週間がたったこの日の収録まで、周平魂は「実感がない」という。それでも、家族の反応、新幹線がグリーン車になったこと、ひとしきり王者になったことでの変化に喜んで見せると、話は当然のように“解散危機”へと流れていく。18年、芽が出なかったのだ。『THE SECOND』世代の芸人には、どうしたってつきまとう話題だろう。切り出したのはガクテンソク・奥田修二だった。

「この18年でさ、“辞めよう”はなかったん? 解散しよう、辞めよう」

 ツートライブはこの問いに、2人ともが「解散の話が出たことはない」と言い切った。「おおー!」と奥田が感嘆の声を上げる。思い出したのは、ちょうど昨年の『ボクらの時代』、ゲストは第2回の『THE SECOND』で優勝したばかりのガクテンソクと、初代王者・ギャロップだった。

王者たちの解散危機

「解散しそうなコンビランキングって、あったやん。あれの1位、2位やねん」

 ギャロップ・毛利大亮が苦々しく振り返っていた。2016年の年末に関西テレビで放送された『お騒がせニュース2016 よしもと芸人100人 しゃべっても大丈夫』での1コーナー。吉本興業に所属する約100人の芸人が出演し、その出演者たちにアンケートを取った「お前ら仲悪いんちゃう!? 解散しそうなコンビはどいつだランキング!」が発表されたのだ。

 その1位がギャロップで、2位がガクテンソク(当時・学天即)だった。ファンではなく、舞台裏の顔も知る芸人同士のアンケートだっただけに、ガクテンソク・よじょうも「あれ、リアルなアンケートでしたもんね」と振り返った。

 そこから、2組は実際に自分たちの解散危機について語っている。

 ガクテンソク・奥田は「2011年」と、その時期を明確に断言した。

 中学の同級生だったコンビは05年にアマチュアとして『M-1』準決勝に進出。07年にオーディションを通過して吉本の所属となったが、10年をもって『M-1』がいったん終了。時を同じくして憧れの劇場だった「baseよしもと」も閉館し、モチベーションを失ったという。

「お互い、相手に解散しようって言わそうとしている動き」(奥田)

 たとえ解散することになっても“被害者”ぶりたいという思いから解散を言い出さなかった2人だったが、ある日、奥田が決意を固めてよじょうを呼び出すと、よじょうのほうから解散を切り出したのだという。

「どっちが先言ってんねんとなって。こいつの言うこと聞いたみたいになんの嫌やなと思って」(奥田)

 結果、解散を切り出したよじょうを奥田が論破する形で、解散を免れたのだという。

 一方のギャロップは『M-1』休止中の『THE MANZAI』(フジテレビ系)で50組の認定漫才師から漏れた際に「次に50組にすら入れなかったら辞めよう」(林健)と決意するも、いざ本番を迎えると「この漫才、最後になるかも」というプレッシャーから2人ともまともに漫才ができなくなり、「ちょっと辞めれません、これでは」と心変わりしたのだという。

「エアポケット」からの脱出

「解散の話が出たことはない」と断言したツートライブだが、周平魂の話に続きがあった。

「1日だけ、これはたかのりにも言ってなかった、辞めそうになった日があったんですよ」

 駐車場でアルバイトをしていた周平魂は、小さな管理小屋でネタを書いていたのだという。深夜1時に上がるはずの勤務だったが、気が付いたら朝の4時半になっていた。

「ホンマにこれ、何してんの? と思ってきて。毎月新ネタ6本のライブやって、箸にも棒にもかからん、賞レースにも何も引っかからん。同期の尼神インターとかバンビーノとか売れてるみたいな。今まで比べたことなかったんですよ。その1日だけ、むっちゃ比べてしまったんですよ」

 その日のことを、周平魂は「エアポケット」と呼んだ。暗闇の中にあった1点の光が、パンっと消えた瞬間だったという。

 結果、周平魂は岡本太郎の著作『自分の中に毒を持て』に救われることになる。

「もともとの感覚を、チェックリストで合ってるで、合ってるでって言ってくれるような本だったんですよ」

「自分のやりたいことをやったら、それはもう爽やかじゃないか、みたいな」

 同著の中に、こんな一節がある。

 * * *

人間にとって成功とはいったい何だろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したか、ではないだろうか。夢がたとえ成就しなかったとしても精いっぱい挑戦した、それで爽やかだ。

 * * *

 岡本太郎もまた青年期にピカソの作品に出会い、ピカソと自身との比較に苦しんだ若者だった。

 芸人界に限らず、世の中は比較にあふれている。競争に参加することは、常に比較にさらされることだ。

 その渦中で「爽やかであればいい」と開き直った周平魂。そのあまり爽やかではない漫才を東京で見られる機会が増えることが、私たちファンにとっては何よりありがたいことである。

(文=新越谷ノリヲ)

令和喜多みな実解散へ

『ダブルインパクト』コントと漫才どっちが有利?

新越谷ノリヲ

東武伊勢崎線新越谷駅周辺をこよなく愛する中年ライター。お笑い、ドラマ、ボクシングなど。現在は23区内在住。1977生。

n.shinkoshigaya@gmail.com

新越谷ノリヲ
最終更新:2025/06/04 18:00