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ラインダンスの「ザ・ロケッツ」誕生100年 一糸乱れぬ演技生む努力と苦悩

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The Rockettes performing at Radio City Music Hall in New York City, April 1984(写真:Getty Imagesより)

 「一糸乱れぬとはこういうことか」と息を呑んだことを覚えている。ラインダンスが売り物のダンスチーム「ザ・ロケッツ」は、ニューヨークを代表するエンターテイメントだ。スタイル抜群の美女たちが長い脚を高々と上げて踊る。初めて見た時の驚きが目に焼き付いている。その「ザ・ロケッツ」が誕生から今年で100年を迎えた。新しいものがどんどん生まれる米国は、一方で「偉大なるマンネリズム」が大好きな国でもある。変わらない安心感が米国人の心をいつまでも引き付ける。

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セントルイスが発祥 世界恐慌後の新時代にニューヨークで花開く

 ニューヨークのマンハッタンは、地図で見ると縦に長い。その縦には、太い道「アベニュー」が何本も走る。高級ブランドなどが並ぶ「5thアベニュー」(5番街)の隣にある「6th アベニュー」のセントラルパークに近いところに、「ザ・ロケッツ」の劇場「ラジオシティ・ミュージックホール」がある。隣接する敷地には米国を代表する財閥、ロックフェラーグループの本拠地であるロックフェラーセンターがある。

 「ラジオシティ・ミュージックホール」は、1929年の世界大恐慌後の復興を目指して、ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアがロックフェラーセンターを建設する際に、商業と娯楽を併設しようという考えから誕生した。

 ロックフェラーは事業パートナーとして、当時、米国内のラジオ局の大半を所有していたメディア企業ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(RCA)と組んだ。その両社が目をつけたのが、「ザ・ロケッツ」だった。

 「ザ・ロケッツ」は1925年、米国の音楽の都であるミズーリ州セントルイスで誕生した。1890年以降、英国で人気があったダンスチーム「ティラー・ガールズ」に触発されたセントルイスの振付師が発足させた。「英国人よりも米国人の方が背も高く、脚も長いので、美しいダンス表現ができる」と考えた。

 当時のダンスチームの名前は「ミズーリ・ロケッツ」。ダンサーはわずか16人だったが、ショーは大当たりした。ニューヨークのブロードウェイで公演をするようになっていたところに、ロックフェラーセンターと「ラジオシティ・ミュージックホール」の開業が重なり、エンターテイメントの目玉として1932年、活動拠点をニューヨークに移すこととなった。

 優雅さ、エネルギーあふれる精密なダンスは壮大で、ダイナミックな振り付けは世界恐慌後の新しい時代の幕開けにふさわしいパフォーマンスだった。

チャーミングな「おもちゃの兵隊」はホリデーシーズンの名物

 1940年代には、現在も続くクリスマスの特別公演がスタートした。最も有名な演目である「おもちゃの兵隊」は近衛兵のようなコスチュームを着たダンサーがかわいらしく、かつ大胆に踊り、子どもからお年寄りまで幅広い観客の注目を集め、ホリデーシーズンの風物詩となった。

 第2次世界大戦では海外に駐留する米軍兵のために、各地へ慰問に訪れた。当時の米国にとって戦地への慰問は最大の社会貢献活動で、ダンスチームとしての評判を高めた。

 1960年代には新しい振り付けやダンススタイルを導入。ポピュラー音楽やコンテンポラリーダンスの要素を取り入れた。

 1980年代からはテレビや全国の主要イベントへの出演や参加が多くなり、存在感を強めた。本格的に国際的に知られるようになったのはこのころからで、「米国の文化」として意識されるようになった。

 そして、ショービジネスの最大の危機だった新型コロナウイルスを乗り越えて、現在に至っている。

1回のショーで足上げ160回 着替えは78秒で

 「ザ・ロケッツ」の公演は通常は1日に2回。季節によっては4回以上のショーが行われる。

 メンバーは約80人で、約40人ごとに2チームに分かれている。ただ、舞台上に登場するのは36人だ。

 ラインダンスでの足上げは1回のショーごとに160回以上ある。4回のショーがあったとしたら1日で650回ぐらいハイキックを披露する。

 1チームが休みの日はもう1つのチームが出ずっぱりとなるため、ダンサーは体力勝負の毎日を送っている。

 ショーが始まればノンストップでの演技となる。パフォーマンス中の着替えは6回あり、着替え時間は1回あたり78秒。1分ほどで変身し、まったく違う衣装でハードなダンスを続ける。

 メンバーの靴にはマイクが仕込まれており、ステップの音を観客全員が聞く。演技で失敗して、見た目はごまかせたとしても、音はごまかせない。より完璧なダンスが求められるのである。

 一体化した演技が求められるため、メンバーの身長は決められている。現在は5フィート5インチ(1メートル65センチ)から5フィート10.5インチ(1メートル79センチ)の範囲の身長が必要だ。より多様性を持たせるために2022年に最低身長が5フィート6インチ(1メートル68センチ)から3センチほど低くなり、オーディションを受けられる人が増えた。

白人ばかりの時代長く 「重い扉」開けたのは日系ダンサー

 その多様性という面では「ザ・ロケッツ」は批判の矢面に立たされることがしばしばあった。メンバーが白人だけという時代が長く続いたからだ。

 振り付けディレクターは、1980年代前半まで、有色人種のダンサーがいると「演技の精密性が損なわれる」と考えていた。

 その歴史を塗り替えたのが日系ダンサー、セツコ・マルハシさんだ。1985年にチームのメンバーとなり、活躍した。初の黒人ダンサーの誕生は1987年になってからで、これよりも前に日本人が「重い扉」をこじ開けていた。

 米国の伝統は、多様性という面ではマイナスの方向に動きやすい。「ザ・ロケッツ」も例外ではなく、大きな課題を抱えながら「ザ・ロケッツ」は次の100年に向けて歩み始めた。

(文=言問通)

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言問通

フリージャーナリスト。大手新聞社を経て独立。長年の米国駐在経験を活かして、米国や中南米を中心に国内外の政治、経済、社会ネタを幅広く執筆。

最終更新:2025/04/07 09:00