映画『正体』が示す不朽の名作の条件―スクリーンに刻まれた「今」

小さい頃は、今よりも映画館が特別な場所だった。映画館にはワクワクやドキドキがたくさん詰まっていて、大人になってからも、劇場で私はその余韻を心地よく感じている。
元ジャニタレントとの共演続く女優の謎
私が生まれ育った兵庫県尼崎市の塚口という街には「塚口サンサン劇場」という映画館があって、家から歩いて行くことができた。そこで、夢中になって『ドラえもん』にのめり込み、小学校高学年になると『ビー・バップ・ハイスクール』に小さな胸を興奮させて、大きくなっていった。彼女ができるとデートはいつも映画館だった。大好きな映画『スワロウテイル』を観たのも、塚口サンサン劇場だった。塚口で育った人にとっては、それが特別なことではなく、ごく身近な当たり前のことだったと思う。
あれから30年近くの歳月が流れ、街並みもずいぶんと変わり、塚口サンサン劇場に届く新作の本数も寂しくなった。それでも私は、数年に一度は地元に帰り、塚口サンサン劇場で映画を観ている。映画を観るというよりも、思い出の中で疲れた身体を癒しているのかもしれない。それも私にとっては大切な時間だった。
映画『正体』のレビューの依頼があった日のことだった。開いたXで、『正体』が塚口サンサン劇場にやってくることを知った。塚口サンサン劇場のXのアカウントは大いに盛り上がっていて、私も嬉しくなってその投稿をリポストした。
不朽の名作とは語り継がれる作品のことであるが、それと同時に、今の時代を彩り、強烈な印象を刻みつける物語でなくてはならないと思う。そんな作品だからこそ何年経っても色褪せないのではないか。
『正体』は、まさに今という時間をスクリーンいっぱいに映し出している。これ以上の映像は今の時代にはないだろう。それが私は藤井道人監督の真骨頂だと思う。映画『余命10年』でも映画『宇宙でいちばんあかるい屋根』でも『ヤクザと家族 The Family』でも藤井監督は今を常に刻みつけてきた。
藤井監督と主演を務めた横浜流星さんは、時代の最先端を走っている。日本映画界が「この国には、藤井道人と横浜流星がいるのだ!」と誇り、叫びたくなるほど、まばゆいほどの疾走を続けている。
止まる時間、動き出す感情
藤井監督がメガホンを取ったある映画のエンディングについて、私は藤井監督にこう尋ねたことがあった。
「最後の主人公の表情は、どういう意味なのですか?」
そのラストシーンには、セリフはなかった。これまでに観たことのない演出だった。どうしても私はその答えを知りたかったのだ。
「あれは、観客の人たちにそれぞれの答えを出してもらいたいんです」
その言葉が、何年経っても私の脳裏に焼き付いていた。そして私は『正体』でその答えを見つけることができた。すべての点が繋がったのだ。ここで、その内容についてはあえて多くを語らない。見ればわかるからだ。
藤井監督と横浜流星さんは『正体』のクライマックスで、すべての時間を静止させた。観ているすべての人々の時を止めてみせたのである。
そして、ゆっくりと時計の針が正常さを取り戻した時、視界が揺れて湧き上がる熱い塊が一気に押し寄せる演出を作り上げたのだ。偶然ではない。それは必然であった。藤井監督は観る側の感情の起伏をコントロールして見せたのだ。
『正体』は、今年の第48回日本アカデミー賞において最多12部門、合計13の優秀賞受賞という、文字通り賞を総なめにして歴史を塗り替えに来ても、私には驚きはなかった。なぜならば、当然だと感じたからだ。
確かに、必ずしもよい作品が評価されるとは限らない。芸術や文芸というものには正解がないのだ。時を経て評価される作品もあれば、日の目を見ることなく世の藻屑へと消えて行く作品も珍しくない。
だが冒頭でも述べたが、不朽の名作は違う。語り継がれる作品というのは、今、評価されなければならない作品なのだ。
今、この時代の最高峰に君臨するからこそ、美しいのである。
映画『正体』は今という時代を生き、今を強烈に刻みつけている唯一無二の映画である。
(文=沖田臥竜/作家・小説家・クリエイター)
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