皇室に風雲急!? 紀子さま「異例の1万2,000字文書」から“抜け落ちたもの”
文春によれば、ポスト石破レースの号砲がなった当初、小泉の「不出馬説」が流れていたというのだ。
政治部記者がこう語っている。
「『原因は菅義偉副総裁にあったようです。八月に小泉氏はコメ改革の説明という名目で、麻生太郎最高顧問と会談。このとき、総裁選になった際の支援を暗に要請したと言われています』
コメ政策では農協から反発も受けた
こうした小泉氏の動きを嫌ったのが菅氏だった。
『菅氏と麻生氏が不仲なのは有名で、昨秋の総裁選の決選投票で菅氏が石破茂氏を支持した一方、麻生氏は高市早苗氏を支援。結果、高市氏が敗れ、麻生氏は非主流派に甘んじることに。麻生氏としては、小泉氏の方から近寄ってきたのは悪くない』(同前)
二股をかけられた菅氏は、周囲にこう語っていたという。
『今回の総裁選、進次郎は出ない方がいいだろう』
そんな声が漏れ伝わったことで、不出馬説が一気に流れ出したというのだ」(文春)
だが小泉の総裁への意欲は強かったというから、押し切ったのだろう。
昨秋の総裁選では序盤でつまずき支持率を落としていた。
「最大の原因は掲げた政策にある。一つは小泉氏が滝川クリステル氏と結婚して以降、折に触れて主張してきた選択的夫婦別姓制度だ。出馬会見でも選択的夫婦別姓制度を認める法案を提出するとぶち上げたが、党内の保守派から批判が大噴出したのだ。
滝川氏が生まれたフランスは夫婦別姓が原則
もう1つ、解雇規制を巡っては、『規制を見直す』と主張した。だがリストラ推進策だとの懸念が一気に広がり、すぐに『緩和でも自由化でもない』とトーンダウン。さらに、
『選対本部を全面ガラス張りの瀟洒なビルに構え、そこに報道陣を突然呼びつけて記者レクを始めた。そんな居丈高な選対の姿勢も不興を買った』(政治部デスク)」(文春)
その轍を踏むまいと、
「小泉氏と親しい木原誠二選対委員長がブレーンとして陣営を指揮していますが、夫婦別姓にも解雇規制にも触れず、目立たぬよう無難な政策を並べる方針です。民放番組の討論会にもできるだけ出席しないほうがいいのではないかという案まで出ているようで、ステルス作戦で行くんだとか……」(政治部デスク)
さらに強力な援軍も加わった。
「加藤勝信財務相です。彼は二〇一二年、安倍晋三氏が首相に返り咲いた際に支えた議員連盟『創生日本』のメンバー。同議連は夫婦別姓に断固反対を唱えている。加藤氏を選対本部長に据えることで、保守層を取り込むことができる。加藤氏は菅氏と麻生氏の両者と関係が良く、いい繋ぎ役にもなるはずです」(同前)
SNS戦略も駆使するそうだが、中身のない本質が変わろうはずはない。彼を担ぐ連中にとっては、「神輿は軽いほうがいい」という腹なのだろう。困ったものだ。
残りの林芳正、小林鷹之、茂木敏充は論ずるに足りないだろう。私は秘かに、岸田文雄がバックにいる林は、もしかするとと思っているのだが。1回目の投票で小泉が高市に負けた場合、決選投票で岸田が“リベラル派”に呼び掛け林でまとまる。よほど総裁選が荒れた場合の超ダークホースという位置づけだろう。
ここからは新潮が2本続く。まずは、あの小室圭が「ボルボ」を購入して、眞子さんと赤ちゃんを乗せてよく出かけていると写真付きで報じている。
小室夫妻は、秋篠宮悠仁さんが「成年式」を滞りなく終えた特別な日に、ボルボを運転して出かけていたと特集を組んでいる。
小室がマイカーを手にしたのはつい最近だという。
彼らが選んだ車のブランドにも、こだわりが感じられるようだ。
「北欧スウェーデン発祥の自動車メーカー、ボルボの車です。5年前に発売された現行モデルで新車価格は日本円で500万円ほど。ニューヨーク州弁護士の小室さんは、弁護士法人に属しており、年収は4000万円前後といわれていますから、賢明な選択でしょう。同じ価格帯ならセレブが好むメルセデスやBMWなど派手なドイツ車も買えますが、あえてボルボを選んだところに、小室さんの強い意志が垣間見えます」(現地住民)
欧米の車社会に詳しい自動車生活ジャーナリスト・加藤久美子はこう解説する。
「ボルボの自動車は、北欧らしいデザインの外観で洗練されていますし、ステータスを控えめにアピールできます。欧米でも子供がいる意識の高いファミリー層、それこそ弁護士、医者などの中高所得のホワイトカラーが好む車なのです。小室さんが乗られているのはボルボの中でも小さなタイプ。小回りが利くので、眞子さんが運転される場合でも扱いやすいサイズ感ではないでしょうか」
そんな新車を駆って3人が出かけたのは大型スーパー。今は子どもを中心に生活が回っているのだろう。
別の現地の住民はこう話す。
「小室さんのイクメンぶりは際立っていて、家族で外出する時には必ず子どもを抱いています。家のゴミ捨てから来客を迎えに行くのまで彼の担当ですね。マイカーを手に入れる前、彼が1㌔先のスーパーまで徒歩で買い物に向かう姿を見かけたこともあります。台所の常備品が切れてしまったのか、わざわざ米酢を買うためだけに出かけていたこともあった。
育児に専念する妻に、なるべく負担をかけないようにしているそうです」
やはり近所でも「話題の人」として注視されているのだろう。でなければ、米酢を買いに行ったことなどわかるはずはない。
それとも、週刊誌がよくやるように、近所の人間たちに「情報量」を払い、何かあれば連絡してもらうようにしているのだろうか。
後で触れるが、母親の紀子さんの心境にも変化が出てきたようだ。初孫を自分の手で抱きたい。秋篠宮家の雪解けは意外に早いかもしれない。
さて、トランプ大統領の盟友といわれていた保守活動家チャーリー・カークが9月10日、講演中に射殺された。
「トランプ米大統領の盟友で右派の政治活動家チャーリー・カーク氏(31)が設立した団体が18日、同氏の射殺事件を受けた追悼集会をコロラド州立大学で開いた。キリスト教的価値観を共有する保守層を中心に7千人以上が集い、カーク氏を『真実に命を捧げた殉教者』などと称賛した。(中略)
カーク氏は10日、自ら設立した保守系青年団体『ターニング・ポイントUSA』が主催する討論形式の大学ツアーでユタバレー大を訪れた際、イベント中に銃撃された。コロラド州立大はツアーの次の開催予定地だったが、事件を受けて追悼集会の形に変更された。生前ゆかりのあった保守系の活動家らが登壇してカーク氏の功績をたたえた」(朝日新聞Digital9月20日 8時00分)
アメリカの2割強を占めるZ世代への影響力は強く、トランプの第1次政権時には、ホワイトハウスへの訪問が100回を超えたといわれるそうだ。
そのカークが、事件直前の9月7日に行われた参政党のトークイベントに招かれ、神谷代表とトークセッションが行われていたと新潮が報じている。
参加した参政党の党員がこう話している。
「特に印象に残っているのは、講演でカーク氏が強調した、国家にとって重要な“三つのP”に関する話でした」
People(国民)Place(場所)Principle(文化や歴史、倫理に根差した原則)を指し、これらをグローバリストたちが奪おうとしていると警告したというのである。
カークはイリノイ州シカゴ郊外の中流家庭で生まれ育ち、18歳の時に草の根保守団体「ターニング・ポイントUSA」を設立。
高卒のノンエリートだが、大学のキャンパスで討論会を開き、質問に来た学生を次々に論破していくのが有名になり、SNSなどで拡散し、アメリカ中に支持を広げていったというのだ。
「ターニング・ポイントUSA」は今や全米3500以上の高校や大学にメンバーを擁する大組織になっているそうだ。
国際ジャーナリストの山田敏弘によれば、
「キリスト教福音派のプロテスタントである彼は、LGBTQなどマイノリティの権利擁護や人工妊娠中絶、銃規制などに反対してきました。なかでもアメリカの優位性を誇示する“自国第一主義”の姿勢は神谷氏と共通するものです」
というより、神谷代表がカークのやり方を真似たのではないのか。
先のイベントに参加した党員は、
「トークセッションで、神谷代表が“反グローバリズム闘争で大切なことは?”と聞くと、カーク氏は“子どもをつくること。移民政策を拒否することだ”と明確に答えました。“仲間内で子どもの数を競っているよ”との冗談を交えた後で、“左翼は少子化を放置し、人手不足による移民受け入れを促し、国を崩壊させようとしている”と説くと、代表も真剣な面持ちで耳を傾けていました」
神谷代表はさらに「若者たちの政治参加を促すためには」と聞いたという。
「カーク氏は①国と繋がっているとの実感を持ってもらう②ニヒリズムからの脱却③神の存在を意識する」と答えたそうだ。
神の存在は別にして、選挙に行っても何も変わらないという虚無主義から脱すれば政治は変わるというのは、超保守ではない私にも理解できる。
さらに象徴的なやり取りがあったという。
神谷代表が「左翼からの妨害への対処法」を尋ねた時、カークは「ハッキリと“ない”」と答えたそうだ。
カークを射殺した犯人はユタ州の工科大学に通う22歳のタイラー・ロビンソン容疑者といわれる。
彼は、新潮によれば、トランスジェンダーの女性と付き合っていて、「カークは憎しみを広めている」と嫌悪感を示していたという。
日本でも、ウルトラ保守という政党ができ、若者を中心に支持を広げているようだ。
彼らの「望み」はたるみ切った現状を打破すること。それを掲げる政党ならば、何でもいい。
私はこの国では、真のリベラルも育たないが、ウルトラ保守というのも長続きしないと思っている。この国の民は、良くも悪くも極端が嫌いで「中庸」が好きだからだ。
参政党も“仇花”で終わると思ってはいるが、また次の超保守が新たな装いで登場してくるのだろう。
今週最後の特集は、秋篠宮紀子さんが9月11日に公表した誕生日文書に「異変」があったとする文春。ギリギリまで推敲が重ねられた文書には、天皇家への言及について、重大な変化があったと報じている。
宮内記者会から寄せられた3つの質問に回答する形式だったが、異例だったのは、そのボリューム。文字数にして約1万2,000字。昨年の約5,300字から、倍以上に膨れ上がり、令和以降、類を見ない最長の文章だったというのである。
「それだけ世間にお伝えしたい内容が多かったということなのでしょう。特に今年は、直前の九月六日、長男の悠仁さまの誕生日に成年式が行われましたし、文書も、成年式と悠仁さまに関する内容から始まっています」(皇室担当記者)
「悠仁さまは、今年春から茨城県つくば市の筑波大学に進学。紀子さまの文書では、成年皇族になられた悠仁さまへのご期待や、〈こちらの畑で育てた野菜を自炊するためにつくばへ持っていくことも〉などと、微笑ましいキャンパスライフにも触れられている。
だが――。宮内庁関係者が声を潜める。
『実は、今年の紀子さまの文書には、過去にはあった特定の表現が抜け落ちているのです。それが天皇皇后両陛下への敬意の念です』」(文春)
文春は、今上天皇が即位されて以降の、紀子さんの誕生日文書を遡って見ている。
〈新たな立場に伴う責任を感じつつ、宮様とご一緒に天皇皇后両陛下をお支えできますよう、私自身の健康にも気をつけながら、力を尽くして参りたいと考えております〉(令和元年)
令和2年の文書にも、〈両陛下をお支えできますよう、努めて参りたく存じます〉と綴られている。
令和3年は〈お健やかにお過ごしに〉なることを願う表現。令和4年、5年も同様の記述が確認できる。
異変が見て取れるのは、昨年、令和6年からだという。文書では天皇皇后への言及そのものがなくなり、今年は、
〈天皇陛下から賜った冠をお受けするお儀式に始まり、天皇皇后両陛下にご臨席を賜りました「加冠の儀」、宮中三殿での拝礼に臨む「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」、天皇皇后両陛下にご挨拶申し上げる「朝見の儀」をはじめとする一連の儀式が執りおこなわれ、内宴には上皇上皇后両陛下にもご臨席を賜りました〉
悠仁さんの晴れ舞台を振り返る過程で天皇皇后には触れられているものの、確かに、かつては表明していた天皇皇后をお支えする覚悟や健やかな日常を願う思いが、一切出てこないのだ。
宮内庁関係者はこう話している。
「お誕生日当日に公開される文書の完成版ができあがったのは、前日の夜のこと。小室圭さんと結婚し渡米した長女の眞子さんや、今年生まれたお孫さんのことも綴られた文書では、『長女』を『眞子』表記に変えるなど細かな修正が繰り返されました。そこまでこだわられた過去最長の文書に、書き洩らしがあるとは考えにくい。両陛下の記述に関する変化は、紀子さまが“敢えてしていること”とも捉えられる」
名古屋大学大学院の河西秀哉准教授も、この文書への疑問をこう話す。
「紀子さまは、上皇后の美智子さまのなさりようをお手本に、ご公務にあたってこられた。お誕生日に認めた文書でしっかりとご自身の思いを伝えようとされているのも、美智子さまを踏襲しているものと思われます。ただ、美智子さまが同じお立場なら、今回の文書では、きちんと両陛下への感謝に言及していたはずです」
文春は、「波紋を厭わぬ書き様は、“未来の国母”の焦りか、自信の表れか」と結ぶ。
紀子さんの心境にどんな変化があったのだろう。この文書問題、両家の関係に禍根を残すかもしれない。(文中一部敬称略)
(文=元木昌彦)