エンタメプロデューサーさいばひでおみ「成功を引き寄せた潜在意識への働きかけ」
![[入稿済み]エンタメプロデューサーさいばひでおみ「アメリカで成功し次はアジアで狙う催眠術」の画像1](/wp-content/uploads/2025/04/20250403-cyzoonline-column-ishikawamutsuo-02.jpg)
「制御システム」や「電子機能システム」を専門とし、特に超音波工学と圧電材料学に精通する桐蔭横浜大学専任講師・石河睦生が、“なぜか不思議と幅広い”ネットワークを活かし、「都市伝説になるかもしれない」事業家・アーティスト・科学者を紹介する本連載。
その第6回に登場するのは、L.Aやラスベガスで公演を成功させ、今度は培ったノウハウを活かして、アジアでのエンターテインメントを作り上げているさいばひでおみさんです。
多くのエンターテインメント事業者が海外でも事業成功を狙っている今、先に各地で成功を収めてきたさいばさんに、「日本人には絶対無理」といわれたイリュージョンの本場・ラスベガスでの成功の過程やそのメンタリティー、日本人の海外事業におけるポテンシャルなどを聞きました。
石河 さいばさんは、日本国内でもエンターテインメント関連の制作をたくさんやられてますけど、15年前にラスベガスでプロジェクトを成功され、今は東南アジアで現地の人と組んでショーを制作しています。今、円安で海外に日本の製品を輸出していこうという時期に、日本製エンターテインメントが出ていく余地はあるのでしょうか? また、あったとしても、どうやって出してったらいいのかとか全くわかりません。その辺をどうお考えで、実際にどう感じ取られて、どこを目指していくべきなのでしょうか? 今回はそのあたりのメンタリティの部分について、実際にさいばさんがご経験されてきたことを交えながらお話を伺えたらと思います。
さいば マジック・キャッスルへの出演から、ロサンゼルスのほかのシアターでも人気を得ることができて、次は「ラスベガスに挑戦しよう」と考えるようになりました。まずは、ラスベガスのどこかの劇場でショーをやることが目標でした。
そのときふと思い出したのが「六次の隔たり」という理論です。人は6人を介せば、世界中の誰とでもつながることができる、という仮説ですね。
この理論を信じて、自分の携帯に登録されていた少なくとも500人の連絡先を一人ひとり見直しながら、「ラスベガスの劇場に関わっている人や、つながりのある人はいないか」と探しました。ロサンゼルスの放送局の関係者、ラスベガスの旅行会社の人、その人の知り合い、そしてその友人…とたどっていって、本当に7人目で、ラスベガスのあるシアターのオーナーにたどり着いたんです。
そこで僕たちはオーディションを受けさせてもらいました。ただ、そのシアターはバラエティ系で、コメディ色の強いショーが中心だったんですね。僕たちのショーはどちらかというとストーリー性のあるスタイルだったので、「ちょっと雰囲気が合わないですね」と、オーディション後に出演を断られてしまいました。
それから半年ほど経ち、お金もだんだん底をついてきて「もう諦めようか」と思っていた頃、当時現地でマネージャーをしてくれていたマイクさんがこう言ったんです。「昔働いていた劇場が売却されて、新しく“デイビッド・サックス(David Saxe)”が買うらしいよ」と。その“デイビッド・サックス”というのは、以前「君たちのショーはこのシアターには合わない」と断ってきた、あのオーナー本人だったんです。
それを聞いてすぐ、僕はマイクさんに「それならすぐ電話して! あそこの新しい劇場だったら、僕たちのショーと絶対に合うから!」と頼みました。マイクさんがその場で電話してくれたところ、デイビッド・サックスも僕たちのことを覚えていて「ああ、日本人のあの子たちか。今回の新しいシアターなら、あの子たちのショーにぴったりだから、ぜひお願いしたい」と言ってくれたんです。
こうして、僕たちのラスベガスでの公演は、その場で決まりました。
石河 へえ! 今のお話だけでも成功していくポイントやキーワードが詰まっている気がします。いかにもチャンスがタイミングで降ってくるようにも聞こえますが、実はそれを引き寄せるまでの蓄積があるんですね。結果だけを聞くと「いいタイミングだったんですね」みたいな感想になりますが、その裏でちゃんと人を頼って、引き上げてくれようとする人との出会いの連続の中で、最終的に目標にたどり着く、と。それを実践されてきたのが素晴らしいですし、非常に伝わってきます。
さいば 何度か「もう諦めようかな」と思うタイミングはありました。でも自分の中では、「絶対に成功するまでは日本に帰らない」って決めてアメリカに行ったんです。すべてを捨てたわけではないけど、それくらいの覚悟で向かいました。
僕は、自分の携帯電話の待ち受け画面を、デイビッド・サックスのシアターの写真にしてたんですよ。それだけじゃなくて、現地スタッフ全員の携帯の待ち受けも、みんなが「ここでショーをやりたい」と思ってるシアターの写真に替えてもらったりしてました。そういうことまでやってましたね。
石河 それ、さいばさんらしいですね(笑)。本当にすべてが常に、ご自身の目標に向かってますよね。アタッシュケースの話もそうですけど、常にパスポートを入れてるのって、単に「いつでも旅行に行けるように」ってことじゃなくて「仕事でチャンスが来たときに、すぐに動けるようにしてる」という心構えなんですよね。つまり、自分の“無意識”まで、すべてを目標に向かわせてる。そのあたりが、ちょっと“変態的”というか、本当にすごいなと思います
さいば でもね、逆に挫折っぽい話になるんですけど、ラスベガスに向けて都合2005年からアメリカを目指し始めて、2010年に達成したんで、約5年間でラスベガスに到達しました。 その間、いろんな勝負もできたし成功して、ふと「エベレストの頂上に登ったら、次はどこの山に登ればいいんだ?」ってなったんです。
石河 燃え尽きちゃったみたいな感じですか?
さいば 燃え尽きたというか、それ以上高い山がもうどこにもないじゃんって思っちゃったんです。例えばロサンゼルスからラスベガスに行って、「じゃあ次はニューヨークで…」というのも、なんだかコピーして再利用するみたいに感じて、情熱が湧かなくなったんですよ。そこから10年ぐらいまではちょっと迷走していました。
石河 2010年から10年って、つい最近までですよね。その間、お付き合いをしていて僕にはそうは見えなかったな。
さいば 結局、僕たちはラスベガスで約1年間、単独公演を続けました。でもその当時、リーマンショックとその余波もあって、ラスベガス全体に訪れる人が減ってきていたんです。このまま続けても、利益にならない可能性が出てきて、「この先どうするか」を考えるようになりました。
しかも契約書には、「たとえ同じラスベガスであっても、もう一度公演をやる場合は9カ月以上空けないとダメ」という条件があって。それなら、一度日本に戻ろうかという話になったんです。
ちょうどそのタイミングで、2011年に東日本大震災が起きました。結果的に、あの時期に日本へ戻ってこられたのは、ある意味で“良いタイミング”だったのかもしれない、と思っています。
燃え尽きたのではなく、次に登る山が見当たらない状態
石河 日本に帰ってきたあと、「海外でショーを成功させた」という実績で注目も集まりましたよね。それ以外にも面白い企画や活動をされていましたけど、実は裏では、燃え尽きたような状態が続いていたんですね。
それでも、仕事は淡々と続けていた…。普通なら、燃え尽きてしまったら、表にもそれが出てしまうことが多いと思うんですよ。でも、さいばさんの場合は、燃え尽きているようには見えなかった。そこが、誰よりもタフだなと思います。
さいば やらなければならない仕事がたくさんあった、というのが大きかったんじゃないかと思います。その中には小さな目標もあって、そういうことを一つひとつこなしながら、なんとか日々を過ごしていた、という感じだったんだと思います。
やっぱり今こうして話していて思うのは、その「燃え尽きた」感覚を、少し違う角度から見てみると、実は「もっと大きなエベレストはないか」と探していた、というほうがしっくりくるかもしれません。
つまり、次に登るべき山を探していた。もしかすると、それは月にあるような、とてつもなく大きな山かもしれない。そういう、“次の挑戦”がまだ見つかっていなかったんです。だから、自分の中で本当にしっくりくる「次の山」を探している状態だった。そう表現するほうが、当時の気持ちには近いと思います。
石河 大きな目標って、次にすぐには見つからないですかね。
さいば 「次の山はどこだ」というときに、またアメリカに何年も行こうという気はなくなって。そうすると、その山は消滅するんですよ。 「他にもっとないのかな」という考えにいきつくのが、連続しちゃう感じです。
石河 同じことの再生産ではもう、興味がもてなくなってしまったということですね。
トップ俳優との写真に留学生もびっくり! アジアで見つけた違う形の成功
石河 そんなさいばさんが今度は東南アジアへとシフトして、現地のベトナムでは有名になりつつあります。僕の学生で、ベトナムからの留学生に、さいばさんがベトナムの有名な俳優さんと撮ったツーショット写真を見せたら、とても驚いてたんですね。そのベトナムの留学生は「この俳優さんはめちゃくちゃ有名な人ですよ!」と言っていました。そういう方とお付き合いされながら、現地に赴いてプロジェクト進められていますよね。燃え尽き期間が終わった今、どういうモチベーションですか?
さいば アメリカでショーをする、生活するって、やっぱり日本人にとっては“アウェイ”なんですよ。アメリカンドリーム的な雰囲気で魅力的に見える一方、実際に現地に行ってみると、乗り越えなければならない壁が本当に大きいと感じます。
ラスベガスでは単純に、日本のエンターテインメントが低く見られているという現実もありますし、たとえば僕らが現地で生活するために家を借りるとすると、水道を引くだけでも、保証金(デポジット)を3倍も取られたりするんです。こういった「外国人扱い」を実感する場面が多くて、アメリカは決して簡単な場所ではないんですよね。
石河 「よそ者」扱いされる場面がある、とは聞きますね。
さいば 一方で、東南アジアに行くと、受け入れてくれる人のほうが多いんです。「こういうことをやりたい」と話すと、「いいね、それ面白そう!」とすぐに反応があって、「一緒にこの国の芸能や文化、エンターテインメントを盛り上げていこう」と言ってくれる人たちがたくさんいる。その熱量が、目に見えて伝わってくるんです。
もちろん、アメリカにもそうした前向きな人たちはいますが、精神的なフィット感という意味では、アジアの人たちの熱意や情熱のほうが自分には合っているなと感じます。
石河 すでにエンターテインメント業界が完成してるアメリカとは違う熱量ですね。
さいば ベトナムで1万人規模の会場でショーをやったことがあるんですが、そのときにとても印象的だったのが、客席の前方には裕福な家庭の人たち、後方には一般的な家庭の人たちがいて、いわゆる中間層がほとんどいなかったんです。
後ろの席は、日本円にして300円とか500円くらいで、ステージの演者なんて“豆粒”のようにしか見えない。それでも、みんなが楽しみに来てくれている。その姿を見たとき、「この会場にいるすべての人が、心から楽しめるものを届けたい」という想いが強くなったんです。
日本のエンターテインメントや芸能文化を通じて、現地の人たちと一緒に何かを育てていけたら面白い。そして、貴賤貧富に関係なく誰もが楽しめるような空間を作っていきたい。そう感じたんですよね。
だから今は、東南アジアの仲間たちと一緒に「次は、お金持ちの子も、そうでない子も、みんなが笑顔になれるようなショーを作っていこう」という目標ができました。
日本人が海外で成功するために知るべき、うまいところと下手なところ
石河 そんな中で今、日本のエンターテインメントを海外へという流れを国全体でバックアップし始めていて。例えば総務省がデータを作ったりしてるじゃないですか。やっぱりその勝機はあるんですか?
さいば ちょっと話が逸れるかもしれませんが、「日本のエンターテインメントを海外へ」の前に、思うことがあるんです。日本人って、一人ひとりのベースにある素質が高いせいか、物事を吸収する力がすごくあるんですよね。
たとえば、僕たちがアメリカに住んでいたときの話なんですが、荷物を運ぶことになって「このトラックの中にこの荷物を全部入れよう」と考えたとき、僕らはちゃんと効率よく詰めることができる。でも、現地の人たちはうまく詰められないんです。どうやって隙間なく入れるかっていう「空間の計算」ができない。
この感覚って、実はイベントやショーの作り方にも通じてるんですよ。「こうすれば余計なリハーサルは必要ないじゃん」って思うような場面でも、向こうでは無駄にリハーサルを重ねたがったりするんです。実際、ラスベガスでもそういう文化があって、プレオープン(仮オープン)とグランドオープン(本オープン)が分かれていて、リハーサルを兼ねた“お試し公演期間”を2週間くらい取るんですね。「この期間は正式な評価はしないでください。その後のグランドオープンから本番です」というスタンスなんです。
でも、日本ではそんなこと絶対にしないですよね。初日がいきなりグランドオープン。本番一発勝負が当たり前です。
あとは、照明ひとつ作るにしても、「そんなに時間かかる?」と思うことが多いんですよ。こっちからすると「これ、10分でできるよね?」って感じることでも、丸一日かけて作業していたりする。
石河 プレオープンって実はそういうことだったんですね。なるほど〜(笑)。
さいば 日本人の能力は高いのに、そういうマーケットへのうまい載せ方を知らないとも思いましたね。トヨタの車なんかも海外で品質が評価されるじゃないですか。それってやっぱり完璧なものをちゃんと作れるからですよね。エンターテインメントにしてもその力を持ってるのに、海外に出していける力を持ってないから、評価されてないだけなんじゃないかなって思うのがひとつ。
あとはその逆側で、日本のそのエンターテインメントで海外ーー例えばアメリカのほうでは受けない振り付けや動きがあるんですよ。日本では当たり前のパフォーマンスでもその国の嗜好にちゃんと合わせて、振り付けしたり、ストーリーを作ったりしないといけない。イベントのポスターひとつとっても、受けやすいアイキャッチになるようなものを作ったりできれば、多分マーケットにのせていけます。今の日本人のそういう感覚だけで何かやろうとすると「それはちょっと難しいんじゃない」って僕もは思います。
石河 総合力や潜在能力は高いのに、マーケットへの載せ方が下手なんですか?
さいば 要は向こうのマーケットや嗜好を調べてなくて、現地の人が好まない振り付けとか見せ方をしちゃうんです。だから、ベトナムなどでよく言われるんですけど「日本人は橋とか道路とかガソリンスタンドとか工場とか、そういうものはいっぱい作るけど、その上に乗っかるもの、 エンターテインメントやコンテンツを全然、持ってこない」と。韓国は逆に、土台になるようなものよりも、上に乗っけるものをどんどん作って今、世界でヒットしている。そういう違いがあるんです。
石河 これ、前回の最初の話にもつながりますがさいばさんは、目的の達成のために現地に合わせて変わっていけるんですよね。もしも変えられない人は、そういう人と組んでやっていくしかない。それが最初のテレビの制作を変えたとことからずっとつづいているんですね。
だからベトナムや東南アジアも、エンターテインメントのショーを作るために向こうに行ってらっしゃるんですね。
さいば そうです。ショーだけではなくて、本当にいろんな日本の文化やエンターテインメントを持っていくことです。 例えば今のこのショーであれ、アニメであれ、音楽であれさまざまありますけど、そういったものを持っていって実際に現地でやっています。
石河 ジャパン・エキスポみたいなものですか?
さいば ちょっとちがって、かっこよく言えば、シルクド、ソレイユが日本に来るみたいな感じです。
石河 1個の総合エンターテインメントであって、博覧会ではない。
さいば ですね。博覧会のような形式も良いと思いますが、それはすでに他の方がやっているので、 僕らはベトナムだったらベトナムの人と一緒にやっていこうとしています。だから日本人は誰もいないです。
この間、僕らがベトナムでやってきたそのショーは、ハノイの文化局が後押ししてくれました。現地では国営企業がサーカスの会社をやっていたりするので、そういう企業と一緒に組んで、向こうのシアターでやったりして。「ここに日本人が立ったの初めてだよ」といわれたりもします。今はショーだけではないと思ってます。
(構成=石河睦生)
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■さいば・ひでおみ
ゼンプロコーポレイテッド株式会社代表取締役。テレビ番組やCMの映像、エンターテイメントの制作を手掛ける。経営理念は「最高の人材」「最大の価値」「感動の波紋」。日本人アーティストとして初めてラスベガスで1年間の長期単独公演を実現した女性デュオ・イリュージョニスト「Ai and YuKi」のプロデュースをはじめ、海外でのエンタメ制作に実績を持つ。