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歴史エッセイスト・堀江宏樹の大河ドラマ『べらぼう』放送談義18

『べらぼう』攻めまくった“神回”、家族のように暮らしていった蔦重と歌麿はその後…

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『べらぼう』で歌麿を演じる染谷将太(写真:Getty Imagesより)

『べらぼう』、前回・第18回の冒頭には「番組の一部に性に関する表現があります」というテロップが表示され、ネットの話題を呼びました。

彫師・四五六の年収は500〜700万円

 しかも蓋を開ければ、「性の表現」というのは歌麿(染谷将太さん)をめぐるものが中心(今回、彼のことは歌麿で統一します)。

 ドラマの歌麿は、7歳くらいからヒモ男付きの夜鷹(=流し営業の最下級娼婦)の母親に強いられ、少年売春で生活費を稼いでいました。蔦重(横浜流星さん)や花の井時代の瀬川(小芝風花さん)たちの前から姿を消した後は北川豊章(加藤虎ノ介さん)という絵師のゴーストとして絵を描き、男妾としての稼ぎでほそぼそと暮らしている……という描かれ方だったので、ビックリさせられたものです。

 史実の歌麿が亡くなった文化3年(1806年)、数え年で54歳だったという説があり、そこから逆算すると彼は宝暦3年(1753年)生まれ。

 明和7年(1770年)には北川豊章の画号で俳句の本の挿絵を描いていたとされ、これが18歳くらいの話なので、それ以前の歌麿はどこで生まれ、何をしていたのか不明の「空白の思春期」を過ごしていたのですね。

 しかし『べらぼう』第1回で明和9年(1772年)の吉原火事が描かれ、そこで蔦重に記憶喪失(の演技をしていたらしい)歌麿少年が助けられていたことを思い出すと、当時の彼は幼すぎて17歳前後の若者には見えませんでした。それゆえ、あの少年が歌麿として再登場するのだろうが、年齢がどうしても合わない……という話をこのコラムでもした記憶があります。

 しかし、ドラマではそういう年齢の不合致を、北川豊章と喜多川歌麿は別人――正確にはバクチに狂って描かなくなった絵師・北川豊章のゴースト絵師として、「人別(=戸籍)」を持たない捨吉が搾取されていたという演出で乗り切ってしまったのでした。

 さらによく考えたら、蔦重の養父・駿河屋市右衛門(高橋克実さん)が昔、養子にしたけど逃走してしまった子の「戸籍」を歌麿が引き継いでいるから、本当の年齢と戸籍上の年齢が違う……ということにもなっているのでした。

 とにかく「訳アリ」すぎる喜多川歌麿再登場でしたね。

 ビックリしたのは、蔦重が最初、歌麿の長屋を訪ねたとき、尼さんがやってきていたシーンです。江戸時代には「尼フェチ」の男性のための尼姿の娼婦……もしくは本当にどこかの寺院に所属している尼なのですが、御札などを売り歩くときに身体まで売ってしまう女もちらほらおり、そういう「比丘尼(びくに)」と呼ばれた娼婦を歌麿が買っているのか……今年の「大河」は攻めてるなー、などと思っていたのです。

 尼さんが帰る瞬間まで歌麿の手を握って別れを惜しんでいる様子だったので、さすがプロ女性などと感心していたところ、実際に売春しているのは歌麿のほうだったと気づかされ、「エー」という変な声が出てしまいました。

 しかも蔦重が二回目のお宅訪問で見たのは、裸で気を失っている歌麿。状況が理解できない筆者でしたが、蔦重が「(荒い相手の)女役は死ぬぞ!」と一喝。それに対して歌麿も「向こうも塩梅は心得てるんで(客も手心を加えるし……)」と応えるという、まったくNHKらしからぬ世慣れすぎた会話を聞きながら、ようやく「何があったか」を悟る筆者でした。

 要するに『べらぼう』の歌麿は、「空白の思春期」をフリーランスの「なんでもあり」の男娼=男妾として過ごした人物というわけなんですね~。ほんとに「べらぼう」だねぇ……。

蔦重に拾われ、同居する歌麿

 江戸の男娼といえば、「陰間(かげま)」を思い出す人も多いと思います。しかし、陰間は女装した美少年ばかりでした。というか「ち◯こがついた女」という触れ込みで売られているのが陰間なんですね。現在でいう「ニューハーフ風俗」的な何かです(知らんけど)。

 そしてその手の女装ダイスキーの平賀源内先生(安田顕さん)が『男色細見 三の朝』で書いている内容によると、大江戸三大陰間エリアとして有名だった芳町(現在の東京都中央区日本橋人形町一丁目と三丁目のあたり)の陰間と遊ぶには、「一ト切(約三時間)」あたり「金百疋(=0.25両)」かかったとされています。ほかに遊女を貸し座敷に呼ぶときのように飲食代などもかかったので、現在の数万円~5万円くらいでしょうか。

 一晩十両かかってもおかしくはない吉原の花魁と遊ぶよりは安いのですが、普通に岡場所(=非合法の色街)の女相手に遊ぶより、だいぶ金がかかるのが陰間だったのです。

『べらぼう』の時代の芳町は、歌舞伎の芝居小屋が並んでいるエリアとしても有名で、陰間は役者としては女形志望の美少年の「成れの果て」の姿でした。まぁ、それもただの宣伝文句で、最初から売春させる目的で地方の貧家の美少年を連れて来るほうが、実際は多かったようですが……。

 実際、息子を売らねばならなくなった家は、泣いて悲しんで見送ったそうですね。式亭三馬が書いた合巻(ごうかん、長編の黄表紙本)『坂東太郎強盗譚』でもわざわざ挿絵を入れ、涙の別れのシーンを描いています。

――それゆえ、ドラマの歌麿が生まれ育ったようなロクでなしの母親しかいない崩壊家庭ならば、迷わず歌麿は陰間として売り飛ばされていたはず。まぁ、それだと歌麿は絵を描かないまま一生を終えてしまうため、そういう描写はなかったのでしょう……。あくまでアルバイトで売春をして、男女問わずに客を取って生活費を稼ぎ、空き時間に絵師としても活動しているのが歌麿という描かれ方でした。

 ちなみに陰間は10代後半が稼ぎ時なのですが、20代に入ると急に売れなくなって、お役御免となります。しかし、ここで一念発起して「商売始めてカタギに戻るぞ」という(元)陰間などは珍しく、結局はずるずると(ドラマの歌麿がやっているような)男妾稼業に入るわけですね。

 普通の男妾の前には、ドラマの蔦重のような「天使」は現れませんから、「商家の後家(未亡人)とか産科の女医師に見初められないかな~」と都合のいいことを考えながら、物売りときどき男娼生活。そのうち落ちぶれ果て、浅草あたりで物乞いになって……というのが、陰間として若き日を過ごしてしまった男たちの人生のモデルケースでしょうか。馴染客と結婚することもありうる女郎と比べると、大人になった陰間にニーズはなく、その後の人生の予後が悪いというのは当時の常識だったようです(柳川重信 『天野浮橋』)。

 ちなみにドラマで蔦重に拾われ、同居することになった歌麿ですが、史実でも「絵草紙問屋蔦屋重三郎方に寓居(『浮世絵類考』)」とあるので、血はつながっていない二人なのに本当の家族のように暮らしていたことがわかります。

 ちなみに喜多川歌麿の本姓は「北川」なんですね。ドラマの歌麿は北川豊章とは別人なのですが、史実の歌麿が当初、北川豊章を名乗ったのもそれが本姓+雅号だったからといえるでしょう。さらに蔦重の(養家の)本姓も「喜多川」ですから、ふたりとも同じ「きたがわ」じゃん!ということで両者は仲良くなれた部分は大きいと思います。

 ただ、史実は心温まることばかりでもなく、今でいう「総合出版社」を目指す蔦重が、どんどん売れっ子になっていく歌麿を監禁し、手元に置いて離そうとしなくなり、次第に良好だった関係も変質していったハズ。

 その後の歌麿・蔦重コンビについては別の機会にお話するとしますが、今回の『べらぼう』はNHKが攻めまくった「大河ドラマ」だと痛感させられる、ある意味で「神回」だったといえるのではないでしょうか。

 喜多川歌麿には売れっ子の陰間を描いた作品(『艶本葉男婦舞喜』など)もあるので、ドラマにもいつか陰間も登場しそうですね……。

蔦重の結婚はどうなる?

(文=堀江宏樹)

堀江宏樹

作家、歴史エッセイスト。1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

X:@horiehiroki

堀江宏樹
最終更新:2025/05/18 12:00