<日本人のおっさん移民 ニューヨーク奮闘記>ジャークチキンの煙にむせぶブルックリン おしゃれな街の素顔を見る

<日本人のおっさん移民 ニューヨーク奮闘記>第2回
サラリーマン生活に見切りをつけて向かった先はニューヨークだった。身を粉にして働いた会社は60歳になった途端に冷たくなり、65歳定年なんて形だけだということを痛感した。転職しようとしても経験など全く考慮されず、社会から「黙って生きていればいいんだよ」と押さえつけられているようだった。もう日本のために働いてやるものか。今に見ていろ。移民として米国で働いて日本を見返してやる。
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タクシーや観光案内で乗車した日本人のお客さんに「ニューヨークのお薦め料理は何か」と尋ねられることがしばしばある。この質問に答えるのは非常に難しい。
ニューヨークスタイルのステーキかピザか。牛肩肉の燻製「パストラミ」のサンドイッチか。トマトベースのマンハッタン・クラムチャウダーか。はたまた、チーズケーキか。
ニューヨークらしい食べ物はあるにはあるが、今一つ目新しさがない。「ここでしか食べられない」というメニューが、どうしても思い当たらない。日本で言う「ご当地グルメ」を期待されると、言葉に詰まってしまう。
「人種のるつぼ」であるこの街では、世界中の食事が味わえる。しかし、独自の食文化となると「不毛地帯」だと思う。
それでも「変わったものが食べたい」という人には「ジャークチキン」を紹介するようにしている。カリブ海の島国ジャマイカの「ソウルフード」で、風味たっぷりのシーズニングに付け込んで焼いた鶏肉料理だ。
ニューヨークのブルックリンには、カリブ海の西インド諸島からやって来た黒人が多く住む「リトル・カリビアン」という地域がある。ここで最もポピュラーな食事はジャークチキンだ。観光客がほとんど訪れることがない地域のため、外の世界にはあまり知られていないが、ジャークチキンはニューヨークを代表する味である。
ブルックリンと言えば、日本ではおしゃれタウンとしてのイメージが強い。老舗百貨店で「ブルックリン・フェア」が開かれることもある。ただ、おしゃれと言えるのはマンハッタンに近い西側の一部だけだ。
ウィリアムズバーグやダンボは再開発され、気の利いた店やレストラン、ホテルが軒を連ねる。週末となればカップルや家族連れ、観光客でにぎわう。高級アパートが立ち並ぶブルックリンハイツはマンハッタンの摩天楼が一望できる好立地が魅力で、映画スターにも人気のハイソサエティな街だ。
しかし、ブルックリンは広い。マンハッタン側からブルックリンに入り、奥に行けば行くほど、飾らない素顔が見えてくる。
「リトル・カリビアン」一帯は元々、イタリア人やオランダ人、ユダヤ人らが多く住む街だった。1960年代以降、ジャマイカやガイアナ、トリニダード・トバゴ、ドミニカ共和国などからの移民が集まるようになった。奴隷としてアフリカからカリブ海地域に連れてこられた黒人の子孫だ。
現在では米国最大のカリブ海諸国出身者の街となった「リトル・カリビアン」には、街中にジャークチキンの店が点在し、路上で焼く露店も珍しくない。夕方になればチキンを焼く煙がもうもうと立ちのぼり、周囲を包む。日本の焼き鳥店のように道行く人々の胃袋をくすぐる。
漬け込むシーズニングの濃さがジャークチキンの味を決める。ネギ、タイム、ナツメグ、ライムジュース、砂糖、ニンニク、サラダオイル、黒コショウ、塩、オールスパイス(ジャマイカペッパー)のほかに、スコッチボネットと呼ばれるフルーティな唐辛子を刻んでミキサーでペースト状にするとシーズニングが完成する。
これを鶏のもも肉に塗り込んで、一晩、冷蔵庫で漬け置きすると、肉に味がしっかりと染み込む。この鶏肉を時間をかけてじっくり焼くと、香ばしいジャークチキンができ上がる。
持ち帰りの店でジャマイカの主食のコメと少々の野菜、時にはマカロニ・アンド・チーズと合わせて注文する。1食分10ドル以下で買える店が多く、物価高騰のご時世にはうれしい。ジャークチキンは想像以上にニンニクが効いており、食べれば食べるほど食欲がわいてくる。その一方で食後の腹持ちがいい。
「リトル・カリビアン」の繁華街は摩天楼が林立するマンハッタンとは別世界で、食料品や衣料品などが路上で売られるような混沌とした街だ。白タクの運転手からも声がかかる。ニューヨークにいることを忘れてしまいそうな街で「ニューヨークのお薦めの味」を食べるというのも、「何でもあり」のニューヨークに触れる瞬間である。
(文=聖生清重)