「AI社会に文系はいらない?」大学が抱える“学部の偏り”と社会実装の壁

新年度になった。学校や大学では新しい生徒や学生が入学してきた。彼らは新しい学習環境に不安を抱えながらもワクワクしていることだろう。そうした新入生の期待に、学校や大学は率直に向き合ってほしいところだ。
中には、新しいステージで、これまでうまくいかなかったことを払拭して、捲土重来を期す生徒や学生もいるだろう。一方で、新しい環境に馴染めるだろうかと不安に思う生徒や学生もいるだろう。地元を離れて高校や大学に通う者もいる。
まず、生活を整えることから始まるが、初めてのひとり暮らしに不安は大きい。通学にも不安がある。満員電車なんてごく一部の都会のものだ。どうにも慣れない。だから、電車の乗り降りに時間がかかったり妨げになったりして、新生活に慣れない人が多いため、ゴールデンウィークまでは朝の電車が遅れがちだ。新しい生活も朝起きることから始まる。ここがしっかりとしないとうまく1日を過ごせない。特に学校や大学のように「時間割」があるからだ。
学校や大学は彼らの期待や不安にいかに応えるのか。
栃木県小山市にある白鴎大学では「朝の慌ただしさから朝食を抜くことなく、1日の活力と規則正しい生活を送ってほしいことを願って」、例年、期間限定で100円で朝食を用意する。遠方から通う学生や下宿する学生にとってはありがたい生活支援策である。無料にしないところも評価できる点だ。いまやコンビニのおにぎりも1個100円では買えない。そこに100円でも対価を払って朝食を食べられる「ありがたみ」を感じてもらうことも教育としては重要なことだ。こうした学生への心づかいが、今年度も白鴎大学が定員割れを起こさず、地方にあっても募集が順調である裏付けにもなっている。
学校の授業はどうだろうか。
進学のたびに「学習ギャップ」が課題となる。これまで習ったことから、急激に学習内容の難度が上がる。このギャップが原因で、その教科科目を「嫌い」になってしまうことは多い。特に、数学や理科は、中学、高校と抽象度が増すため、この段階で学ぶことを放棄しがちだ。
さて、ここで本題だ。AI(人工知能)やデジタル技術の進化によって、日本の産業構造は転換を迫られている。もう30年以上前から「情報系技術者」の不足が課題だ。とは言え、当初から「数」では中国に圧倒的に負ける。だから「質」の勝負だと言われていたが、それも「数」による競争によって「質」を確保する考えだった。そうこうしている間に、少子化に突入。いまや「数」はどうしようもない。そうしたときにどう「質」で勝負するのか。先端的な技術開発は、少数精鋭にならざるを得ない。
その一方で「社会実装」に目を向けたい。
教育は社会の中にあって、社会の影響を強く受ける。ゆえに、産業構造の転換にともなって、教育も転換しなくてはならない。
産業構造が転換すれば、求められる人材も変わるのだが、これがなかなか難しい。
特に大学は素早く大きく舵を切るような構造にはなっていないし、簡単に大きく舵を切って良いものかといったところには議論があるだろう。ただし、残念ながら、私立大学では社会科学系学部が多い。多いというよりはいまや理工学系に比すれば多すぎると言っても過言ではないだろう。この構造も、社会からの要請であることは確かだ。
高度経済成長期から、主に私立大学は「サラリーマン」を社会、とりわけ経済界に求められた。その要請に忠実に応えた結果でもある。そして、簡単に大きく舵を切って、「社会科学系の学部を潰して理工系学部に転じろ」と要請されても、なかなか対応できない。
これまで大学の学部人気は、社会経済に呼応する形で変化してきた。
景気が良くなれば、社会科学系に人気が集まり理工系は不人気、景気が悪くなれば、社会科学系は敬遠されて理工系に人気が戻る。こうした傾向があった。
だが、今回の産業構造の転換は、AI技術の進展による大転換であり、景気に作用されるだけの問題ではない。社会の要請にともなって人材を養成してきた大学だが、果たして、今、大学はこの大転換に対応できるだろうか。ここでも情報技術の「社会実装」の観点を大事にしたいところだが…実現は容易ではない。
「AIには答えられない、感覚のバグらせ方」
物流業界のブラックな裏側
(文=後藤建夫/教育ジャーナリスト)