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歴史エッセイスト・堀江宏樹の大河ドラマ『べらぼう』放送談義30

『べらぼう』鳥山石燕の弟子・歌麿が得意とする動植物画から枕絵へ…“攻める大河”と規制を強める松平定信

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『べらぼう』で鳥山石燕を演じる片岡鶴太郎(写真:Getty Imagesより)

 前回(第30回)の『べらぼう』、演者が寺田心さんから井上祐貴さんに交代し、本格再登場を果たした松平定信がさっそく溜之間詰の大名にまで成り上がっていました。どこかで見た顔だと思ったら、朝ドラ『虎と翼』でヒロイン・寅子(伊藤沙莉さん)の義理の息子・朋一を演じていた俳優さんなんですね。

蔦重が京伝に支払った原稿料

 以前このコラムでもお話したように、史実の定信は田沼の屋敷に日参し、「銀の花活」などの賄賂を贈って、「一代限りで溜之間詰め大名に昇格する」というステイタスを買い取ったわけですが、ドラマの定信は違いました。

 定信の派閥が、「黒ごまむすびの会」と田沼意次(渡辺謙さん)らにあだ名されていたのには苦笑しましたが、その一人から「大奥に知人はいるか?」と聞かれたことをきっかけに、10代将軍・徳川家治(眞島秀和さん)の側室・知保の方(高梨臨さん)に接近。彼女の好意を得て、家治にも存在をアピールするなど社交術でも超一流といった様子です。

 史実の松平定信も自他ともに認める美形でしたし、大奥では美形の政治家は(それこそ若き日の田沼意次がそうであったように)、人気を博すのが通例でした。しかし大奥に対してもビシバシと質素倹約を断行する定信は、大奥の女たちから超絶不人気でした。

 結局、定信が老中首座(=首席の老中)として権勢をふるった期間はわずか6年。田沼時代がおおよそ20年ほどあったのに比べると、鳴り物入りで登場したわりには短命だったといえるでしょう。大奥から嫌われた政治家は、すぐにダメにされるのが江戸城の掟なのでした。

 史実の松平定信は空気が読めない「コミュ障」であったことも、彼の政治家としての致命傷になりました。興味深いのは、定信が老中時代に定めた政治方針(寛政の改革)のほとんどは「寛政の遺老」と呼ばれるシンパたちの手で末永く受け継がれていった点です。定信という男だけは本当にガマンならないが、彼の政策は概ね認める……という評価が幕府、そして大奥の中にもあったのでしょうね。

 ドラマの定信のキャラは史実をベースにしていますが、今後もオリジナル要素が強くなりそう。ドラマの定信はひそかに黄表紙を愛読し、「(山東)京伝」(古川雄大さん)と呼び捨てではなく、ちゃんと「京伝先生」などと呼ぶ一面もあるため、たんなる「時代の空気が読めない人」ではなさそうな気もしますが、今後、どう描かれていくのか楽しみです。

 ドラマオリジナルといえば、前回は喜多川歌麿(染谷将太さん)関係もオリジナル要素が強く、たいへん興味深く拝見しました。

 筆者の周囲からも「蔦屋耕書堂における歌麿の本格デビューは、枕絵だったの?」という疑問が出ていたのですが、これについては「史実的には違う」と答えるしかないんですね。

 史実の喜多川歌麿は、蔦屋で仕事するようになるまでの経歴がよくわからない人物なのですが、ドラマの歌麿は母親とその愛人男性との関係をこじらせており、自己評価が低く、陰間(=売春している男性)していた時代が長かったなど、複雑な過去を持つキャラとして描かれています。

 史実的にいうと、歌麿が片岡鶴太郎さんの怪演が光る絵師・鳥山石燕(とりやませきえん)に師事していたのは、蔦屋で仕事を始める以前の話。その後の彼は北川豊章(きたがわとよあき)などの画号を名乗って絵師活動をしていましたが、人見知りが強く、才能があるのにブレイクしない下積み時代が長かったのでした。

 しかしそんな歌麿の前に、彼より3歳年上の蔦屋重三郎が現れ、即座に歌麿の類いまれな画才を見抜くのです。

 こうして天明元年(1781年)のころから、歌麿は蔦重の住居兼店舗で、蔦重や彼の妻(ドラマでは「てい」)たちと同居しつつ、蔦屋の仕事を続けました。そしてようやく天明8年(1788年)、『歌まくら』という異色すぎる春画集で大ブレイクを果たすのです。

 しかし『歌まくら』刊行の約1年前、「ここに歌麿あり」と世間に彼の存在を認めさせるきっかけとなったのが、天明7年(1787年)刊行の狂歌絵本『画本虫撰(えほんむしえらみ)』なのでした。

 田沼意次が失脚したのが、さらにその前年の天明6年(1786年)8月。前回までのドラマの時間軸はこの天明6年なんですね。

ドラマで“枕絵”はどう描かれるのか?

 歌麿に関してはドラマオリジナルの要素が強く、今後の展開予測は困難ではありますが、史実とすり合わせるなら、ドラマの歌麿は前回同様、男女の性行為を描こうとすると、毒母と愛人との記憶がフラッシュバックし、苦悶のあまり描けなくなることの繰り返し。

 スランプに陥った歌麿に、蔦重は息抜き代わりに別の仕事をさせることにして、狂歌好きの読者がお金を払って自作を掲載してもらう「入銀本」の狂歌絵本『画本虫撰』の絵師に抜擢。

 これが好評となり、歌麿も「知る人ぞ知る」くらいの立ち位置と自信を得て、その翌年、ビザール(特異)趣味てんこもりの仰天春画集『歌まくら』で大ブレイク……あたりになるのかな、と思ったりもします。

 しかし、史実の蔦重は歌麿を大々的に売り出すべく、確実に段取りを踏みながら彼をプロデュースしていったことがわかるのです。

『画本虫撰』という書物を開いてみると、まずは序文があるのですが、その次に出てくる最初のカラーの見開きが「蜂と毛虫」というテーマなのです。

 歌麿は「妖怪画」で知られる絵師・鳥山石燕の弟子だったこともあり、人間より動植物を写実的に描くことを得意としました。同作は彼の個性を活かした一冊なのですが、刊行背景が興味深いのです。

『画本虫撰』刊行の前年(=天明6年)に田沼時代は終わっており、質素倹約を出版業者にも強制してくる松平定信の時代が始まっていたわけですね。

 もちろんエロはダメですし、華美なテーマもダメ。高級な画材を使った出版物も定信時代には規制対象となりました。それゆえ動植物が得意な歌麿に、一見、図鑑のような動植物の絵を描かせ、その余白に歌を載せている「だけ」の本だと見えるよう、『画本虫撰』は編集されていたのです。

 しかし、実際はそうではありませんでした。蔦重の手腕には、驚かされるばかりなのですが、『画本虫撰』の冒頭の狂歌は、当時の有名狂歌師・尻焼猿人(しりやけのさるんど)による「こハごハにとる蜂のすのあなにえや うましをとめをみつのあぢハひ」という作だったのです。

 これがのっけからど直球のエロ歌なんですね。

「蜂の巣を恐る恐る取ると、ああ~! なんて美味いんだ。蜂の巣の穴から、若い女みたいな味の蜜が出てくる~(超訳)」などという感じ。とんでもないお下品な歌なのですが、これを詠んだ尻焼猿人は、琳派の画家として有名な「あの」酒井抱一の狂名(=狂歌師としてのペンネーム)なのです。そして尻焼猿人=酒井抱一であることは、狂歌好きには公然の秘密でした。

 そして酒井抱一といえば、動植物画の名手として、すでに超有名アーティストだったのです。そんな酒井抱一=尻焼猿人も寄稿している『画本虫撰』の絵師を、喜多川歌麿が努めているということは、彼は酒井抱一先生も認めた存在だという意味も持たされているわけです。

 江戸時代の書物は基本的に数十ページ単位と短いので、こういう作り手の創意工夫がギュッと凝縮され、反映されているのが魅力です。作り手の意図を本文から、そして行間から読み解けたとき、はじめて「本当の面白さ」にたどり着けるのです。

――というわけで、蔦中は『画本虫撰』において、お抱えの絵師・喜多川歌麿を超ビッグネームの絵師・酒井抱一にして有名狂歌師・尻焼猿人と「共演」させ、歌麿の名を売り出していたのでした。そういう地道なプロモーションの末に、歌麿の春画集『歌まくら』が刊行され、大ブレイクしたのです。

 ただ、こういう複雑な文脈はドラマにはしづらいので、この点も大きく読み替えられ、森下佳子先生流に面白くアレンジされるのではないか、と想像されます。しかしなんにせよ、春画の主役といえば男女の「アレ」――巨大すぎる性器ですから、NHKとしては絶対に映してはいけないモノのはず。

 改めて今年の「大河」は攻めている……と実感できる内容になっていくのではないでしょうか……。まさかモザイクはないでしょうけど、どう春画が登場するのか、ヒヤヒヤものです!

“タブー”だった「田沼騒動物」

(文=堀江宏樹)

堀江宏樹

作家、歴史エッセイスト。1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

X:@horiehiroki

堀江宏樹
最終更新:2025/08/17 12:00