六代目山口組弘道会が“無風”の代替わり…髙山相談役のDNAが継承された新体制

六代目山口組の中核組織である三代目弘道会が代替わりするのではないかという噂が業界内で話題となっていたことは、前回の記事でも取り上げたが、9月8日の大安吉日にそれが現実のものとなった。
これまで三代目弘道会会長を務めていた竹内照明・六代目山口組若頭が、四代目弘道会の総裁に就任し、竹内若頭から四代目弘道会を禅譲され、会長となったのは三代目体制で若頭を務めていた野内組の野内正博組長である。さらに、四代目弘道会若頭には、南正毅・三代目髙山組組長が就任したことが発表されたのだ。
七代目体制への準備強化か
「弘道会といえば、六代目山口組でも最大勢力です。山口組の当代である司忍組長が創設し、二代目弘道会会長である髙山清司相談役が、六代目山口組の絶対的指揮官として、発足当初から長年にわたり若頭を務めてきました。
髙山相談役が六代目山口組の若頭を務めていた時代に、三代目弘道会会長に就任したのが竹内若頭です。山口組の若頭ともなれば、極めて重大な役割。そのため、竹内若頭が六代目山口組の若頭に就任した際から、弘道会は四代目体制へ代替わりは時間の問題と見られていました。そして、後継として噂されていたのが、三代目体制で若頭を務めていた野内会長であると言われていたのです。野内会長はそう言われるほどの実力者ということではないでしょうか」(ヤクザ事情に詳しいジャーナリスト)
野内会長といえば、髙山相談役が創設した初代髙山組の出身で、同組で最高幹部を務めたのち、二代目弘道会への直参に昇格し、最高幹部を歴任。山口組分裂抗争の渦中に、髙山相談役が府中刑務所から社会復帰を果たすと、三代目体制となっていた弘道会の若頭に就任し、組織を牽引してきた人物である。
「六代目山口組の分裂は、髙山相談役が府中刑務所に収監されたタイミングを見計らうように、一部の直参組長が離脱して始まった。しかし、髙山相談役が戦線に復帰すると、圧倒的な武力で鎮静化され、幕が下ろされた。
髙山相談役のすごさは、それだけではない。すべては親分である司組長のため、そして山口組の将来を見据えた行動だったんだ。その証拠に分裂問題を解決したのち、自ら若頭の地位を後進に譲り、名誉職である相談役に就任し、次代を担う組織づくりを成し遂げた。
その髙山相談役の懐刀として初代髙山組で若頭を務め、二代目髙山組組長を務めたのが竹内若頭。そして、野内会長もまた初代髙山組の出身です。そして今回、四代目弘道会の若頭に就任したのが、三代目髙山組の南正毅組長だ。司組長のため、山口組の将来のために重責を全うしてきた髙山相談役のDNAを受け継ぐ親分衆が、次世代の重責に就いたことになる」(業界関係者)
権力に近い立場になると、誰もが私利私欲に走りがちだが、髙山相談役はそうではなく、すべてを山口組の未来と司組長のために尽くしてきたと、この関係者は口にする。そして、その背中を見てきた初代髙山組出身の竹内若頭が六代目山口組の若頭に就任し、四代目弘道会の会長には野内会長が就任した。それも、一切の綻びや不穏さを感じさせることもなく、見事に代替わりを遂げたのだ。
「力を真髄とするヤクザの世界において、代替わりの際に、内紛や衝突が起きるのは珍しいことではありません。特に、権力や勢力が絡む局面では、混乱が起きることは珍しくありません。しかし弘道会では、そうしたことを少しも感じません。それはすなわち、組織としての統率力が極めて高いという証左でしょう」(前出・ジャーナリスト)
四代目を禅譲された野内会長は、分裂抗争においても最前線に立ち、その名を全国に轟かせ、自ら率いる野内組の勢力を拡大させたことでも知られている。ある関係者は次のようにも語る。
「野内会長が京都刑務所に収監されていた時、まさに“武士”と呼ぶにふさわしい別格の存在だったとされています。受刑者だけでなく、刑務官からも敬意を払われていたという話があります。同様に、今回弘道会の若頭に就任した南組長についても、同じ工場で過ごした受刑者たちの話では、獄中での務め方が群を抜いていたといわれています。人の上に立つ親分は、中での務め方も他の受刑者とは異なる振る舞いを見せるということでしょう」
六代目山口組の中核組織の弘道会が代替わりを果たし、俄然、注目が集まる六代目山口組。ただ現時点で言えることは、次世代へと向かう準備が着々と進んでいるということだろう。
(文=山口組問題特別取材班)
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