「さよなら東海テレビ」阿武野プロデューサーが地方局で働くスタッフらに託したもの
兵庫県知事選はオールドメディアの敗北だった
――ネットメディアの仕事をしていても、以前は面白そうなものを取材し、記事にしようというスタンスだった編集部が、最近はPV数を重視して、バズりそうなネタにしか興味を示さないようになっています。新聞やテレビなどの既存のメディアに対するカウンター的な存在だったはずのネットメディアも、自由度が失われつつあるようです。
阿武野 そうなんですか……。時が経ち、成熟してくると、求めるものが数字やお金へと変容してしまうんでしょうか。最近、真宗大谷派名古屋別院の若いお坊さんたちと仕事をしています。東海テレビのドキュメンタリーを上映し、ゲストを招いてトークするというイベントです。若いお坊さんたちは、これからのお寺はどうすればいいのかという問題を抱えています。今のテレビの状況と似ていると感じています。お寺には、たとえば親鸞聖人の教えがあり、境内という広い場所がある。発信すべき情報と場があるのに、門徒がどんどん減っている。一方、テレビ局には取材の成果である映像や情報があり、コミュニケーションを支えるシステムがある。しかし、多メディア時代に入って、視聴者は激減している。似ていませんか? そんな中で、若いお坊さんたちが新たにイベントを企画し、対談部分をYouTubeで配信し始めました。お寺に来ないと説法が聞けない時代ではない。布教の在り方を模索しているわけです。しかし、何度も配信しているうちに、今回の動画は32万回再生だったとか、数字が気になるようになってくるんです。数字は、一種の「病」です。一度罹るとなかなか逃れることができなくなる。しかし、大事なのは、中身です。それを忘れずにコツコツやっていかないと、信頼を失っていくテレビ局と同じ構図になってしまいます。
――これからの時代、従来のお寺と檀家という関係性とは異なる在り方が求められそうですね。
阿武野 若いお坊さんたちは広い境内を使って大きな朝市・マルシェを開いたり、災害ボランティアの基地の役割なども模索しています。地域社会への視点があって、その上で若い人たちにも関心を持ってもらうイベントも展開しているわけです。人が集まり、人が出会う場をつくる、そして人と人とをつなぎ直す、これはお寺の原点ですね。テレビはそうしたことをどう考えているのかということだと思います。兵庫県知事選は、旧メディアが予想していた結果と真逆だったようで、強いショックでしたね。SNSの威力というか、新聞、テレビとは別の物語が強力に構築されていたんですね。一時は、新聞、テレビは信頼を失ったと深刻でしたが、このショックも「旧メディアの経営者は、三日もすれば忘れる」と僕は思っています。相変わらず発行部数や売り上げを、最大の課題として、取材費や制作費の縮減ばかり続けるのではないでしょうか。貧すれば鈍する、です。こうした経営が報道現場の足腰を弱めて、結果として最も大切な地域の信頼を失う……、と分からないのかもしれないですね。
「背骨がないわよ」という希林さんの言葉
――阿武野プロデューサーの東海テレビでの最後の作品『いもうとの時間』は、これまでずっと追い続けてきた「名張毒ぶどう酒事件」の冤罪性を改めて問いかけた内容になっています。
阿武野 2024年1月31日に東海テレビにさよならすることになり、その半年前から考えていた企画でした。1月31日の夜に完成し、放送は退職した後の2月10日でした。これだけはやっておきたかった。「名張毒ぶどう酒事件」の冤罪性を追い続けた初代ディレクター門脇康郎さんとの約束ですから。僕がドキュメンタリーの責任者になってから、門脇さんにはずっと協力してもらいました。「途中で投げ出すようなことはしない、やり抜きます」と言っていたので、それを果たしたかった。まぁ、ここまでやれば、門脇さんも「よし」としてくれるだろうと。
――ドキュメンタリードラマ『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』(13年)などに出演した、女優の樹木希林さんの言葉「背骨がないわよ」も大きかったようですね。
阿武野 樹木希林さんには『神宮希林』(14年)の出演や『人生フルーツ』(17年)のナレーター、それにシリーズ『戦後70年 ドキュメンタリーの旅』など、東海テレビに関わっていただきました。それまで作品づくりは一本の木のように考え、「名張毒ぶどう酒事件」を追ったドキュメンタリーを幹と考え、そこから枝葉を伸ばして司法シリーズや『平成ジレンマ』などの作品を撮っているという感覚でした。でも、希林さんとの会話の中に「背骨」というコメントがありました。作品は、自分たちの身体の中のものとして意識できるようになったんです。晩年の希林さんは僕たちとの仕事に多くの時間を割いてくれました。覚えているのは希林さんが「あなたたちと出会って、報道を知ったのはことのほか得したわ」と言われたことです。報道的な見方やカメラのすばやい動きとかが、希林さんのリズムとフィットしたんですね。『約束』で奥西勝死刑囚を演じ、『いもうとの時間』のナレーターも務めてくれた仲代達矢さんは、僕たちの「名張毒ぶどう酒事件」では、欠かせない「背骨」です。仲代さんの地底から響くようなあのナレーションで、作品が強く深く凝縮されたと感じています。
――2011年に東海テレビの情報番組放送中に起きた放送事故「セシウムさん事件」(※)についてお聞きします。阿武野さんは「事件は境界線で起きる」と『眠る村』(19年)で取材させていただいた際に言われたのですが、この言葉に従えば、「セシウムさん事件」は東海テレビの正社員と下請けスタッフとの境界線上で起きた事件だったのではないかと思うんです。「セシウムさん事件」後、東海テレビは変わったのでしょうか?
阿武野 変わろうとはしたと思います。「事件は境界線で起きる」は『死刑弁護人』(12年)の安田好弘弁護士に聞いた言葉ですが、「セシウムさん事件」は「公共」と「私企業」との狭間で起きたとも言えます。放送局が公共性よりも、企業体としての利益を優先しようとしたところに火花が散り、事件が起きたんじゃないかと僕は見ていました。公共的な役割が求められている組織が、お金に過剰にこだわると、何かしらのトラブルが起きるものです。先ほども話しましたが、制作費や取材費の容赦ない削り方ですね。「セシウムさん事件」から10年以上が経ちますが、今はどうでしょう。地上波テレビの経営は難しい状況になっています。とは言っても、削っていいものと削ってはいけないものがある。あの頃は「放送外収入」、今は「新規事業」……。経営側が制作者ファーストを掲げていれば、大きな間違いは起きないと思うのですが……。
阿武野さんがプロデュースした東海テレビのドキュメンタリー番組で、まだ映画化されていない作品がいくつか残っているので、その作品の劇場公開や「東海テレビ ドキュメンタリー劇場」の海外展開も手がけてみたいとも語ってくれた。東海テレビを離れ、より自由度を増した阿武野さんの今後の動向に注目したい。
※セシウムさん事件…2011年8月に東海テレビのローカルワイド番組内にて、不適切なテロップが誤って放送された騒ぎ。外部スタッフが作成したリハーサル用のダミーテロップが、操作ミスで送出された。東海テレビへの苦情が全国から殺到し、番組は打ち切り。東海テレビの社長は岩手県知事に謝罪し、東海地方では検証番組も放送された。『さよならテレビ』が生まれるきっかけにもなった。
(構成=長野辰次)
『いもうとの時間』
ナレーション/仲代達矢 プロデューサー/阿武野勝彦
監督/鎌田麗香 音楽/本田俊之、鈴木よしひさ 音楽プロデューサー/岡田こずえ
編集/奥田繁 撮影/坂井洋紀、米野真碁 音効/久保田吉根
製作・配給/東海テレビ放送
2025年1月4日(土)よりポレポレ東中野、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開
(c)東海テレビ放送
※ポレポレ東中野では、2025年1月2日(木)に東海テレビ ドキュメンタリー劇場『人生フルーツ』『チョコレートな人々』、1月3日(金)に『さよならテレビ』『ヤクザと憲法』を上映。舞台あいさつあり
https://pole2.work/imouto/
●阿武野勝彦(あぶの・かつひこ)
1959年静岡県伊東市生まれ。81年同志社大学文学部を卒業後、東海テレビに入社。終戦50年を記念して制作した『村と戦争』は、95年のギャラクシー優秀賞・放送文化基金優秀賞などを受賞。2011年からは「東海テレビ ドキュメンタリー劇場」と銘打ち、『ヤクザと憲法』『さよならテレビ』『人生フルーツ』などのドキュメンタリー映画をヒットさせた。2024年1月に東海テレビを退職し、現在は「オフィス むらびと」に所属し、映像プロデューサーとして活動。戦後80年のドキュメンタリーシリーズを企画中。著書に『さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ』(平凡社新書)がある。