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『あんぱん』第101回 「ぼくの血潮」という歌詞に込められた思いは、これで再現されたのか

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『あんぱん』主演の今田美桜(写真:サイゾー)

 さて、「手のひらを太陽に」が完成しましたね。『アンパンマン』同様、こちとら子どものころから慣れ親しんできた名曲中の名曲でございますので、その創作の裏であんなことやこんなことがあったのだという過程、エピソード、そういうものを期待していたわけですが、なんてことなく完成しました。じゃ、ドラマ要らないんですけど。

『あんぱん』100回見たのに状況がわからん

 NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』第101回、振り返りましょう。なんのためにドラマが生まれて、なんのためにレビューを書くのか。はて。

「生きているから、かなしいんだ」

「かなしいんだぁ~」のところ、ミセスが情緒たっぷりに歌い上げていましたが、どうにもこの嵩さん(北村匠海)の悲しみというのがよくわからないんですよね。

 母に捨てられ、戦争で弟を失い、実父も育ての父親も早くに亡くなり、確かに嵩さんの人生は悲しみに満ちています。でも、そういう体験が今の嵩さんの人格形成にどういう影響を及ぼしたのかが全然わからない。

 マンガについても、手嶌治虫みたいに描けないのが悲しいのか、描いたものが売れないのが悲しいのか、忙しすぎて手が付けられないから悲しいのか、いったい何なのか。

 ただ、たまぁーに出てくる作品の中で、例えば『BON』だったり今回の「手のひらを」だったり、そういうところで「悲しい」と主張してくる。そりゃ生きてりゃ悲しいこともあるでしょう。実際、マンガや歌詞に「悲しい」とか「友だちがいない」とか書いてるわけだから、心の奥底に拭えない悲しみがあるんだろうね。

 それを見せるのがドラマじゃないのかね。これじゃただの年表の紹介じゃないのよ。しかもところどころ間違ってるし、つじつまが合ってないし、年を追うごとに改竄が繰り返される年表。ホントに、なんのために作っとるのかね。

 だいたいさ、「手のひらを太陽に」の歌詞ですけど、キラーワードの「ぼくの血潮」の部分は『ぐしょ濡れ奥さん、今夜はええのんか?』みたいな行為の途中に思いついてるわけですよね。ほとんどセックス中に考えた歌詞の中に、よく「生きているから悲しいんだ」なんて書けるもんですよ。勃起してんだろ。

「まっかに流れる ぼくの血潮」

 この一節、すごい歌詞だと思うんですよ。ひとりの作家が自身の「生」というものととことん向き合って、その奥の奥に潜っていって、血が流れていることに気付いて、その極地で、零れ落ちたか、滲み出たか、爆ぜたか、そういうプロセスを経ての「血潮」というフレーズでしょう。歌詞を全部見たら、違和感がすごいんですよ。「血潮」だけ日本語のテンションが違うんです。全編、子ども向けの平易な日本語が並ぶ歌詞の中で「血潮」だけ浮いている。

 それは、やなせたかし氏にとって、どうしても「血潮」としか呼ぶことができなかった、妥協して言い換えることができなかった2文字であるはずなんです。

 自分の血潮を感じるって、すごく孤独な感覚だと思うんだよな。それは妻であるのぶさん(今田美桜)でさえ決して立ち入れない、何人たりとも跳ねのけてやまない嵩という人のコアの部分にある感覚だと思うし、それを言語化できるからこそ特別な作家であるはずなんだよ。

 それをセックス中にケラケラ笑いながら思いついたことにしちゃダメなんだよ。やなせ氏をモデルに創作をするとき、もっとも丁重に扱わなきゃいけない部分なんだよ。それをこのドラマの作り手が、汚い手で握り潰したということなんだよ。悲しいのはこっちだよ、人殺しを見た気分だ。

一方そのころ

 のぶさんには実にわかりやすく、悲しいことが連発していましたね。勤め先をクビになって悲しい。家に帰ったら女がいて悲しい。その女が馴れ馴れしく「嵩さん」とか呼んでるのが悲しい。

 悲しみのあまり、大切なクライアントに八つ当たりをしたりしてました。旦那の仕事相手に感じ悪くすんなよ、おまえ無職になったんだろ、ばっかじゃねーの。

「うち、苦労らぁーていっぺんも思うたことない」

 いかにも健気な妻やってましたみたいな顔してますけど、別におまえが苦労と思ったかどうかは今関係ないから。おまえがヒステリー起こしてるから機嫌取ってるだけです。

 秘書を辞めてからここまでののぶの描き方、ホントに失敗してると思うんですよね。城ケ崎商事(看板くらい作って見せろ)の仕事が何なのか、速記は役に立っていたのか、上司って誰なのか、一切が省略されているので、もうどこの誰が何を言ってるのか全然わからない。

 議員の紹介で雇った秘書をクビにするってよっぽどのことだと思うけど、このクビがのぶという人にとってどんな意味があるのか、なんで「嵩さん」呼びにあんなに心を揺さぶられるのか、年齢はいくつなのか、まったく具体性のないまま「クビで悲しい」「夫が知らん女と仲良しで悲しい」という当たり前のテンプレートだけが塗りたくられている。「AがBだから悲しい」の「A」がないという状態です。

 もはや存在として不気味だね。

HMCこそ嵩の生きる道っぽい

 八木ちゃん(妻夫木聡)にしろ、のぶさんにしろ、マンガこそ「嵩にしかできないこと」としたいようですけど、物語的は全然そんなことないんだよな。作詞やらラジオの台本やらリサイタルの構成やら、ハイパーマルチクリエイターこそ真に「嵩にしかできないこと」のように見えるんです。「誰でもできる」ような仕事ぶりじゃないじゃん、むしろ唯一無二じゃん、リサイタルの構成だって独自のメルヘンチックな世界観がいい感じだったわけでしょ?

 あと、そんなにマンガが描きたくて手嶌とかの才能に嫉妬してるんだったらコマ割りにも挑戦してみたらどうかね。いつまでも4コマばっかじゃ同じ土俵にすら上がれないぜ。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

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どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子。1977年3月生、埼玉県出身。

幼少期に姉が見ていた大映ドラマ『不良少女と呼ばれて』の集団リンチシーンに衝撃を受け、以降『スケバン刑事』シリーズや『スクール・ウォーズ』、映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで実生活とはかけ離れた暴力にさらされながらドラマの魅力を知る。
その後、『やっぱり猫が好き』をきっかけに日常系コメディというジャンルと出会い、東京サンシャインボーイズと三谷幸喜に傾倒。
『きらきらひかる』で同僚に焼き殺されたと思われていた焼死体が、わきの下に「ジコ(事故)」の文字を刃物で切り付けていたシーンを見てミステリーに興味を抱き、映画『洗濯機は俺にまかせろ』で小林薫がギョウザに酢だけをつけて食べているシーンに魅了されて単館系やサブカル系に守備範囲を広げる。
以降、雑食的にさまざまな映像作品を楽しみながら、「一般視聴者の立場から素直に感想を言う」をモットーに執筆活動中。
好きな『古畑』は部屋のドアを閉めなかった沢口靖子の回。

X:@dorama_child

どらまっ子AKIちゃん
最終更新:2025/08/18 14:00