『あんぱん』第38回 河合優実の「噛ませ犬」と化した主人公・のぶが不憫すぎる

豪ちゃん(細田佳央太)が死んで蘭子(河合優実)が泣く回として見たいものを見せてもらった感じはしますが、これはのぶちゃん(今田美桜)にヘイトが向かっちゃうなぁと心配になりますね。
そりゃ今の感覚でいえば「御国のため」なんて馬鹿げてるし、戦争を賛美する愚かさだってよくわかるけど、当時ののぶちゃんの考え方には当時なりの合理性や必然性もあったと思うんですよね。それを寄ってたかって「豪は死んだけどおまえは誇るんだよなぁ?」「愛国の鑑だもんなぁ?」みたいにイヤミったらしく責め立てるような作劇は、ちょっとあまりにものぶという人が不憫だと感じます。今回NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』が描いたのは、のぶの愛国がいかに「ペラい」かという話であって、それは私たち視聴者がずっと感じてきたことでもあるんですよね。
人物の行動や思想をペラく作っておいて、それを周囲から「おまえはペラいんだよ」と指弾させるというのは本来、敵役に対する扱いなわけです。例えば今田美桜が主演を務めていた『花咲舞が黙ってない』(日本テレビ系)で銀行の上役がペラいことを言っている、それを今田花咲が「お言葉を返すようですが」とか言いながら駆逐していく。ペラ側は自分のペラを自覚させられてうなだれることになる。
今回、今田のぶはそれについてうなだれちゃいないし、ヤム(阿部サダヲ)やダンゴと僧侶ものぶを明確に駆逐しようとしたわけじゃないけど、構図としてそうなってるという話です。主人公がペラになっちゃってる。
なんでのぶがペラいかといえば、その愛国に染まっていった経緯に説得力がなかったことがひとつ、それと、その愛国精神の報酬としてのぶに満足感を与えていたことがペラい印象を与える原因になっていたと思います。
慰安袋のお礼の手紙をもらって満足、教師になったら児童たちがヒトラーを礼賛して満足、校長にホメられて満足、商店街でみんなが戦争ごっこをしてたら満足、そうしてのぶは満足感を得ることで、愛国が間違っていないことを実感してきました。
戦地の兵士に本当に心を寄せて、覚悟を決めて「銃後の支え」になろうとしていたなら、兵士たちと同じように命を懸けて慰問袋制作や募金活動、軍国教育に臨むべきなんだけど、のぶの愛国はあくまで自己実現、自己満足の域を出ていなかった。そこまで狂えていなかった。あくまで「楽しい/満足だ」の範疇でしかなかった。だからペラいんです。
そして何より、この人は本気で人を好きになったこともないんだよな。
ずっと「嵩と付かず離れず」をやってきたことで、蘭子の「好きな人を失った」という気持ちに共感して、その悲しみを理解できる人物にも見えなくなっちゃってる。
蘭子が泣いて、ママ(江口のりこ)が抱きしめるシーンがありました。好きな人が最近死んだ娘を、かつて好きな人を亡くしたことのあるママが抱きしめて「泣きなさい」と言っている。のぶがいくら大粒の涙を落としたところで、その迫力において完敗してしまう。
思想的にも、人生としても、のぶより蘭子やママのほうが真剣に生きてきた人に見えてしまっている。のぶが蘭子の噛ませ犬になっちゃってる。
うーん、のぶ、不憫です。第38回、振り返りましょう。
あとは河合優実劇場ということで
冒頭の「あ、お姉ちゃん。おかえり」からして、もう期待しちゃってるんですよね。この役者さんの一挙手一投足を見逃したくない、と思ってしまう。ベンチに座るその背中にすら「おお、なんかいい演技をしているような気がするぞ!」と思ってしまう。
葬式でガキがなんか言ってるのにいたたまれなくなったところのリアクションもよかったですね。実に表情筋のコントロールが効いている。
回想の鼻緒のエピソードもベタすぎてもうちょっとどうにかならんかったかとは思うけど、確かにそこにズキューンがあったし、足もエロいし、その直後の佇みとのコントラストも映えていました。なんだこの佇み、佇みクイーンの称号を与えたい。
ノコノコやってきたバカのチビに対して徐々にテンションを上げながら「そんなの嘘っぱちや!」にたどり着くまでの、今度は声帯のコントロールね。もう思うがままなのね。さすがに見入ってしまいました。芝居を見ている、という幸せ時間。バカのチビは言い過ぎです、すみません。
とにもかくにも、一連の河合優実にはめちゃくちゃいいものを見せてもらったと思うし、『あんぱん』というドラマはめちゃくちゃバランスを失ってると思う。のぶと蘭子のシーン、のぶにカメラのピントが合うたびに「蘭子に戻せー蘭子見せろー」と思っちゃったもん。
実在のモデルのあるドラマで、その幼少期を完全フィクションとして作って、その結果が「バカのチビ」ですってよ。今田美桜も不憫だけど、モデルになったやなせ氏の妻もそうとうに不憫だわ。
(文=どらまっ子AKIちゃん)