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沖田臥竜の直言一撃!

松本人志の「逆襲」が始まった!「DOWNTOWN+」は社会や報道に対する静かなる闘いだ

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ダウンタウン(写真:Getty Imagesより)

 「週刊文春」が一昨年末の特大号で報じるまで、ダウンタウンの松本人志氏こと、まっちゃんがテレビから消えるなんてことを、誰が想像することができただろうか。それは中居正広氏こと、中居くんもしかりである。ジャニーズ問題もそうだ。ジャニーズ帝国が崩壊するなんて、誰も夢にも思わなかったはずである。

 承知の通り、「週刊文春」がスクープとして世論を作ってしまうと、芸能界に君臨してきた有名人たちがネットで叩かれ、次々と消えていくことになった。えらく息苦しくて窮屈な世の中になったではないか。世間は不景気にもかかわらず、ネット上の罵詈雑言だけは大盛り上がりではないか。

【中居問題】誰にでもできる“断罪”

 だいたいなんなのだろう、あのネット民の無責任さは。そんなネット上の反応に、テレビ局の人間もいちいち右往左往しているが、私に言わせれば、あんなものは、思考能力が欠如した者たちの声に過ぎない。そうではないか。匿名で我こそ正義と勘違いした者たちが、罵詈雑言を書き散らしているだけなのだ。そんなものに過敏に反応するくらいなら、スポンサー企業も悪いことは言わない。今すぐテレビのスポンサーから撤退するべきだ。当たり前ではないか。テレビはスポンサーのものではない。観る側、つまり視聴者のものである。これは理屈ではなく、真理なのだ。

 もちろん、神経質なまでにイメージを気にするスポンサーの姿勢だけが問題ではない。マスコミの報道姿勢にも、大きな問題がある。なんならばそれがスタートだ。新しいものを作ろうとせずに考えることも諦めて、話題になるならばろくに取材をしないで、なんでも崩壊させてしまえみたいな報じ方が、本当に正しいと思っているのだろうか。

 そこに正義とは言わずとも、最低限の公益性と公平・公正があればまだ理解もできる。しかし、報じる側にはその意識すらなく、あたかも“正義”を掲げているかのようだ。

 仮に相手が反論や反抗してきたら、第二弾、第三弾と報じ続けるとするスタイルは、もはや暴力ではないか。少なからずの恐怖を与えている時点で、十分にそう言える。そもそも片側の主張に丸乗りして執拗に批判を続ける報道姿勢は、もはやジャーナリズムではない。繰り返すが、そのようなものは私に言わせれば、組織や報道の自由などという大義名分に守られた立場から放たれる「暴力」でしかないのである。

 少なくとも、同じマスコミ業界にいる私や私の友達たちは、スクープを打つときには、それなりの覚悟を持っている。それで世論が動き、話題となり、報じた相手に批判の目が向けられた場合、快楽を覚えるなんてことはない。待っているのは虚無感である。

 スクープを世に放つとき、「そこに伝えるべき事実がある」などという美辞麗句は、私は使わない。自己正当化のためにそんなことを言う者たちは、いずれ本当にそう思いこんでしまうのだが、そんなものは本来どうでもよい。そもそも公益性や正義に対する概念が違うからだ。
 
 いちいち自分の行動を美化したり、正当化したりする必要はない。仕事としてやる。それ以上でも以下でもない。書くことを生業にしている以上、私にしか書けないことがあって、その中でスクープを刺し込むこともあれば、「それはおかしい」と立ち向かうこともある。

 その区別もつかず、錯覚している記者やライターたちを私は軽蔑している。そんな人間に接するたびに人間的魅力のなさ、底の浅さに辟易してしまうのだ。だいたいそういう類いの人たちは心が屈折しており、取材で見聞きした話を、さも自分が経験したかのように勘違いして、すぐにかぶれて業界人ぶってしまう。そのような人間が書くものが果たして面白いだろうか。信憑性があると思えるだろうか。

「スクープを打つときは、前の晩から寝れずに酒の量が増えます……」
 
 長い付き合いの大手週刊誌で働く友人の言葉だ。これこそが、本来あるべき姿ではないだろうか。所詮、ジャーナリズムはヒット・アンド・アウェイである。仲良く付き合っているだけでは成立しない。   

 だからと言って、それをあたかも弱者を救済しているかのように立ち振る舞うのは、承認欲求の塊のネット民や「有名になれれば手段は問わない」と考えている一部のインフルエンサーと何が違うのだ。報道によって、対象者の人生を狂わせてしまうことだってある。それに対して、報じる側も最低限の責任を負って当然ではないのか。それらを背負ってこそジャーナリズムであって、ジャーナリズムは人様の不幸に快楽や喜びを感じるものではないのだ。ましてや、報道に携わる者が、スクープすることに、ヒロイズムを持つなどもってのほかである。受け手にとって、誰が最初に報じたかなど、どうでもいいことだからだ。自己陶酔すること自体がおこがましいのだ。

地元・尼崎とダウンタウンの記憶

 兵庫県尼崎市出身の有名人で真っ先に思いつくのが、間違いなくダウンタウンである。尼崎市出身の私にとって、ダウンタウンは誰より身近な存在と感じていた。

 例えば2人が通った尼崎市立大成中学校は、私の母校の塚口中学校の隣の学区だったし、2人が昔、漫才のネタとして使っていたサンサンタウンという商業施設は、私の地元であり、幼き頃からよく行った場所だった。

 高校だってそうだ。浜田雅功さんことハマちゃんが卒業した日生学園には、中学のときに体験入学で1日泊まったことがあるし、兵庫県立尼崎工業高等学校のまっちゃんの担任の先生は、後に私の友人の担任にもなった。私の周囲の尼崎の至るところにダウンタウンの足跡が残っているのである。

 だからといって、何かがある街という訳ではない。世間の評判やイメージとは異なり、穏やかな街だと思う。私には地元愛みたいなものが清々しいくらいないのだが、そんなごくごく平凡な尼崎という街から、私は筆一本で世へと出ていった。導いてくれる人も、応援してくれる人もおらず、人脈もコネもなかった。それでも悪戦苦闘しながら、自力で道を切り拓いてきた。

 ダウンタウンの2人も同じだ。笑いだけを武器に、尼崎から芸能界の頂点にまで上り詰めてみせた。大人になればなるほど、世に出て行けば行くほど、それがどれだけすごいことだったか、身に沁みて感じることができた。

 松本人志氏が芸能界から引退するのは、簡単なことだったと思う。もう財は築き上げたから、社会の雑音をシャットダウンして、悠々自適に余生を楽しむことだってできただろう。だが、まっちゃんは、公の舞台に復帰することにこだわり続けた。

 そこにはさまざまな葛藤や想いがあったと思う。ダウンタウンの復帰を信じて待つ多くのファンへの思いや、理不尽な扱いを受けてテレビから去ることになった悔しさだってあったはずだ。そして何よりも、「ダウンタウンの松本人志」として、このまま終われないという意地があったはずだ。

 まっちゃんは一昨年の「週刊文春」の特大号での報道から現在に至るまでの約2年間。復帰を画策しながらも、安易にYouTubeをしなかった。不祥事を起こし、テレビから消えた芸能人がYouTubeに主戦場を移すという風潮の中、まっちゃんはその道を選ばなかった。

 そうして、ダウンタウンの2人だからこそできた試みとして、「DOWNTOWN+」という独自の配信プラットフォームを立ち上げてみせたのである。これは2人にとって、新たな挑戦でもあると思う。

 同時にそれは、仮にメディアに吊し上げられ、社会的に抹殺されても、復帰できることを証明する試みでもある。スポンサーの顔色ばかりをうかがっているテレビ局なんかより、スポンサーをつけなくても自由にお笑いを提供できる場所を開拓しようとしているのだ。その配信が、いよいよ11月1日から始まる。まっちゃんによるお笑いの逆襲が始まるのだ。ダウンタウンはどんなことも最後には笑いに昇華してきた。その笑いにどれだけの人々が救われてきたか。

 それを考えたとき、我々にも問題があったのではないだろうか。ダウンタウンの作り出す笑いを当たり前のものだと思い過ぎていたのではないか。ダウンタウンに多くのものを与えられた者たちは、彼らがいざ立ち上がなければならないという時に、無責任に騒ぐ世論に対して、団結して立ち上がることができなかった。

 これまでダウンタウンの笑いで育ってきた世代なんて特にそうだ。それは観る側だけでなく、ダウンタウンの笑いに頼ってきたテレビ局もスポンサー企業にも言える。

 本当にダウンタウンの松本人志氏が生み出す新しい笑いをもう見なくてよかったのか。少なくとも私は嫌だった。客観的にみて、芸能界から引退しなくてはならない事態ならば、それは本人の責任であり、仕方ないことだろう。だが私には、「週刊文春」の松本人志問題の報じ方に釈然としないものがあった。だからこそ、まっちゃんの復帰を願い続けていた。

 小学生の頃、夕方からテレビでやっていた『4時ですよーだ』に小さな胸をわくわくドキドキさせていた。あの時と同じ高揚感を感じることができている。

 今、ダウンタウンの松本人志の新しい挑戦が始まろうとしている。

(文=沖田臥竜/作家・小説家・クリエイター)

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沖田臥竜

作家・小説家・クリエイター・ドラマ『インフォーマ』シリーズの原作・監修者。2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、小説やノンフィクションなど多数の作品を発表。小説『ムショぼけ』(小学館)や小説『インフォーマ』シリーズ(サイゾー文芸部)がドラマ化もされ話題に。調査やコンサルティングを行う企業の経営者の顔を持つ。

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最終更新:2025/10/20 18:33