世界一明るい視覚障がい者・成澤俊輔「どうにもならないことに悩まされた人生は価値になる」

「制御システム」や「電子機能システム」を専門とし、特に超音波工学と圧電材料学に精通する桐蔭横浜大学専任講師・石河睦生が、“なぜか不思議と幅広い”ネットワークを活かし、「都市伝説になるかもしれない」事業家・アーティスト・科学者を紹介する新連載がスタート。
その第1回は、難病・網膜色素変性症という視覚障害を持ちながらも、就労困難者の支援と雇用創出をするNPO法人を経営し、現在は60社以上の企業のコンサルティングを手掛けるなど、多彩なキャリアをお持ちの成澤俊輔さんをゲストにお迎えしました。
「世界一明るい視覚障がい者」を自称し、「経営者の伴走者」の異名をもつ成澤さん。前編では、視覚障害者として先が見えない中から現在の仕事に至るきっかけとなった原体験を伺い、解決が見つからない課題をどう解決するのか、そのヒントを探ります。
都市伝説になりそうな人を紹介してきます
石河 成澤さんは「異端児中の異端児」だと思っていて、独特のセンスでうまく人を繋げていきますよね。私自身もたくさんの人を紹介してもらいました。それはただの友達としてではなく、ビジネスとして、社会のネットワークとして、着実に皆さんが繋がっています。
成澤 宗教的に(笑)。
石河 成澤教(笑)。そこなんですよ。チーム成澤、それがすごくおもしろくて、僕の周りにはなかなかそういう人っていないんです。そもそも経営者の中でも異端の人たちばかりに伴走していて、さらにその異端児同士が繋がっていく。そのネットワークもかなり巨大です。なので、まだメディアにそこまで出ていない「都市伝説になりそうな人たち」を紹介する企画の第1回は、成澤さんにお話を伺って、僕も色々学んでいけたらと思います。
経営者たちの悩みは「どうにもならないことにどう向き合っていくか」
ところで成澤さんはTEDに2回も出演したり、経営した会社が「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」を史上最速で受賞したり、すでに社会的な結果を残しています。そのキャリアに至るきっかけってなんだったんですか?
成澤 キャリアのスタートか……まず、僕の目の病気は3歳でわかりました。で、18歳〜20代前半ぐらいまでは、暗黒時代だったんですよ。一般の人以上に「自分で自分を期待してあげなきゃいけない」みたいな感じで、生きることに焦っていたんです。出身が佐賀県なんですが、田舎には僕の病気みたいな人ってそんなにいないし、いわゆるロールモデルも見つからなくて。
大学で福祉の勉強をしたんですが、その頃の授業では「障害を持つ人は歴史的に見ると大変だったんだゾ」というのを延々教えていて、当事者の僕からすると「そんなの知っとるわ」みたいな感じでした。
そのころベンチャー企業(スタートアップ)ブームで、 たまたま僕も経営コンサルティングの会社にインターンで入る機会があって、それが僕の人生を大きく変えました。
それまで僕は、目が見えなくて自分でできることが少なかったから、いろんな科目がまんべんなくできる”スーパージェネラリスト”にならなきゃいけないという脅迫観念があったんですよね。でも、そのベンチャー企業には、そんな人が1人もいなかったんですよ。テレアポがやたらうまいとか、資料を作らせたらピカイチみたいな感じで、なにかに特化している人ばかり。ルールも何もなく、一芸で生きてる人がいるんだなって、このインターンシップでそれまでの錯覚が溶けたんです。
「AO入試的な生き方があるんだな」っていうことを知って、ちょっとほっとしたというか、「この生き方なら、目指せるかもな」って。だって、田舎で障害を持って育つと「大企業の障害者雇用か公務員になるといいぞ」っていう話が基本なんですよ。「いや、なんかそうじゃない生き方があると思うんだけど、それってどういう生き方なんだろう」っていうのが自分の迷いの元だったんだと思います。
石河 その企業に誘ってくれた方は、まだ自信がなかった成澤青年の、その迷いの中に光るものを見たんですよね。スペシャリストたちがいる中でもいけると。でも、実際はその中に入るって大変で、悩み迷われたであろうし、だから人とは違う着眼点みたいなところが育まれたんですかね? 飛び込まれていった環境の中に揉まれて。
成澤 目が見えないと、サラリーマンの新人の仕事をするのが大変なんですよ。まだ何もできない人がやるべきとされる飲み会のセッティングとか、イベントの受付とか、コピー用紙の補充とか、電話応対みたいな仕事がいっぱいあるんだけど、見えないとそれすら難しくて。「みんな新人ワークでなんとか先輩の役にたってるのに、僕はそれすらできないのか」って、結構きつかったんですよね。それで「新人ワークができないなら、本丸の仕事を頑張るしかねえな」で、やってこれたのもあります。
その企業は、役員人材の紹介業とか上場の準備やM&Aのサポートなど、経営者をサポートする仕事でした。そこで、目が見えなくて、働いたことがなくて、経営をしたことがない僕を、経営者たちが結構「おもしろいね」って言ってくれたんですよ。「なんでかな」って思ったら、障害がある僕と経営者の人の悩みが近いんじゃないかって気がついて。
僕の目は明日、急に見えるようにはならないわけですね。どうにもならないことに対して、ずっと人生で向き合ってきて。今考えると経営者もそうだなと思うんです。急に会社のナンバー2がやめたり、急に売上がなくなったり「人、モノ、金」みたいな悩みもあるけど、結局は”どうにもならないことにどう向き合っていくのか”が課題になってるので、「俺の生き方とお前の生き方一緒だよね」って言われた感覚でした。
石河 経営者の悩みと本質的に同じものがあって通じあったんですね。
成澤 この「どうにもならないことに、毎日悩まされた人生は価値になるんだ」って気がついたときに「俺、経営者のために生きよう」って思ったんですよね。それが今の僕に至ったきかっけになったんです。
石河 だからこそ、経営者と経営者を上手につなげることにもつながって、それがまた生業になっていったと。転職コンサルタントも天職ですね。そんな成澤さんご自身が抱えてる課題みたいなことってなんなんですか?
成澤 自身のキャリアの説明にもなると思うんですけど、前職で障害があったり、うつ病だったり、生活保護だったり、引きこもりで生きづらさがある人たちの就労支援をするNPO法人を8年半、経営をさせてもらって、1つにはNPOだけれども経常利益率が25パーセント以上出たりして。「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」というのを、史上最速で受賞しました。
でも、この頃の僕は得意なことを頑張ってたんですよね。言い換えるとと、使命感や責任感を自分の中で生きていた。障害を持つ人とか、その周りの家族の人の心配事を僕が受け止めて、経営を通じて、世の中の役に立つというのを一生懸命やってきました。
ただ、一生懸命やっていく中で、飽きちゃったんですよね。でももし、「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」を史上最速で受賞した社長が「会社に飽きたんで事業承継します」って言ったら、多分世の中から叩かれるんです。「世間は社会的な取り組みをしていて、まだ課題も残っているのにお前はやめんのか」みたいな。これが一般のベンチャー企業だったら叩かれるどころか、「シリアルアントレプレナー」って褒められさえする。でも僕は人間って1個のテーマで頑張れるのは10年間くらいが限界だと思います。
石河 頑張れる10年、なんだかわかります。続けるのなら変革していくことも必要ですよね。
ミッション、ビジョン、バリューパーパスとか事業計画がない経営へ
成澤 もうひとつは、前職では結局、自分探しをしていたんですよ。「自分ってどういう風に世の中の役に立ってるのかな」って。でも、この8年半の経営で、NPOの経営者、障害者のコンサルティングみたいなタグが僕にいっぱいついたんですよね。
始める前はあんなにタグが欲しかったのに、いざタグが付いたら、うざくなったんですよ。なりたい自分になれた先の、僕のありたい自分でそれは、何者でもない自分でありたいんですよね。だから、今は秘書である妻と2人の個人事務所で会社を経営しています。ミッション、ビジョン、バリューパーパスとか事業計画ってのは全くありません。日々思いつきだけで生きています。
これが最も自分にとって誠意があるから、ミッション、ビジョンとか社会的な要請を僕に押し付けないでくれと。僕はこれを絵に餅(絵に描いた餅)経営って言ってるんですけど、この感じでいきたいなっていう思いが強くあって。だから今は、得意なことじゃなくて、好きをど真ん中に置いてやってきています。この好きをど真ん中におく、ということは経営者のみなさんにお伝えしていることでもありますね。
石河 では#2では、その好きをど真ん中に置く、というわかりそうでわからない言葉の真意について、さらに深堀りしていきましょう。
#2へ続く
大学に入学したら「年寄りばかり」!?
経営難大学の生き残り方
■成澤 俊輔(なりさわ しゅんすけ)
1985年佐賀県生まれ。徐々に視力を失う難病・網膜色素変性症を持つ。視覚障害による孤独感や挫折感から大学在学中に2年間引きこもる。その後復学し、経営コンサルティング会社でのインターン経験などを重ね、2009年に独立。2011年12月、就労困難者の就労支援と雇用創造をするNPO法人FDA事務局長に就任。就労困難者の「強み」に焦点をあてた、相互に働きやすい環境づくりに取り組む。キャッチコピーは「世界一明るい視覚障がい者」。2016年8月より同法人の理事長に就任。2018年第8回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞・実行委員会特別賞を受賞。2020年3月に事業承継をし、現在は約60社の経営者の伴走を行う。