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『あんぱん』第89回 社会通念に対するケジメを付けていかないから、主人公に実存が宿らないんです

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今田美桜(写真:サイゾー)

 今日も変なところばっかだったにゃあ。基本的には全編「結婚おめでとう」という祝福ムードあふれる「幸せ回」。朝田のみんなも嵩のことは子どものころからよく知ってるし、過剰に馴れ馴れしいのはまあいいとしても、素直に祝福できないんだよな。今日は素直に祝福できなかった理由から考えてみましょう。

『あんぱん』登美子さん(松嶋菜々子)にお詫びしたい

 有楽町の仮住まいを引き払って中目黒に越してきた嵩(北村匠海)とのぶ(今田美桜)。ある程度の開梱を済ませると、その玄関には「柳井」の表札がかかります。

 表札かー、と思ったんだよな。今、のぶの妹である蘭子(河合優実)とメイコ(原菜乃華)が暮らしている高知の若松の家の表札はどうなってるんだろう。「若松」のままだったら、この家に若松はひとりも住んでないから郵便屋さんとか困るだろうし、「朝田」に架け替えてたとしたら恐怖よな。『地面師たち』みたいな世界観になってしまう。

 表札もそうだけど、のぶの姓についてもモヤモヤがあって、東京の薪鉄子事務所でも「若松」を名乗って働いてるんだよね。籍を抜いてない。

 物語の都合として、のぶが朝田に戻していると、蘭子とメイコが若松の家に居座っていることの違和感が強調されてしまうことになるんですよね。おそらく進行上、蘭子メイコと羽多子くらばあを別居させておきたくて、そのために高知の若松の家をキープしておかなければならないということなんでしょう。今のところ朝田の4人が2&2で別居していることにはなんの必然性もないし、御免与と高知が通勤圏内であることが歪みになって蘭子メイコの居座りが気持ち悪い現象になってしまっている。

 これはのぶと若松家との関係性の話でもあって、次郎さんが死んでから、次郎ママとのぶが直接対峙してないんですよね。次郎ママは羽多子さん(江口のりこ)に「自分は大阪に行く、のぶに自由の翼を与えてやろう(意訳)」とは言っていたけれど、のぶ自身に若松への帰属意識がどれくらいあったのかが描かれていないから、のぶが、次郎が死んだ瞬間に若松ママの存在を忘れた薄情者に見えてしまっている。

 こういうのって、いちいちケジメを付けていかないと見にくいわけですよ。のぶにとって次郎は大切、だからもちろん次郎ママも大切な存在であると示したうえで、「好きな人ができたから結婚します」と、のぶが次郎ママに報告するシーンがあって初めて、若松から柳井になることを祝福できるわけです。

 結婚なんて2人のモンだから家族への報告なんて要らねーだろという価値観ももちろんあるし、そうした価値観は否定されるべきものではないけど、若松の家に妹たちを住まわせている限り、その道理は通らないんですよね。のぶには次郎ママへの筋を通す、つまりは社会通念への筋を通すことが求められるわけですが、『あんぱん』ではそれが「いつの間にか許されている」という状態ばかり提示されるわけです。だから、のぶが若松家を思う気持ちも伝わってこないし、次郎さんに対してどう考えているかもわからないし、「若松への思いを抱えながら嵩と生きていく」という決意に重みが得られない。

 のぶが何を考えているかわからない問題はたくさんあって、それはこのドラマの「のぶを対峙させない」という逃げの姿勢によるものだと思うんですよね。今回の結婚についてもそうだし、高知新報を辞めるきっかけになった鉄子(戸田恵子)からのスカウトについても、のぶには編集長から間接的にオファーがかけられただけで、鉄子とのぶは対峙していない。だから、転職の決断にも重みがない。

 私たちがドラマの中の人を愛せるかどうかの最初の前提って、その時代の社会の中に確かにその人がいるという実存感から始まると思うんですよ。人間は社会性の生き物ですから、その人の実存感というのは社会とのつながり方によってしか描けないわけですけど、のぶという人がどう社会とつながっていこうとしているのか、その意思表明と行動がことごとく省略されているために、この人物の主体が見えなくなっている。

 これ、どういうことが起こっているかというと、じゃあこの社会というのを野球で例えてみますと、のぶがバッターボックスに立っていて、ピッチャーがモーションに入ろうとするシーンがあったとしましょう。ここで、のぶがどうやらヒットを打ちたいと思っているらしいことは私たちにだってわかるんです。

 そしたら次のカットで、のぶはもうセカンドベースに立っている。で、ナレーションやら脇役やらのセリフで「のぶは左中間に二塁打を打ちました、ほいたらね!」とやられてる、そういうドラマなんだよな、NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』。

 誰がその二塁打を祝福できますか、という話です。私たちはバットがボールをひっぱたく音が聞きたいんだ。青空を切り裂いていく打球の放物線を追いたいんだ。その放物線こそが、人の意思そのものなんだ。落胆するピッチャー、必死に追いかけてクッションボールを処理するレフト、中継に入るショート、それが社会なんだ。

 第89回、振り返りましょう。

アキラの謝辞もキツい

 のぶたちがガード下を離れることになって、すげえ謝辞を述べてくるアキラくん。確かに勉強を教えたりしてたし、アキラの性根が奇跡的に素直だったとしても、ここでのぶがやってたことって手慰みに見えてしまってるんですよね。

 本来、業務としてはアキラだけでなく、より多くの孤児の「声」を聞いてサンプルを集めてフィードバックすることがのぶの仕事なわけですよね。それなのに、時間が空いたらアキラほか2名に勉強を教えているわけですから、仕事としても目的を見誤っているし、「政治家を手伝うことで子どもを救いたい」という思いとも矛盾していることになってしまう。

 さらに、ドラマは「のぶは元教師だから子どもに好かれる」としたいところ、やっぱり「教師辞めたくせに子どもに固執してる」としか見えないのもつらいんです。「のぶと子ども」という関係を描けば描くほど、教職を捨てた判断のダサさが強調されてしまうという悪循環が起こっている。

 アキラの「ありがとう」に感動するのであれば、もっとたくさんの「ありがとう」を高知で集めることができる人だったのに、それを捨てておいて今さら子どもに「ありがとう」なんて言わせてんじゃねーよと思ってしまう。

 これは最終回まで払拭できないでしょうね。もう子ども出さないほうがいいよ。

いつ結婚したの?

 中目黒での新生活も変なことだらけです。

 鉄子の秘書が「引っ越し祝い」だと言って布団を持ってくる。いわく、鉄子と秘書は出張に行くので、今日からのぶは事務所で電話番だという。「30秒で支度しな」みたいなことを秘書が言って、のぶは驚く。

 この人、常勤だよね。なんで上司のスケジュール把握してないのかしら。これはシンプルに、おもしろいと思って差し込んでるシーンがスベってるだけなのであんま文句言いたくないんだけど、別にこんな変な感じにしなくていいと思うんだよな。

 例えば、のぶに先に「今日はすぐ事務所に戻って、しばらく泊まり込みで電話番しなきゃいけない、だから早く片付けよう」と言わせておいて、ずぶ濡れの嵩の頭をタオルで拭きながらイチャコラな雰囲気になって、「いやいや急がなきゃ」みたいなのを何度か繰り返して、いよいよキスでもしそうになったところで秘書が現れて「あー」みたいな感じでも、やりたいことは達成できると思うわけです。そのほうが、新婚早々しばらく会えないという切なさも演出できる気がするんだけどな。

 というか新婚早々ってなんだよ。確かにプロポーズして受け入れるシーンはあったけど、あのシーンをもって婚姻成立ということなんですかね。羽多子さんからのハガキにも「夫婦圓満にね」とか書いてあるし、オープニングのクレジットは「柳井のぶ」になってるし、またいつの間にか二塁打を打ち終わってる。のぶが鉄子に結婚を報告するシーンだって、ラブコメ的にはおもしろそうだと思うんだけど、ホントに何がやりたいんだかわからんですよ。

描けよ

 女衆に追い出されたのか、気を使って自ら家を出たのか、ガード下の八木ちゃん(妻夫木聡)のところにやってきた嵩くん。このシーンも変すぎました。

 まず八木ちゃんの「またガード下に逆戻りか」というセリフで「嵩とのぶはガード下で同棲したのかしていないのか問題」が発生して混乱を招くし、「マンガは描かないのか」「描きます」というやり取りは、「こいつ描く描く言ってるだけで全然描かねーな問題」が再燃するし、手嶌治虫が医学生とマンガ制作を両立しているという話をした上で「どうして就職なんてしたんだ?」と聞くのも変なんだよ。

 手嶌は医学生とマンガを両立している、だから嵩も広告デザイナーとマンガを両立すればいいじゃないかという話をするために手嶌のエピソードを出したのかと思ったら、八木ちゃんは嵩に「就職か、マンガか」の二者択一を迫っている。「両立できる論」と「両立できない論」が並走しているんです。手嶌は天才だから両立できる、嵩は凡才だから両立できないということにしたいのだとすれば失礼な話だし、そもそも嵩が手嶌を指して評する「天才」は、医学生とマンガを両立できる能力ではなく、マンガそのもののクオリティの話ですよね。

 このシーンずっと「描けよ」と思いながら見てたんですよ。こんなところで油売ってる時間に描けよ。せっかく、女衆のおかげで結果的にひとりで集中できる時間ができたんだから、描けよ、今描けよ嵩。

 で、いつの間にかやっぱり就職とマンガの二者択一論に戻ったかと思ったら「のぶちゃんを幸せにしたいんです」とか言い出す。マンガを描いてたら幸せにできない、百貨店は高給だから幸せにできる。

 自分のやりたいことより愛する人の幸せを優先する嵩、かわいい男。

 だとしたら、住まいも仕事も決めずに上京してきたのはどういうことなんですか。幸せにしたいなら幸せにしたいなりの準備や行動があるのではないんですか。

 いよいよ「嵩がのぶを愛している」という根本部分にまで矛盾が食い込んできてしまって、もう嵩という人の「マンガを描きたい」という気持ちも「のぶが好き」という気持ちも、到底信じられる状況ではなくなってしまった。

 やなせたかし氏をモデルにして「マンガあんま描きたくなさそう」「妻のことも愛してなさそう」ということになってしまったのは、なかなかの悲劇ですね。しかも仕事中にマンガ本読んだり私用電話したりと、シゴデキ設定も崩れかけてます。

 だいたいさ、第1話で描いてた『アンパンマン』って絵本だったと思うんだけど、そんなにマンガマンガ言ってて大丈夫なのかね。このままだと『アンパンマン』の絵本を描いてる嵩にまで「マンガ描けよ!」って言っちゃいそうなんですけど。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

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どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子。1977年3月生、埼玉県出身。

幼少期に姉が見ていた大映ドラマ『不良少女と呼ばれて』の集団リンチシーンに衝撃を受け、以降『スケバン刑事』シリーズや『スクール・ウォーズ』、映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで実生活とはかけ離れた暴力にさらされながらドラマの魅力を知る。
その後、『やっぱり猫が好き』をきっかけに日常系コメディというジャンルと出会い、東京サンシャインボーイズと三谷幸喜に傾倒。
『きらきらひかる』で同僚に焼き殺されたと思われていた焼死体が、わきの下に「ジコ(事故)」の文字を刃物で切り付けていたシーンを見てミステリーに興味を抱き、映画『洗濯機は俺にまかせろ』で小林薫がギョウザに酢だけをつけて食べているシーンに魅了されて単館系やサブカル系に守備範囲を広げる。
以降、雑食的にさまざまな映像作品を楽しみながら、「一般視聴者の立場から素直に感想を言う」をモットーに執筆活動中。
好きな『古畑』は部屋のドアを閉めなかった沢口靖子の回。

X:@dorama_child

どらまっ子AKIちゃん
最終更新:2025/07/31 14:00