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『あんぱん』第70回 フィクションから史実への接続完了、削ぎ落とされ続けた主体性

今田美桜(写真:サイゾー)
今田美桜(写真:サイゾー)

 すごいものを見たなぁと思いますね。この戦後の食糧難の時代に、広々とした立派なおうちでごはんとおかずとお味噌汁にラムネまでつけて贅の限りを尽くしている女(今田美桜)が、闇市でスルメか何かを齧ってる戦争孤児に向かって、「おいしい?」だって。髪の毛もお肌もツヤツヤでいつもパリッとした服を着ている女が、汚れ切った子どもに笑顔を見せて「暖かくして寝れゆう?」だって。

『あんぱん』戦後を描く気もないみたい

 おまえマジか。それが取材なんか。「孤児たちは1本のスルメを分け合って齧っていた。『おいしい?』と尋ねるとコクリと力なく頷いた。暖かくして寝られてはいないようだ」とか記事に書くのか? 月刊くじら、おぞましい雑誌だな。

 この人さ、自分が愛国教育に傾倒して間違いを教えていたことを悔いて教師を辞めたんだよね。なんか知らんけど、日本が戦争に向かっていった責任の一端は自分にあるような口ぶりだったよね。だとすれば目の前にいる貧しい孤児たちだって戦争の被害者だよね。愛国教育の被害者なんだよね。おまえにはその責任の一端があると、おまえ自身が教師を辞めるほど後悔しているんだよね。

 そういう人間の口から、どう考えたら「おいしい?」なんて言葉が出てくるのよ。たまたまブルジョアの家に嫁いで未亡人になった主人公と被災者の間に格差があることはしょうがないよ。そういうこともあるでしょう。この人がその格差に無自覚であることが耐え難いのよ。

 孤児よ、今食ってるものをそいつの顔面に吐き出してやれ。食いかけのスルメをそのテカテカのお口に無理やり押し込んで「うめえかどうか食ってみろ」と言ってやれ。そいつの身ぐるみを剥いで「こりゃあったけえな、よく眠れそうだ」とか言ってやれ! よく味わえよ、女。これがおまえがセンチメンタルに消費した戦争の味だよ!

 えーと、取り乱しました。NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』第14週、「幸福よ、どこにいる」が終わりました。どこにいるも何も、のぶさんには向こうから勝手に幸福が次々にやってくる展開でしたね。今日の金曜日には未来の旦那さん(北村匠海)まで向こうから勝手にやってきましたよ。

 第70回、振り返りましょう。

やっぱり動機がないから見てらんないのよね

 月刊紙の立ち上げからてんてこ舞いのくだり、実際のスキームは複雑怪奇なものですから多少のご都合主義には目をつぶるとしても、やっぱりのぶさんに動機がないから物語の体をなしてないんですよね。

「生の声を届けたい」は東海林(津田健次郎)の思いだし、子どもたちへの取材に固執するのも「そんなに子ども好きだったら教師辞めんな」という呪縛から逃れられないし、過去に雑誌を読んでいた描写もないから「雑誌を作れれば何でもいい」というマスコミワナビー的な思想があるわけでもない。全部、東海林の言いなりで動いているだけ。何の苦労もなく自動的にいっぱしの編集仕事を全部マスターしてるし、琴子(鳴海唯)の機転で広告をゲットできたのもあくまで結果論であって、のぶ自身の行動や哲学が成就して導いたわけでも何でもない。何でもないことを何でもなくないように見せるために、雨を降らせて「大変だ」「がんばってる」と演出してる。

 そうしてサクサクと、この編集部に嵩を迎え入れる準備だけが整えられていく。史実ベースのパートに入って、もう事実関係との辻褄を合わせることだけで精いっぱいなんだろうな。のぶという人物や新聞社という職場の整合性にまで手が回ってない。ドラマを作るという仕事の上で手段と目的が完全に逆転しちゃってるのが、悲しいかな、現実なんでしょう。雑誌作りについても、東海林がなぜか人事を兼任してることにも、嵩が応募してくる経緯がないことにも、いろいろツッコもうと思いながら見てたんですが、もう全部ダメすぎてめんどくさくなっちゃった。

ともあれ、ここからが本番か

 いちおう今日までで、フィクションパートから史実ベースへの接続が完了したということなんでしょうね。で、とりあえずここで再会したのぶと嵩が結婚することになるわけだ。

 なんか今のところその展開に全然納得できそうもないので、どんな経緯を辿って結ばれたら納得できるのか考えてみましょう。

 とりあえず2人の出会いは子ども時代、御免与の駅でしたね。のぶが嵩を突き飛ばして「ボケぇ!」とか言ってました。

 それから嵩とのぶは同級生になって、のぶは嵩の弁当を奪った岩男を下駄でブン殴ったりしてましたね。

 女学校に入るころになると、のぶは嵩に変顔をしたりしていました。

 ああ、このへんで思い当たるんだよな。何を見たかったかというと、子どものころあんな感じのハチキンだった女の子が、恋をするとどうなるんだろう、というのが見たかったのかもしれない。このころまでののぶという人は、主体性の権化と言いますか、本当に誰が何と言おうと自分の道を進みそうな女の子に見えてたんですよね。

 それが、いろいろあって次郎さん(中島歩)と結婚することになるわけですが、見合いに行ったのは「結太郎の話を聞きたいから」、結婚を決めたのは「結太郎と似たようなことを言ったから」、要するにファザコンという呪いによって初婚を迎えているわけです。

 全然、あのときの女の子が恋をした結果に見えなかった。それは嵩と再婚するという展開のためにあえて恋愛感情を描いてこなかった部分もあるとは思う。未来の感情に矛盾を生まないために、熱を削いでしまった。

 次郎が死んでから、たびたびのぶが次郎の遺影を眺める場面があるんですけど、ずっと違和感があったんです。なんか、死んだ夫を見る目じゃない感じ。実存としての夫を失ったはずなのに、まるで何も失ってないように見える。例えば、部屋に貼ったYAZAWAのポスターを眺めながら、その歌詞を思い出して励まされているような、そんな距離感。心の底から愛した、そばにいた、ずっとそばにいたかった、そういう思いがまるで伝わってこない。

 そう考えると、『あんぱん』のフィクションパートはあのハチキン少女から主体性を削ぐという作業をずっと繰り返してきたのかもしれません。教師になる理由も曖昧だし、愛国に傾倒したといっても、その実際の「醜悪であろう授業内容」は一切見せなかった。教師を辞める、新聞社に入社する、その動機のいずれも納得できるものではない。なぜ納得できないかといえば、岩男を下駄でブン殴った少女の未来には見えなかったからです。

 つまり『あんぱん』は、なんだかよくわからないこだわりで嵩とのぶを幼なじみにするという判断をしたけれど、結果としてのぶという人物から人の心を削ぎ落すことしかしてこなかったということです。そうしなきゃ、来週からのパートにつなげることができなかった。

 だったら最初から史実ベースで作ればよかったのにね、と思うけど、まあこれも結果論ですな。

 ほいたらね。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

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どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子。1977年3月生、埼玉県出身。

幼少期に姉が見ていた大映ドラマ『不良少女と呼ばれて』の集団リンチシーンに衝撃を受け、以降『スケバン刑事』シリーズや『スクール・ウォーズ』、映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで実生活とはかけ離れた暴力にさらされながらドラマの魅力を知る。
その後、『やっぱり猫が好き』をきっかけに日常系コメディというジャンルと出会い、東京サンシャインボーイズと三谷幸喜に傾倒。
『きらきらひかる』で同僚に焼き殺されたと思われていた焼死体が、わきの下に「ジコ(事故)」の文字を刃物で切り付けていたシーンを見てミステリーに興味を抱き、映画『洗濯機は俺にまかせろ』で小林薫がギョウザに酢だけをつけて食べているシーンに魅了されて単館系やサブカル系に守備範囲を広げる。
以降、雑食的にさまざまな映像作品を楽しみながら、「一般視聴者の立場から素直に感想を言う」をモットーに執筆活動中。
好きな『古畑』は部屋のドアを閉めなかった沢口靖子の回。

X:@dorama_child

どらまっ子AKIちゃん
最終更新:2025/07/04 14:00