<日本人のおっさん移民 ニューヨーク奮闘記>あいさつと無駄話は身を守る武器 ぺちゃくちゃとウェットな米国人社会

<日本人のおっさん移民 ニューヨーク奮闘記>第3回
サラリーマン生活に見切りをつけて向かった先はニューヨークだった。身を粉にして働いた会社は60歳になった途端に冷たくなり、65歳定年なんて形だけだということを痛感した。転職しようとしても経験など全く考慮されず、社会から「黙って生きていればいいんだよ」と押さえつけられているようだった。もう日本のために働いてやるものか。今に見ていろ。移民として米国で働いて日本を見返してやる。
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ニューヨークで仕事を5つ掛け持ちしているが、そのうちの1つは「100%米国」の会社だ。本社所在地は米国。米国の消費者のためにサービスを提供し、米国の株主のために利益をあげるために米国人社員が働いている。
タクシーやライドシェアの仕事は人間関係にわずらわされないところが取り柄だが、孤独になり過ぎることがある。どこかで人とつながっていないと「都会の世捨て人」のようになってしまう。「それもどうか」と思うのと、「もっとカネが欲しい」との欲望から、米国の会社で働いてみようと考えた。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の精神は、日本にいたころから変わらない。この精神だけで何度も職場を変えてきた。めげずに応募しまくる。年を取ってもその効果は衰えることなく、今回も履歴書を出しまくっていたら、本当に当たった。
面接ではとにかく明るく、話しまくることにした。英語が母国語ではないというハンディキャップはあるが、弱点は隠していてもすぐに露呈してしまう。少々雑でも勢いで押し切る方が勝算は高まる。
とんとん拍子で面接が進み「ガッツポーズ」の連続だった。それでも、不採用の通知が来て落胆していたら、採用された人物が犯罪歴などを調べる「バックグラウンドチェック」で引っかかったようで、めでたく補欠のパートタイムで採用された。
オフィスに行って驚いたのは、米国人社員がよく話すということだ。昨夜何をしたとか、子どもがどうだとか、他人にしてみればどうでもいい話を、ぺちゃくちゃと話している。
オフィスに顔を出せば職場の仲間に「キヨシゲ」とファーストネームで呼ばれ、「ぺちゃくちゃの輪」に引き込まれる。タクシー業務で疲れていても、むすっとした顔をするわけにもいかず、こちらも身振り、手振りをふんだんに交えて「無駄話」に興じたふりをする。
「日本人は毎日、すしを食べているのか。うらやましいな」
「毎日なんて食べられないよ。高くなったからね」
「日本に行きたいんだ。本場のすしに憧れてるんだ」
「いつでも来いよ。案内してやるよ」
仕事に関係ない会話が1日のかなりの割合を占める。これまで日系企業の欧米のオフィスでの勤務が長く、どこもみな静かだった。それは日本人が物静かだからという訳ではない。欧米のエリートたちは、洗練された技能を持ち、無駄話などせずスマートに仕事をするものだという固定観念があり、自分たちもそれを真似ようとしていたからだった。
自分もそういう海外オフィスに慣れきっていたため、「100%米国」の会社の「無駄話」は驚きだった。
米国人は総じておしゃべりが好きだ。見知らぬ者同士でも、あいさつから始まって世間話にのめり込むことが多い。米国の田舎町に行けば、すれ違うたびに、初対面の人にあいさつする。ニューヨークなどの都心でもエレベーターに乗れば見知らぬ人にも「こんにちは」と声をかけることが常識的だ。
他民族国家である米国では、あいさつは自らの身を守る最大の武器だ。顔つき、肌の色、体格、体臭、話す言葉が違うことは、人間とって脅威となる。「こいつは自分に危害を加えようとしているのではないか」と疑心暗鬼になるのは、どんな人種でも同じだ。にこりとした顔であいさつすることは、相手の警戒を解き、こちらへの攻撃の姿勢を緩ませる。
米国の職場での無駄話も、自らを守る大きな手段だ。クビとなれば有無を言わせない米国の雇用形態の中で、職場で目立つことは重要だ。無駄話は上司に自らを理解してもらい、情に訴える手段となる。
タクシー業務の空港送迎で乗車した日本人観光客には、「学問のすすめ」ならぬ「あいさつと無駄話のすすめ」を説くようにしている。治安をことさらに気にするにもかかわらず、日本人は身を守るための人との接し方を習得していないからだ。
しかし、無駄話は人間関係をウェットにする。どうしても人の悪口になり、職場にいるのがいたたまれなくなることもしばしばある。新規顧客獲得のための接待もあり、「100%米国」企業も気を使う場面が多い。
こうなってくると気が重い。サラリーマンみたいな生活には戻りたくはない。オフィスも大事だが、ハンドルを握って勝負することが、やはり先決のようだ。
(文=聖生清重)