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週刊誌スクープ大賞

高校野球・広陵の苛烈すぎるイジメ実態 先輩の暴力で麻痺した右半身

「注目すべきは原告が大谷だけでなく、わざわざ代理人バレロ氏まで被告に含めたこと。計十三頁の訴状に記されたのは主に、代理人バレロ氏への糾弾なのだ。

 バレロ氏と言えば米国最大手のエージェント事務所CAA内に「CAA Sports」を共同設立。大谷の十七年オフのエンゼルス移籍時から代理人を務める。

『ドジャース移籍時は十年で七億ドル(当時スポーツ史上最高額)の契約をまとめた。近年は大谷の広告契約額を年十億円以上と吊り上げ、アシックスなどが契約を終了したとも報じられました。契約額の数%以上が手数料としてバレロ氏側の懐にも入ります』(運動部記者)

 今年五月にバレロ氏はイベントに登壇し、大谷のスポンサー数を『二十社台前半』と明らかに。年一億ドル以上の収入があるか問われ『もちろんです』と答えた。“強欲”な交渉で話題をさらう人物だが、水原一平事件や、大谷のスポンサーだった『FTXトレーディング』破綻に伴う問題など、バレロ氏の辣腕や秘密主義が時にトラブルを呼んでいる、と見る向きもある。

 そして今回の訴訟で原告がやり玉にあげているのがまさに、バレロ氏の『脅しの交渉術』だった。

 訴状によれば、原告は二〇一三年に別荘地開発を構想。二三年にK社と合弁会社を設立し、『スター性により他の富裕層が物件を購入する』と期待して、大谷を事業に迎え入れて広告契約を結んだという。

 しかし、代理人バレロ氏の介入で、風向きが変わった、というのである。原告は訴状でバレロ氏を『妨害者』としてこう非難する。

〈広告契約を一方的なものとして扱い、ビジネス上の事柄に対しては、無視するか敵意をもって対応した。異議を唱えられるたびに、バレロは彼の常套手段である“債務不履行の脅し”に訴えた。原告は何度も、バレロの際限のない要求を認めない限り、『大谷が契約を破棄する』と告げられた〉

〈バレロは(原告を)あらゆる場面で(略)困惑させ、信用を傷つけることを目的とした措置をとった〉」(文春)

 だが、こうした経緯を大谷がまったく知らなかったとは考えにくい。

 文春でも触れているように、大谷は以前も、広告に出ていた仮装通貨取引所の経営破綻で訴えられたことがあった(共謀を立件できないと棄却)。そして水原一平事件である。約62億円もの巨額なカネが自分の口座から盗まれていることに気がつかなかった大谷の「金銭管理能力の欠如」には驚かされた。「野球バカ」の一言で片づけていいのだろうか。

 お次はFRIDAYから。特殊詐欺グループ「ルフィ強盗団」の最高幹部の一人で逮捕された小島智信被告(47)の獄中告白の短期集中連載が始まった。

 取材と文はノンフィクション・ライターの栗田シメイ。

 このグループでは、同じく逮捕された渡辺優樹(41)がトップだという。栗田は1年近く交渉して、「1社・1人」という条件で面会が叶ったという。
小島はこういった。

「帰国初日から取り調べに全面協力してきたのは後悔の気持ちからです。私にできる贖罪はすべてを証言することだと心から思っています。そして『私はルフィの一味でない』ことを世の中に伝えたかった。私はあくまで“詐欺師”なのです」

 私にはよく理解できない。ルフィとは悪質な詐欺師集団ではないのか。カネを奪うだけでなく殺しまでやる暴力団員や半グレの集団ではないか。

 まあいい、盗人にも三分の理。聞いてみるか。

 小島は北海道室蘭市で生まれた。父親はタクシー運転手、母親は歯科衛生士だったという。だが両親の離婚を契機に、非行へ走った。

 13歳のとき窃盗で逮捕され、養護施設へ送られた。だがそこでの扱いは非人間的なものだったという。

「入所直後、いきなり職員から100発ビンタを喰らった」というのだ。その後も暴力にさらされた。これほどひどい扱いを受けたことは、その後の刑務所でもなかったそうだ。

 17歳で少年院に入れられ、退所した後はクラブで知り合った札幌の女性の家に転がり込み、チーマーとつるみ、ヤクザのしのぎを手伝うようになったのは自然の成り行きだったのだろう。

 19のときに窃盗事件を起こし再び少年院に。21歳の時に上京。ヒモ暮らしを続けているうちに、元銀行員で大手闇金グループのHと知り合う。

 任された仕事は「整理屋」だった。企業を計画倒産させる詐欺だが、小島は実益となる勉強は苦にならず、漢字検定1級や簿記2級を取得し、「マイクロソフト オフィス スペシャリスト」の資格も取り、PCは自分で組み立てるという。

 真っ当な仕事をやっていても食っていけただろうに。

 その後、架空通貨の投資で300万円の借金を負い、特殊詐欺グループのいるフィリピンへ行く。

「かけ子」としては優秀ではなかったが、ボスの渡辺に会ったという。

 渡辺はかけ子のリクルーターと回収役をやっていたそうだが、2017年ごろ、自分の組織を立ち上げたいと考え、池袋にあった中国の特殊詐欺グループに人を送り込み、彼らのノウハウを学んだそうだ。

 なるほど、こうした特殊詐欺の先達も中国なんだ。

 私が以前から疑問に思っているのは、なぜ、警察はこうした時代の先端を行く犯罪に、いつも後手後手に回っているのだろうかということである。

 警察にだっていくらかは優秀な人間がいるだろうに、犯罪者のほうが数歩先をいっている。日本の警察も中国の警察に人を送り込み、犯罪取り締まりのノウハウを学んだ方がいいのではないか。

 これを読みながらそう考えた。

 さて、北島康介、懐かしいね。2004年のアテネ五輪では、「ちょ~気持ちいい」といって、その年の流行語大賞にも選ばれた

 2008年の北京五輪、男子100m平泳ぎで五輪連覇を果たした時は、優勝インタビューで「何もいえねえ」といった。数々の迷言を残したレジェンドである。

「十六年に現役を引退。現在は『東京都水泳協会会長』という立場で水泳に携わりながら、会社経営者の顔も覗かせる。今年六月には、不動産事業などを手掛ける『HESTA大倉』の代表取締役副社長にも就任した。

『北島は、「ちょ~軽い」が売りのHESTA大倉社製ソーラーパネルの広告に起用された。同社の代表を務めるのは、安倍晋三元首相銃撃事件を機に辞職した奈良県警元トップの鬼塚友章氏です』(スポーツ紙記者)」(文春)

 北京から17年後の25年6月28日。にわか雨が上がった真夜中の東京・銀座の街に、灰色のスーツに身を包んだ北島の姿があったという。妖艶なドレスを着た女性と談笑していると、ほどなくして2人は、北島の所有する高級車の後部座席に乗り込んだというのである。

 彼女、A子について知人がこう明かしている。

「A子は、三十代半ばで女優の小芝風花さん似のホステス。今年三月頃、北島さんが友人と一緒に店へ来てA子と知り合い、そこから一カ月も経たずして、男女の関係に発展しました。北島さんは、かなりの頻度で店に通っていて、店が休みの日でも二人はプライベートで密会しているのです」

 文春取材班も北島が足しげく銀座の店に通い、店外でもA子と会っている様子を何度も確認しているという。

 2人が逢瀬を重ねるマンションは彼女のために北島が借りているそうだ。

 文春が北島を直撃した。このやり取りがチョ~面白い。

――A子さんとは、どんな関係ですか。

「いや~仲良い……。はい」

――交際されてませんか?

「そういう風に見られちゃいます?」

――男女の関係に?

「まあでもなんかお酒も入ってたんで。飲んでたんで」

――流れでそうなった?

「なってたかもしれないですね~。でもそんなに長いことは……。パッと行ってパッと帰ったんで、やってないと思いますよ」「何も言えねえって書いて(笑)」

――男女の関係はないと?

「ないってことで」

――とは言っても奥さんには言えない関係なのは間違いないのでは?

「まあ言えないっていうか……。まあ、そういった意味では、迷惑はかけますよね。飲みに出歩くことは、承認してもらってまして、内緒で遊んでるっていうわけじゃない」

――男女の関係かどうかについては、やはり何も言えねえですか?

「(表情を和らげて)何も言えねえ! 何も言えねえって書いてください(笑)」

――ちょ〜気持ちいい関係だったりは?
「ははは。かもしれないっていうのも書いてください。その2つは絶対書いてください(笑)」

 北島康介ここにあり! 北島さん、次は国会議員を目指しているのでは?

 ところで、ここでは今週取り上げなかったが、問題記事を2つ紹介しよう。

 1本は「変見自在 最終回 高山正之」(『週刊新潮』8/28日号)。今1つは「森友事件 同僚メモ“黒塗りされた核心”」(『週刊文春』8/28日号)である。

 新潮の高山の連載コラムは今回で終わり。

〈問題となったのは7月24日発売号の「創氏改名2.0」と題されたコラムで、韓国にルーツがある深沢さんを名指しし、「日本名を使うな」などと非難した。深沢さんは今月4日に記者会見し、「人権侵害」「レイシズムに基づいた差別扇動」などと抗議。新潮社が同日謝罪する事態となっていた〉(時事通信ニュース08-19 20:34)

 新潮社内にはこのコラムをやめるのに反対の声もあったという。なぜなら、このコラムは20年以上続き、高山の考えは新潮社の考えを反映したものだからだというもの。

 今週は、朝日新聞の悪口を書き連ねていたが、この程度の人間を「社の顔」として続けてきた新潮社は、コラムを急にやめるだけではなく、こうした筆者の考えを、社としてどう考えていたのかを、読者、執筆者たちに説明すべきである。

 もう一本は文春の“アノ”相澤冬樹の記事である。今週は、財務省が開示した文書の中に、「約3m以深には廃棄物がないことを証明しております」という言葉が一級建築士の事務所が出したメールにあったと明らかにしている。

 財務省近畿財務局は森友学園側に莫大な値引きをする理由として、国有地には地下にゴミがあるためだとしていたが、それが嘘だったことがハッキリしたというのである。
相澤のこの問題に賭ける執念は本物だが、この改ざん問題で自死した赤木俊夫の妻の雅子と恋愛関係にあると、先日の新潮で暴露されてしまった。

 それに対しての「説明」が本文の後にかなり長めに続くのだ。そこには、

〈7月10日発売の『週刊新潮』に、私と赤木雅子さんの関係が「禁断愛」として報じられました。誤解を招く内容ですのでご説明します。

 私が雅子さんと最初に会ったのは7年前、NHKを辞め、森友事件の取材を1人で続けていたころです。2020年3月には雅子さんの提訴と俊夫さんの遺書全文を「週刊文春」で記事にしました。当時は「取材者と被取材者」としての関係でしかありません。その後、全容解明を求め全国行脚する雅子さんに同行し各地を回りました。やがて関係性が変化し、親密な交際が始まったのは3年前、2022年8月のことです。

 その頃、私は同居していた女性と別れ話になっていました。2カ月後に同居を解消しましたが、雅子さんとの交際を理由に相手女性から5500万円を要求されました。応じなければ裁判を起こすとのことでしたが、私は応じず、1年後に裁判になり、110万円という金額で決着しました。

 雅子さんの俊夫さんへの想いは変わることなく、毎朝、線香をあげて遺影に語りかけています。私の森友事件関連の報道は、開示文書や正当な取材で裏付けられた事実に基づくものです。今後も森友事件の解明をめざし取材を続けます。〉

 こちらのほうは、相澤の弁明を信じたい。類まれな記者魂を持った彼が、更なる森友事件の真相を暴いてくれることを期待したい。

 さて、今週最後の記事は、夏の甲子園で1回戦を勝った広島県の広陵高校が、部員の暴力沙汰が表沙汰になり、途中辞退という異例の展開になった「深層」を追った文春の記事。

 名門の広陵高校は春の選抜で3度全国制覇をしている。そのうちの2回は、1990年から指揮を執る中井哲之(63)監督の時代である。

 中井監督は部員の自主性と人間教育を重んじ、「野球部は家族」と公言しているそうだ。

 だが、そんな監督の下で暴力沙汰が明らかになったのだが、他にも部員の暴力で病院に送られ、一時は右半身麻痺になった元部員がいたというのである。
Aは県外から広陵の野球部に憧れて2015年春に同校へ入った。だが、Aは家族の1員にはなれなかった。

「Aさんが上級生から激しい集団暴行を受けたのは、三年生が引退し、新チームが始動して間もない同年九月十八日のことだった。

 Aさんは時折、言葉を詰まらせながら、辛苦に満ちた記憶の封印を解く。

『その日、夕食でグレープフルーツが出たんです。僕はある先輩から「グレープフルーツの皮を絞って汁をあいつ(別の先輩)の目に入れろ」と指示されました。要は嫌がらせです。僕が「できません」と答えると、その先輩から「なんや、歯向かうんか?」、「あとで部室に来い」と言われました。新チームになってから、先輩たちからは「しばかれて強くなるのが広陵の伝統だ」というようなことを言われていましたし、当時は僕もそれを信じ込んでいました』

 夕食後、Aさんが覚悟を決めて部室を訪れると、消灯して真っ暗な室内に三、四人の二年生が待ち受けていたという。

『部屋の中央で正座させられ、手を後ろに回して抵抗できない姿勢になるよう命じられました。そこから集団暴行が始まりました。「先輩に歯向かうな」、「なんでそんな調子に乗っとんや」などと言われながら、何度も蹴ったり殴ったりされたんです。正座だけでなく、体幹トレーニングの「プランク」の姿勢をとらされ、あばらのあたりを蹴られたりもしました。中にはスパイクを履いていた先輩もいました。顔はなるべく避けていたようでしたが、蹴りの一発がこめかみ付近に命中し、僕は意識を失いました』

 目が覚めた時、Aさんは県立広島病院のベッドの上にいた。

『病院に搬送されたことを理解して、真っ先に頭をよぎったのは「しばかれて病院送りになったことが表沙汰になったらどうしよう」という不安でした。野球部に迷惑をかけてしまうのではないかと。次に思い浮かんだのは「そのせいでまた先輩にやられるのかな」いうことでした』」(文春)

 しかし、右半身が動かなくなっていることに気がつく。

 そうした中、数日後に中井監督がきてこういったというのだ。

「Aさんは身を案じる言葉を想像したが、開口一番、監督が発したのは全く違うものだった。

『お前は部室の扉で挟んだんやってな。何をどんくさいことしとるんや』

 さらに中井氏は『それで合ってるよな?』と追認を求める。Aさんは必死で『いえ、違います。●●さんにやられました』と事実を訴えた。Aさんが続ける。

『監督は「違うやろ。部室の扉は重たいし、お前はどんくさいから、自分で挟んだんやろ」と認めてくれない。僕は厳しい環境も覚悟の上で広陵に行ったわけだし、監督に逆らえる立場ではありません。「そうでした……。僕がどんくさかったからです」と主張を変えました。すると監督は「そうやのう。分かった。お前の口からそう聞いたから、そういうことで処理しとく」と満足げに話し、病室を去りました』」

 当時を知る広陵の教員は、そんな真相は知らなかったと話している。

 その上、Aが退院して中井監督のところへ挨拶に行くと、右が動かないというのは嘘だと聞く耳を持たなかったという。

 監督の意向を受けて、先輩たち、同級生たちからも集団暴行を受けるようになったそうだ。

 この暴力事案は高野連の知るところになった。そのため「対外試合禁止1ヵ月」という処分を受けていたのだ。Aはこういう。

「部室での暴行は隠蔽されたのに、寮での暴行は処分対象になった。その違いが全く分かりません。ただ、後者が処分を受ける事案ならば、前者も本来は高野連に報告し、何らかの処分が下されるべき事案じゃないですか。それなのに、監督が率先して隠蔽に走ったことが、僕には納得できませんでした」

 2016年2月にAは絶望した広陵高校を離れた。

 文春が取材を進めると、他にも証言者が出てきて、集団暴行は日常化していたようである。

 学校側も薄々、野球部内の暴力沙汰は知っていたのではないか。だが、

「長らく男子校だった広陵は98年から共学化し、大学進学にも力を入れ始めました。野球部は安定して強く、知名度もあり、生徒も集まる。中井さんを崇拝するOBやシンパも多く、広陵にとって彼の存在は大きくなっていった」(地元メディア関係者)

 広陵の元教員もこう激白している。

「野球部、中井監督は広陵の中でも特別な存在。中井先生は学校の広告塔のような役割も果たしてきましたし、私学ですから、部員数が多いということは、それだけお金も持ってきているということなんです。周囲がモノを言える雰囲気ではありません」

 そして今回の暴力沙汰が起きた。Aはこう語っている。

「今回の問題で、暴力の伝統とそれを隠蔽する中井監督という構図が、自分が経験した時と同じかたちで残っていたことが、すごく悲しかった。暴力に耐えて強くなるなんて、絶対におかしいです。暴力の連鎖を助長し、放置してきたのは中井監督。その現実を受け止めてほしいです」

 文春が発売された翌日、ようやく広陵高校は中井監督、その長男で野球部長の中居淳一(30)を辞めさせた。

 それで「暴力が日常化」していた野球部の伝統が一掃されるとは考えにくい。高野連、高校野球を美談に仕立て上げる朝日新聞、毎日新聞も、こうした悪習をなくすためにどうしたらいいのかを真剣に考える時だ。(文中敬称略)

(文=元木昌彦)

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元木昌彦

編集者。「週刊現代」「FRIDAY」の編集長を歴任した"伝説の編集者"。

元木昌彦
最終更新:2025/08/26 18:00