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『おむすび』第63回 また「過保護」が発動中 主人公の“神格化”による迷走が止まらない

橋本環奈(写真:サイゾー)
橋本環奈(写真:サイゾー)

 昨日は四ツ木翔也(佐野勇斗)には友達がいないという話をしましたが、この人、家もないんだよな。野球部時代は寮に住んでいたようですが、当然、退部したら会社の通勤圏内にアパートなりを借りるはずなんです。そこが省略されている。統括プロデューサー風にいえば「あえて描いてない」のかな。

 結(橋本環奈)が自分の部屋でやっている「プロポーズだと思いこんでバタバタ」や「がんばってレシピを作るぞ」、今回なら「ヤケ酒を飲んで二日酔いでグッタリ」みたいな心象表現をする場所が、翔也には与えられていないわけです。

 人生をかけて取り組んできた野球を辞めなきゃいけなくなって、この人が何を考えているのか。明らかに、自分の人生を見つめ直すタイミングです。金髪ギャル男になるのはもういいとして、ここには絶対に「翔也がひとりで鏡を見る」というシーンが必要なんです。糸島編の第5話で、アユ(仲里依紗)の部屋で初めて結が髪の毛にヒマワリを付けて鏡を見つめたシーンがあったでしょう。あのシーン、よかったんだよな。『タクシードライバー』(76)のトラヴィスみたいに、何かギャルへのスイッチが入ったような、いい演出だったんです。思えばあの頃はまだ、こんなに綻びだらけの作品になるとは思ってなかった。つらい。

 そんなNHK朝の連続テレビ小説『おむすび』第63回、振り返りましょう。

こっちが聞きてーわ!

 ランチ合コンで生ジョッキを少なくとも2杯は飲み干し、酔っぱらって感傷的になってしまった結さん。そのきっかけは合コン相手に「せっかく彼氏と同じ会社に入ったのに水の泡やな」「栄養士やってる意味ないな」などと言われたことでしたが、帰路、しょげている理由はそんなことではありませんでした。

「大好きな人が誰より苦しんどうのわかっとうのに、なんであんなに怒ってしまったんやろ」

 知らねーわ、こっちが聞きてーわ。

 根本的なことを言いますけど、あなたの「大好き」っていうのは何なん? いつ、どこで、どんなところを好きになったんだっけ。このドラマには、主人公が恋人を好きになった理由が描かれてないんです。こういうところが好き、という核心がないから、プロポーズの予感にハシャぐシーンも、野球を辞めることになった翔也に「ウソでしょ……」と言ったシーンも、もちろん「ギャルなめんな!」も、まるで共感できない。見ている限りは主人公に共感したいし理解したいのに、その材料を与えてくれない。これもあえてか? あえてなのか?

 あと栄養士になるきっかけについても、糸島で両親に言った「一生懸命やっとう人を支える。そういう仕事が自分に向いとると思う」と、専門学校の自己紹介で言った「彼氏を支えるため」が場面によって使い分けられているので、本当は何がやりたくて栄養士の道に進んだのかもわからなくなっている。

 この「何が好きで、何が大切である」がわからないことと、「ギャルは好きなことには一直線」という概念が絶望的に相性が悪いんですよね。別に若者なんだから、自分の中で何が大切かわからないというモラトリアムの中で自身の核となる哲学を見出していくという話でもいいのに、「ギャルである」という設定を押し付けられているから、人物に矛盾が生じている。「好きなことに真剣である」ことがギャルの定義だとすれば、もはや作中で結ただひとりがギャルじゃないという状況まで来てしまった。昼間から生ジョッキ2杯飲んで「真剣に悩んでます」って顔されても、さすがに聞く耳を持てませんよ。

 と、ここまでは今日に始まったことじゃないんでいいんですけど、今日のトピックはやっぱり、ナベべですわな。ナベべ。緒形直人。なんということでしょう。

 いや、あのね。これは被災者の心の回復ではなく変貌でしかないわけですけど、まあいいやって思っちゃったんだよな。明るくて楽しいならいいよ。ナベさん震災前からひどい扱いだったから、明るく楽しく暮らせてるならそれでいい。たぶんギャルたちから対価としてアッパー系のヤベーやつを処方されてると思うけど、もういいんだ。そのナベべを通して「ギャルは人を元気にする」って言いたいのも、それももういいよ。

 問題は、ナベべに楽しい人生をもたらしたのが主人公じゃないことなんだ。アユのアイディアと、そこらへんの見知らぬギャルによるものだったことなんだ。

また助けられることになる

 家なき子こと翔也が川を眺めていると、また見知らぬギャルがやってきて変なクラブに連行、シャンパンを開けてゴキゲンです。一度は拒否した翔也が、ギャルの「うちらと飲めば嫌なことを忘れられる」という言葉に反応して付いて行くくだりも噴飯ものですが、もう今日はナベべの件で噴く飯も残ってないので、とりあえず行く末を見守ることにします。

 翔也がボッタクリを疑っていると、チャンミカ(松井玲奈)とアユが登場。さすが、かつて博多統一を果たしたカリスマだけあって、ギャルを大量動員することなど朝飯前のようです。

 アユが結を糸島に追い出し、その間にギャル魂によって翔也の心の回復を図るということなんでしょう。

 過保護なんですよ。ここが『おむすび』というドラマの作劇上もっとも失敗していると感じる部分なんですが、どの時代の誰もが結に対して過保護なんです。

 思い出すのは第28回、震災のトラウマから「どうせ全部消えてしまう」としょげ返って、ハギャレンも書道も辞めてしまったエピソードがありました。

 あのとき、書道部の王子(松本怜生)と恵美ちゃん(中村守里)は「いつでも戻ってきな」と言ってくれたし、リサポン(田村芽実)はハギャレンみんなで作った「ムスビン大好きいつもありがとう」というメッセージ満載のアルバムをプレゼントしてくれた。

 第49回、専門学校編では、結がパン屋の女将とナベの不仲に悩んでいる間に、同じ班のみんなが炊き出しの問題点についていろいろ調べて、メニュー作成のお膳立てを整えてくれた。

 今、やるべきことにまるで真剣じゃない結を、何かに真剣に取り組んでいる周囲の人間が助けてくれるというパターンを、ずっと繰り返している。

 そうして神輿に乗せられ、手柄を与えられた結が大上段から「そなたもギャルである」というお墨付きを与え、周囲は「へへー、結さまこそが人と人を結ぶ現人神なり」と崇め奉ることになる。

 こうした「橋本環奈をありがたがる」という作り手側のマインドがモロにストーリーに反映されてしまっているために、結というヒロインが自力で道を切り拓いていく、成長していくというプロセスが描けなくなっている。

 今回、失意の恋人を立ち直らせるという主人公にとって最大の見せ場をアユに譲ってしまったら、ドラマとしてマジで取り返しのつかないことになると思うんだけど、どうするんだろう。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子。1977年3月生、埼玉県出身。

幼少期に姉が見ていた大映ドラマ『不良少女と呼ばれて』の集団リンチシーンに衝撃を受け、以降『スケバン刑事』シリーズや『スクール・ウォーズ』、映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで実生活とはかけ離れた暴力にさらされながらドラマの魅力を知る。
その後、『やっぱり猫が好き』をきっかけに日常系コメディというジャンルと出会い、東京サンシャインボーイズと三谷幸喜に傾倒。
『きらきらひかる』で同僚に焼き殺されたと思われていた焼死体が、わきの下に「ジコ(事故)」の文字を刃物で切り付けていたシーンを見てミステリーに興味を抱き、映画『洗濯機は俺にまかせろ』で小林薫がギョウザに酢だけをつけて食べているシーンに魅了されて単館系やサブカル系に守備範囲を広げる。
以降、雑食的にさまざまな映像作品を楽しみながら、「一般視聴者の立場から素直に感想を言う」をモットーに執筆活動中。
好きな『古畑』は部屋のドアを閉めなかった沢口靖子の回。

X:@dorama_child

どらまっ子AKIちゃん
最終更新:2024/12/25 14:00