『あんぱん』第86回 戦争も大地震も単なるアクシデントに……この作品に人の悲しみは描けない

時は1946年、人類より遥かに高度な知能を持つ巨大宇宙船団は人々にGPS付きのマイクロチップを埋め込み、互いに位置情報を共有させることとした。それにより人類は距離や移動といった概念から解放され、自由に会いたい人と会えるようになった。
一見、単に便利になったようだが、そこにはエイリアンたちの秘めたる目的が隠されていたのだ。
「さぁ、人類たちよ、好きなだけ殺し合うがいい──」
という設定がいつの間にか追加されたのかな、と思うくらい、みんなタイミングよく現れますね。登美子さん(松嶋菜々子)、思えばあなたが最初の瞬間移動者だったのかもしれません。嵩(北村匠海)の出征の日、東京・銀座にいたはずのあなたが御免与の町角に現れたときに我々は気付くべきだった。あなたこそオーバーロードだったのですね。
はぁー、もうホントに見てらんない。手垢に塗れた恋愛描写と白々しい説明セリフ、都合の悪い設定はあっさりポイ捨てされたかと思ったら、急にゴミ箱から引きずり出されたり。
いやはや、ご苦労さんです。NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』第86回、振り返りましょう。
「悲劇」がイチイチ引っかかる
気色の悪い抱擁から3カ月後、薪鉄子(戸田恵子)御一行様は選挙運動のために高知へやってきました。
「戦争や地震で崩壊したのは、建物や道路だけではありません」
声を張り上げる鉄子さん。少なくとも地震では、私たちは建物や道路が崩壊した様子をひとつも見ていません。むしろ「特にひどく」崩壊した地域に住んでいたはずの嵩が地震の後ずっと自宅で眠りこけていたというパラドックスだけしか記憶にないのよ。
単にお花畑のイチャコラだけ見せられたらこっちも鼻クソでもほじってりゃいいんだけど、こういう人がたくさん死んだであろう悲劇に触れてくるとね、イラっとしてしまうわけです。そこ、ちゃんと描いてないじゃん、主人公の故郷で起こった災害に向き合ってないじゃん、恋愛のためのトリガーにしか使ってないじゃん、と思っちゃうんです。
この鉄子って人、地震後に初めて高知と電話がつながったとき、現地の様子を気にかける様子はまったくありませんでした。電話の相手が新聞社なのに、やれ「のぶはタカシって3回言った」だの「いや4回です」だの、ラブコメに興じていたのですよ。
握手してる高知の人たちに教えてあげたいね、その政治家がいかに薄情者か。あんたたちが家や身内の命を失って泣いてるとき、ニヤついた顔で「タカシって3回言った」「いや4回です」ってやってたんだぜ。
今度NHK+で見せてやるよ。殴れよ、もう。
急に記事書いてんな
メモ帳片手に、速記もできないくせに鉄子の演説を取材している嵩。そもそもこの人は図案家(だっけ?)の代理として高知新報に雇われて、なぜか社会部に配属になったものの使い物にならなくて「月刊くじら」に厄介払いされてきた人でした。
「くじら」でも特に文字モノの仕事をしていた形跡はなく、表紙イラストとマンガ制作、それに広告料金の回収の付き添い、あとは仕上げたかどうかしらんけど付録のすごろくあたりを担当していたはずですが、今日になって急に記事を書いてることになりましたね。社会部で使い物にならなかったヤツが政治家の演説聞いて、なんの記事書くんだ?
そんで女を追いかけて東京に行きたいという本心を抱えたまま、建て前として「記者に向いてないから辞めたい」とか言い出す。記者に向いてないのは社会部クビになったときにわかってたろ? それでも「くじら」でそれなりに記者仕事に向き合って結果やっぱ無理なら話もわかるけど、ほぼ初じゃん、今日、記者。東京取材ではメモ帳持ってたけど、ずっとのぶのケツにくっついてただけだし、寝てた地震だって3か月以上前だろ。
「記者という仕事に真剣に向き合った結果の誠実な決断である」と思わせなきゃいけない退職のシーンで、「久々に女の顔見たら発情して仕事辞めた」という印象になってるのは、もうシンプルに脚本がヘタとしか言えないですよ。
で、一度は「(東京行きは)ダメや、それは許さん」と言い切ってエモを演出した編集長(ツダケン)、あっさり許すことになります。そして嵩に「逆転しない正義」をのぶと2人で探せと命じるのでした。
「のぶも同じようなこと言いよった。おまえとおぶは性格も行動力も正反対や。けんど、根っこのところが似ちゅうがかもしれんな」
そうか、嵩とのぶは性格も行動力も正反対なのか。そして根っこのところは似ているのか。今日からそんな感じでやっていくのか。セリフでこれからの感じを宣言するのか。
「嵩とのぶって、性格も行動力も正反対だよな、だけど根っこのところは似てるよな」と、ドラマで感じさせてほしいところなんですよ。セリフで宣言されても「ハイそうですか」とはならないんですよ。
あと、のぶが面接で嵩と同じようなことを言ったのは、その直前に嵩と会って、嵩から似たようなことを言われていたからだから。面接でのぶは、嵩の受け売りをしゃべったんですよ。だから嵩と同じようなことを言うのは当たり前なんですよ。
これ、わかりやすく説明しますよ。「逆転しない正義」を「A」、「探したい」を「B」とします。で、のぶを「A’」、嵩を「B’」、ツダケンを「C’」としますね。
まず、復員してきたB’がA’にAをBだと言いました。それからA’がC’にAをBだと言って、それから後日B’がC’にAをBだと言ったことにより、C’はA’とB’が同じようにAをBだと言ったからA’とB’が似ていると言っているんです。おかしいでしょ?
「悲劇」がイチイチ引っかかる
新聞社を辞めて上京した嵩、さっそくのぶちゃんの家を訪れますが、途中で子どもに大切な詩集をひったくられてしまいます。
ここで『あんぱん』は子どものひったくりについて微笑ましいアクシデントとして扱っていますが、一度はのぶに心を開いて盗みを辞めたように描いておいて、また盗みを働いてしまうという「子どもの心の闇」について、あまりにも態度が軽々しくないですかね。
子どもが盗むのは「生きるために染み付いた術」であり、そうした子どもを世の中からなくすのが主人公・のぶの現在の行動原理の主軸、最優先で解決すべき課題じゃなかったでしたっけ。この子が詩集を盗むことって、のぶが本気で子どもたちのことを考えているなら、ものすごく悲しいことなはずなんです。そしてそれは、終戦後も解決できないでいる「戦争そのもの」なんです。
それをね、こんな風にね、恋愛にまつわるアクシデントのひとつとしてね、イージーに使ってね、何が「戦争を描く」だよ、と思うわけですよ。もうおとなしくラブコメだけやっとけよ、と思うわけです。無理なんだよ、あなたたちに人の悲しみを描くことはできない。
あと気色悪いところいろいろ
のぶが嵩を連れ込んだ部屋、嵩は以前にも来たことがあるのに何もリアクションしないのが気色悪い。
のぶが特に何にもしてないのにガード下の女たちの信頼を得ているのが気色悪い。
メイコがいつまでたっても「のど自慢」に挑戦しないのに「東京」ってワードが出るたびにお目目を輝かせるのが人造人間みたいで気色悪い。蘭子が何の前触れもなくいきなり雑誌に記事書いてんのも編集長か石清水に枕営業でも仕掛けたっぽくて気色悪い。そもそも姉妹が若松の家に居座ってるのも、もう何回も言ってるけど気色悪い。
高知には小麦もないのに東京ではコッペパンがゴロゴロ出てきたかと思ったら、今度は高知ではおかずがたくさんあるのに東京では何か練り物の入った汁だけとか、食糧難についての描写が場当たり的なのが気色悪い。
そのお椀を手渡そうとして嵩と手が触れてしまったのぶが赤面してうろたえるのは、これはかわいかったね。だいたい顔面がかわいいんだ今田美桜は。もう余計なヒステリー起こさず、ずっとそうしててください。
(文=どらまっ子AKIちゃん)