『あんぱん』第72回 「50分で描ける」ことへの驚嘆よりも「ずっと描いてない」ことへの落胆が勝るのです

史実ベースになって少しはマシになるのかと思いきや、一段とブッ壊れてきましたな、NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』。今日は後半のシーンのお話からです。
月刊くじらに掲載予定だったページが飛んで、嵩くん(北村匠海)が〆切まで50分というタイミングで呼び出されることになりました。「マンガを描け」それが東海林編集長(津田健次郎)の命令でした。
「柳井さん、描きためちゅうマンガとかないがですか?」
のぶ(今田美桜)の質問に、嵩は「兵隊行ってから一度もマンガは描いてないんだけど」と答えます。
そうだね、似顔絵と紙芝居は描いたけど、確かにマンガは描いてなかったかもしれない。でも兵隊に行く前には、東京の下宿でずっと描いてたんだよね。あのころ、私たちはのぶに手紙を書くかどうか悶々としていたこの人を見て「こいつ全然マンガ描かねーな」と思っていたけれど、最近になって健ちゃん(高橋文哉)が「下宿でずっとマンガを描いてた」と言い出したもんな。作り手側がそうして歴史を修正したら、視聴者はとりあえずブーブー言いつつそれを飲み込むものです。娯楽だから楽しく見たいし、まだこのドラマを完全には見捨てていないからです。
それを持ってきたらいいんじゃないかな。下宿でずっと描きためてたマンガを出せばいいんじゃないかな。御免与の柳井の家に戦災被害はなかったよね。兵隊に行く前に御免与に帰ってきてたよね。まさかその描きためていたマンガを東京に捨ててくる理由はないよね。
昨日、のぶは嵩を評して「情熱がある」と言いました。これだって、私たちは「こいつ全然マンガ描かねーし、マンガへの情熱なんか全然ねーな」と思っていたけれど、ほかならぬ主人公ののぶさんがそう言うんだからとりあえず飲み込んだセリフです。
要するに何が言いたいかというと、継続することと瞬発力があることの対比、このドラマが語ろうとする作家論の話なんですよ。50分で1ページのマンガを仕上げることと、ずっと黙々と白紙と向かい合って、どこに出すわけでもないマンガを描き続けること、自分のやりたいことを信じて、その情動や衝動を形にして出力し続けること、その2つを対比させて、『あんぱん』というドラマは前者を「すごい」としているわけです。50分で1ページのマンガを描かせて「これぞ、やなせたかしの真骨頂なり」とやっているわけです。
先ほど、「継続」と「瞬発」の対比だと言いましたが、それはそのまま「情熱」と「才能」に置き換えることができます。ここで描かれる「マンガを描きためていない」「だが50分で1ページ描ける」嵩という作家は、結果的に「情熱はないが才能はある」という描かれ方をしています。そして、作り手側にモデルのやなせ氏を貶める意図がないのだとしたら、「情熱はないが才能はある」ことに、「描き続ける情熱を持っていた」ことより価値があると言っていることになる。
この考え方を今日披露したことで、この朝ドラがだいぶ先まで見通せたような気がしますね。そういう作家として、嵩を描いていくんだ。もちろん、見通せたというのは悪い意味であって、かなりダセー感じになりそうな予感が確信に変わりつつあります。
第72回、振り返りましょう。
図案家というのがいるんですね
高知新報の2面に穴が開くことになって、昨日「ずあんか」という言葉が出てきましたね。「ずあんか」と連絡が取れないと。
これ、社内に「図案課」という部署があるのかと思ってたんですが、「図案家」なんですね。イラストレーターのことだ。「誰でもいいき」と言っているので、たぶんフリーランスなんでしょう。高知新報はイラストが必要になると、フリーのイラストレーターに依頼をしている。そういうことが説明されました。
のぶがゴリ押しで嵩をネジ込むのはいいとして、誰だか知らない人が「俺が行く」と言って駆け出していきます。
嵩は確か御免与の柳井の家に住んでいるはずで、もう汽車もないだろうから車で行くのかな、と思ってたら「闇市で見つけんのに手間取って」と言ってる。
嵩、夜中に闇市で何してたんだろう。あのフリマに寝泊まりしてるのかな。なんでこの誰だか知らない社員は嵩が闇市にいるという目星をつけていたんだろう。履歴書に「現住所=闇市」とか書いてたのかな。受かるわけねーじゃんな。こいつ入社試験に背広で来てたよな。今もネクタイしてんな。夜中に闇市で背広着て何やってたんだろう。
前にも書いたけど、『あんぱん』というドラマは人物の拠点を定めることができないんですよね。のぶが次郎(中島歩)の航海中に御免与と高知を行き来してたときにも感じたんですが、人に拠点がないと日常が感じられないんですよ。日常がない人は、人とは呼ばないんですよ。ちゃんとやってほしい。
そんで嵩が挿絵を描くことになるわけですが、編集部員たちは「使えんかったらどうするがですか?」とか「東海林、なんか記事持ってないがな?」とか言い合ってる。東海林、記事はあるよ。夕刊がなくなったときにのぶと岩清水(倉悠貴)が闇雲に取材していた記事があるはずだよ。そのほかの記者もヒマネタのストックくらいあるはずだよ。そもそも挿絵の元になる記事だって取材したもんだろ。まだ印刷が間に合うんだから、カットした部分を書き足したほうが早いよ。こういうところも、ちゃんとやってほしい。
イラストはまあ、見事なもんです。とてもペン入れまで1時間未満で完成させたとは思えない。このイラストをもって嵩は「即戦力」ということで社会部に採用されることになります。
この日、嵩がやったことは図案家の代理、つまり普段この編集部に出入りしているフリーのイラストレーターのピンチヒッターですよね。図案家としては即戦力でしょうけれども、社会部に採用というのはどういう了見なんですかね。イラストの実力以外、嵩は何も証明していませんよね。そんで「採用の権限がない」でお馴染みの東海林さん、社会部に嵩を入社させることもできるんですね。権限って何かね。どうにか、ちゃんとやってほしい。
そうして嵩の入社の段取りがデタラメに整えられていくわけですが、これに対するのぶさんのリアクション、もうイラストは描き終わってるのに「集中が」とか言って隠れてたり、入社してきた嵩に上から目線で何か言ったり、終始気味が悪いです。この人が信頼を取り戻すにはやっぱり、今からでも遅くないよ教師に戻ったほうがいい。
戦災孤児の座談会だって
「おもしろければ売れる」「娯楽に振り切る」大いに結構じゃないですか月刊くじら。戦後まもなく、みんなが楽しめるような、あのアメリカさんの「HOPE」みたいな世界一おもしろい雑誌を作ってくださいよと思ってたら、戦災孤児の座談会だって。なんというグロテスクな企画。ピッカピカのお部屋に呼び出しちゃったりなんかして、せめて炊き出しをするついでに話を聞くとかそういうふうにはできなかったもんですかね。世の中には、ひもじい思いをしている人に自分の顔面を千切って分け与えるヒーローもいるらしいよ。
この座談会の何がグロいって、「のぶさんがカメラのこともわかってる」という描写を併せて入れてきたことなんですよね。プロのカメラマンに光源の位置なんて指示しちゃってさ、こんなシリアスでナーバスに扱わなきゃいけない場面でさえ「のぶさんすごい」を言うための舞台装置にしてしまっている。作り手が戦災孤児という存在を軽視しているということです。東海林にセリフで何か言わせても、その浅ましい性根はまるで隠せていませんよ。
あとメイコ(原菜乃華)が急に歌い出したところ「うるせえよ」って思っちゃったなぁ、メイコに関しては、かわいいという理由で何もかも許容できていたんですが、いよいよ「うるせえよ」と思ってしまった。またひとつ、『あんぱん』から救いが消えた瞬間でした。
(文=どらまっ子AKIちゃん)