2026年WBC代表当確!? 今井達也の覚醒の始まりは夏の甲子園だった! プロで花開いた者、散った者…甲子園の“怪物”たちのその後
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甲子園で注目を集めた高校野球の「怪物」たち。高校時代に球史に名を刻んだ選手の中には、プロでも第一線で活躍した者がいれば、高校時代ほどの成果を挙げられずに引退した者、あるいはプロ入りに至らなかった者もいる。
甲子園で伝説となった彼らの分岐点は、いったいどこにあったのか? そして、プロの世界でも通用する選手に共通するものとは何か? こうした問いに向き合い、分析を試みたのが、野球著者・ゴジキ氏による新刊『データで読む甲子園の怪物たち』(集英社)である。
本記事では、その内容の一部を抜粋・再構成し、名選手たちの甲子園での実績や飛躍のきっかけをもとに、「怪物」と呼ばれる条件、変化するスター像、そして球児たちのキャリアのあり方について掘り下げていく。
チームを54年ぶりの優勝へと導いたエース
2016年の甲子園は、長い高校野球の歴史で時代がまたひとつ変わった瞬間であった。それまでは注目度の低かったひとりの投手が、この夏で一気に成長した。
そのシンデレラボーイは作新学院の今井達也(現・埼玉西武ライオンズ)だ。
春までは制球難で球速もそこまで出ておらず、県大会で決勝にも進めないほどであった。しかし、これは「結果的に『今井隠し』と言われたんですけど、そうではないんです。今井に頼らないで、入江と左腕の宇賀神の2人で春は勝っていくと決めました。
今井は関東大会へ行けたらそこからで、負けたらトレーニング期間にすると。チームには入江と宇賀神、(内野手の)藤沼の3人で県大会で優勝しようと言ったんです。エースは今井かもしれませんが、それは夏。春は入江がエースで頑張っていこうと」と監督の小針崇宏氏の意図もあったそうだ。
その結果、「『ピッチャーはマウンドでひとりだ』と、冬の間は孤独を味わわせるようになるべくひとりで練習させました。野球はピッチャーが頑張らないと勝利するのは難しい。ピッチャーにしかできないことがあるわけで、そこをひとりで乗り越えてほしいと。
『自分に向き合う時間が長くなれば長くなるほどいい』とも伝えました。春になって、今井は心身ともに中身の詰まったピッチャーになってくれたと思います」と評価するほどになったのだ。
3年生の夏までに3倍成長
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このときの今井に監督である小針氏は「チームのために投げる意識」を与えた。それにより、球速にこだわっていた部分がなくなり、制球も意識するようになった。
「個人的な意見ですけれど、球が速い投手は監督にとってみると、決して面白くないんですよ。フォアボールか三振という両極端の結果となりがちで、試合全体で見たときにプラスになることが少ない。
そういう意味ではかつての今井も〝使いたくない〟投手でした」とコメントするように、安定感がない投手は一発勝負が多い高校野球では、代え時を含めた起用法が難しく感じる。そのため、小針は今井に練習試合で、140㎞/h超を出すのは禁止し、力のコントロールを練習させた。
その結果、制球力が向上し、夏の甲子園を一人で投げきって優勝できるレベルにまでなった。「2年の時の今井は、3イニングは持たせられるくらいの選手でしたが、3年夏には9イニングを任せられる投手になった。単純に考えて、3倍成長したということです」と小針氏は述べた。
夏の県大会では、相手を圧倒的な力で抑えるほどではなかったものの、21回2/3を投げて35奪三振と驚異的な奪三振率を記録し、チームを甲子園に導く。そして、今井は甲子園に入ってから急速に進化した。
大会の前評判で作新学院は「打撃のチーム」と評価されており、今井自身も履正社・寺島成輝(元・東京ヤクルトスワローズ)、東邦・藤嶋健人(現・中日ドラゴンズ)、広島新庄・堀瑞輝(現・北海道日本ハムファイターズ)、横浜・藤平尚真(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)といったほかの好投手と比較すると、知名度はまだない状態だった。
しかし、初戦の尽誠学園戦、今井は別人のような姿で9回13奪三振の完投。圧巻の投球を見せた。おそらく尽誠学園の打者も戦前の予想とは打って変わり、驚愕のボールを見せつけられたのだろう。
今井は3回戦の高橋昂也(現・広島東洋カープ)、千丸剛、西川愛也(現・埼玉西武ライオンズ)を擁する花咲徳栄戦でも、さらに進化を遂げる。
戦前の予想では、今井対高橋の投げ合いであったが、花咲徳栄の先発は綱脇慧だった。作新学院は綱脇を2回に攻略し、一挙5点をあげて今井を援護する展開に。その後は今井の奪三振ショーで試合が進み、9回を投げて10奪三振・2失点で勝利した。花咲徳栄からすると、高橋を温存したことが裏目に出た結果となった。
甲子園で自己最速の152㎞/hを記録
準々決勝は、早川隆久(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)を擁する木更津総合との対戦となった。作新学院は序盤、2試合連続完封している早川から入江大生(現・横浜DeNAベイスターズ)の3試合連続弾を含む2本のホームランで3点をリードする。
今井は7回に1点を失うものの、ピンチでは牽制でランナーを刺すなどして切り抜ける。また、8回も味方の守備にも助けられてピンチを凌ぐ。最終回には152㎞/hを記録するなど9奪三振。好投手同士の投手戦を制してベスト4入りを決めた。
準決勝は馬淵史郎監督が率いる明徳義塾戦だったが、序盤から大量リードの展開になり、今井は決勝に備えて初めてマウンドを譲りつつ10対2で勝利して決勝進出を決めた。
ついに決勝を迎え、炎天下で投げ続けた疲れからか、今井は初めての先制点を与える。しかし、一切動じる様子はなかった。試合序盤こそ調子が出なかったものの、中盤から球速を上げていき、本来の調子を取り戻す。最終的には9奪三振を記録して作新学院を54年ぶりの優勝に導いた。
「成長率で勝負しよう」と言うように、チームの目標を体現したのが、今井自身だった。2015年の夏は栃木大会で登板するも甲子園でメンバーを外れる屈辱を味わった。最速144㎞/hでも、制球難がつきまとった。
秋は県4強で、春も8強。「関東大会にも出られなかったのに、甲子園優勝なんて奇跡と思うくらい信じられない」。今井自身が、成長に驚きを隠せなかった。
この大会の今井は球速が一気に上がったことで成長を遂げたが、それだけでなくゲームメイク力や相手を圧倒する力が一気に開花したと言っても過言ではない。さらに、この時代には珍しく速い変化球を上手く活かして空振りを取る場面が随所に見られた。
ちなみに2010年代後半の夏の甲子園において、ほとんど一人で最後まで投げ抜いた投手は今井だけである。
その今井は、現在西武のエースとしてマウンドに立っている。2024年には最多三振奪取投手賞を獲得。最速159㎞/hを記録するなど順調にプロの世界でも成長している。
高校時代は、甲子園終了後にU-18の活躍もあったが、近い将来WBCの舞台で活躍することにも期待したいところである。
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(文=ゴジキ)