山口組「魔の8月」から10年…抗争終結の裏で囁かれる「代替わり」の噂

10年前の8月、誰も予測できなかった山口組の分裂が起きた。離脱した組織には、六代目山口組で有力団体だった四代目山健組や二代目宅見組などが名を連ねており、業界関係者の多くが当初は耳を疑ったほどだった。
山口組最高幹部逝去の衝撃
古くから業界関係者の間では「魔の8月」と呼ばれ、山一抗争(四代目山口組と一和会の間で発生した山口組史上最大の抗争事件)も1984年の8月に勃発。五代目山口組の若頭であった宅見勝・初代宅見組組長が中野会のヒットマンに暗殺されたのも8月だった。
このように、国内最大組織である山口組では、8月に事件が起こりやすいと言われてきた。そして10年前の8月、六代目山口組からの離脱組織によって神戸山口組が発足。六代目山口組は直ちに離脱した組長らを処分し、対立構図が出来上がることになったのだ。
「もしも六代目山口組を離脱した中に、五代目山口組時代に最大勢力だった山健組や、六代目山口組で最高幹部を務めた宅見組の名がなければ、ここまでの衝撃はなかっただろう。それほど山健組と宅見組は山口組内で伝統ある金看板だった。ただし、それも山口組あってこその存在だ。結局、山健組は五代目体制下で神戸山口組に参加後、六代目山口組へ復帰。二代目宅見組は神戸山口組離脱後、指定暴力団にすら指定されていない」(業界関係者)
神戸山口組の中核だった五代目山健組が離脱し六代目山口組に復帰したことで、神戸山口組の弱体化に拍車がかかり、現在は組織としての活動状況すら伝わってこない。それでも離脱組織は衰退しても解散していない。
「結成当初こそ、若い衆や山口組の将来のために謀反を覚悟して立ち上がったような大義を掲げ、世論を扇動した神戸山口組だが、今ではそれも空しく響くだけで、同調も得ていない状態となっています。だからこそ、他団体が六代目山口組に対し、神戸山口組との抗争終結を求める要望書を出したのでしょう。勝負はすでについていた。だが、六代目山口組は神戸山口組が存続する限り、武力行使の姿勢を見せていた。そうなれば、やはり当局の厳罰化がますます進む恐れがある。六代目山口組サイドとしては、離脱して処分された組長らで結成された神戸山口組を、ヤクザ組織としては認めていなかったものの、他団体の要望を受けて、分裂抗争を終結させたのでしょう。一方的に抗争終結宣言が出されるのは、ヤクザ社会で珍しいことではありません」(ヤクザ事情に詳しいジャーナリスト)
抗争終結宣言が当局に提出されてから、離脱組織に対する攻撃はピタリと鳴り止んでいる。それは魔の八月に入ってからも同様だ。そうした一方で現在、業界関係者の中で、昨今、囁かれ続けている噂がある。それが六代目山口組の代替わりだ。
六代目発足時から絶対的指揮官として若頭を務めた髙山清司相談役は、抗争終結宣言後、若頭職を三代目弘道会の竹内照明会長に譲り、自らは名誉職として新設されたポストである相談役に就任。そして、竹内若頭体制になると、次々と人事が動きだした。それは、七代目体制への布石ではないかという見方が業界内にあるのだ。
仮に竹内照明若頭が山口組の七代目を継承すれば、神戸山口組を結成した組長らが批判した「名古屋体制」が続くことになる。この点について、事情通はこう述べる。
「五代目時代、最大勢力は山健組であり、『山健組にあらずんば山口組にあらず』と言われるほど組織を拡大させていった。六代目体制になると司忍組長の出身母体である弘道会が勢力を伸ばし、若頭には髙山相談役が就き、絶対的手腕を発揮した。司組長、髙山相談役と続いてきた弘道会の系譜を竹内若頭が受け継いでいるのだ。トップの出身母体がその世界で勢力を拡大させるのは、ヤクザ社会に限らず、政治界でも経済界でも当然のことで、特に力を真髄とするヤクザ社会ともなれば、それがより一層、強くなるのではないか。早ければ11月にでも山口組で代替わりがあるのではないかという噂も出ている。ただこればかりは、いざ実現するまでは、どうなるかは断定はできない」
山口組は「菱のカーテン」と呼ばれる徹底した情報管理を行っており、重大なことは外部に漏れ伝わることがなく、情報漏洩に対しては厳しく罰してきている。それだけに真相は未確定でありながらも、多くの関係者が代替わりの噂を口にしていることは事実のようだ。
抗争終結宣言を出してからの六代目山口組の動きはまさに目まぐるしい。一方、離脱した組織の動きは聞こえてこない。
分裂から10年。分裂問題を解決させた六代目山口組は、大きく前進しているといえるだろう。
(文=山口組問題特別取材班)
山口組が導入した「若返りと安定」
六代目山口組と離脱組織の現在