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歴史エッセイスト・堀江宏樹の大河ドラマ『豊臣兄弟!』放送談義35

『豊臣兄弟!』猛将“鬼若子”長曽我部元親を倒した秀長の桁外れな成功、その裏で仰天理屈で公家らを調略する秀吉

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『豊臣兄弟!』猛将“鬼若子”長曽我部元親を倒した秀長の桁外れな成功、その裏で仰天理屈で公家らを調略する秀吉の画像1
豊臣兄弟! 後編(NHK大河ドラマ・ガイド)』(NHK出版)

 前回(第35回)から新章に入った『豊臣兄弟!』ですが、次回(第36回)らは「姫若子と鬼若子」と題し、「四国攻め」――つまり羽柴政権と“四国の雄”こと長宗我部元親(磯部寛之さん)の激突を描くようです。

信雄を追い込んだ秀吉の底知れぬ恐ろしさ

 異例なのは、『長宗我部兄弟!』と題したスピンオフドラマも別枠で放送されるとのこと。『豊臣兄弟!』制作陣の「四国攻め」にかける熱量が感じられますが、その理由は「四国攻め」こそ、ドラマの主人公・羽柴秀長(仲野太賀さん)のキャリアの頂点ともいってよい大活躍が見られる戦だからなのです。

 前回、丹羽長秀(池田鉄洋さん)が「秀吉は天下人になれる。秀長がいるから(要約)」という台詞を残してドラマを退場していったように、“政権ナンバー2”として秀吉(池松壮亮さん)を補佐する立場にいるのが秀長であることが本作では強調され続けています。

 教科書的にも「四国攻め」は、1585年(天正13年)、羽柴秀吉と長宗我部元親の戦と定義されがちですが、そこで実際に活動したのは、秀吉の弟・秀長その人でした。

 秀長の大活躍ぶりときたら、秀吉の助力なしに、長宗我部元親という猛将――まさに「鬼若子」を「武人」として打ち倒したのみならず、直前まで不倶戴天の敵であった元親を味方として取り込むことにも成功という「外交官」としても桁外れの成功を見せつけたのです。いつもの“ナンバー2”としてではなく、秀長が主人公ムーブをかませる珍しい機会が「四国攻め」ですから、制作陣がアツくなる理由は明白ですよね……。

 近年の「大河ドラマ」において「四国攻め」はダイジェスト的に扱われがちな印象なので、ここにあえてスピンオフまで仕込んでいるのは、本作の「四国攻め」が高いクオリティに仕上がっている証拠だと思われます。しかし、約1年と長期にわたった「小牧・長久手の戦い」を、ドラマ1回分の放送時間で描いた『豊臣兄弟!』ですが、史実ではごく短期――出陣から撤収までわずか2カ月でカタがついた「四国攻め」についてはどうするのでしょうか。

 キャスト陣の演技合戦が見どころになりそうですが、あくまで主人公・秀長の活躍を何回かに分けて描くのでしょうか。この辺は興味津々ですが、まず史実においてどのような展開だったのかを見てみましょう。

 1585年(天正13年)6月16日、秀長は全軍の総大将格として、羽柴政権に忠誠を誓わない長宗我部元親を討伐するべく、四国へ出陣しました。

 秀長の作戦は、10万ともいわれる自軍を複数に分割して四国の各地に同時上陸させ、長宗我部軍の息の根を止めるというもの。

 具体的には讃岐方面に黒田孝高(官兵衛、倉悠貴さん)、宇喜多秀家、蜂須賀正勝(高橋努さん)たち。伊予方面は毛利輝元(濱正悟さん)、小早川隆景(山本浩司さん)ら毛利家の面々を上陸させ、そして秀長本人と甥の三好信吉こと羽柴秀次(山田涼介さん)は阿波から侵攻開始というプランでした。ちなみに秀長は和泉出発→淡路洲本経由→阿波というルートで、三好信吉(=羽柴秀次)は、播磨明石出発→淡路岩屋経由→阿波という別ルートです。

 このとき、信吉は秀長とは別の上陸地点で阿波に入っているので、いわば四方向から、総勢4万の長宗我部元親軍を囲い込む……という実に壮大な作戦でした。

 ちなみに前回のドラマでは、全国に拡大する「小牧・長久手の戦い」に端を発する戦禍の中で、織田信雄・徳川家康から援軍要請が届いた毛利輝元に、彼らの本拠地である中国地方からの参戦には無理があるから「ここは様子見で、羽柴に恩を売ってやるか(要旨)」とする場面がありました。それゆえ、その程度の関係の毛利家に、秀長は重要な「四国攻め」の一端を任せたのか……と思えてしまうかもしれません。

 しかし史実は違います。ドラマには描かれなかった秀長(そして秀吉)による、毛利家懐柔政策が着実に実行されていたのですね。その結果、天正11年(1583年)の「賤ヶ岳の戦い」の最中でも、秀吉・秀長は毛利家と書状による連絡を絶やさず(=つまり、柴田方に付くなよ、という牽制)、翌・天正12年(1584年)2月の時点で、「将来的に四国の雄・長宗我部元親を討ち取った際に協力してくれたら、毛利家に伊予を差し上げよう」という密約が成立していたことを裏づける書状まで存在しています。

 だから、「四国攻め」の秀長の作戦では、毛利家の面々が伊予方面からの上陸をしているのでした。

 しかし、長宗我部軍も簡単には秀長配下の“連合軍”の侵略を許そうとせず、7月3日に予定されていた秀吉の四国出兵が迫ってきたので、秀長は「最後まで自分に任せてほしい!」と、秀吉に書状で頼み込みました。秀長いわく「まだ敵を制圧しきっていないのに秀吉が出てくれば、自分の力不足を世間に晒すことになり、秀吉の威光にも傷がつく」とのこと。秀吉は素直にこれを受け入れて出陣を延期しています。

秀吉による「朝廷対策」

 ですが……なぜ重要な場には必ず顔を出したがるタイプの秀吉が、秀長の要請を呑んだのかという部分に疑問を感じずにはいられませんが、それはおそらく当時の秀吉が「越中の佐々成政攻めの準備」と「朝廷対策」で超多忙だったからでした。

 前者が本格化するのは「四国攻め」終盤以降ですから、「朝廷対策」について今回はお話します。

 前回のドラマでは、滝川一益(猪塚健さん)から長引く戦(=小牧・長久手の戦い)に不満な大坂の民たちから「秀吉は出自が悪い」と揶揄されていると聞かされた秀吉がブチ切れ、刀を振り回そうとして卒倒する場面がありましたよね。実はあのシーンにも歴史的背景があります。

 具体的には天正12年(1584)6月16日、想定以上に戦線拡大・膠着してしまった「小牧・長久手の戦い」に疲弊した秀吉が「霍乱(かくらん)」――暑気あたりによる病の治療のため、一時的に本拠の摂津・大坂城へ戻った記録が存在し、そこに「小牧・長久手の戦い」の合戦中、榊原康政から受けた挑発目的の手痛い侮蔑を“接ぎ木”したのが、例の場面だったのではないでしょうか。

 ドラマの演出で秀吉をディスったのが榊原康政(栗原類さん)だとはされません。

「小牧・長久手の戦い」において、家康に命じられた榊原康政が「秀吉は卑しい身分の生まれで、もとは馬前を走る足軽にすぎなかった。信長公に拾ってもらった身の上なのに、その子である信雄公をないがしろにする逆賊だ」と書かせた檄文をばらまいた、もしくは立て札形式の文書を作成したという逸話があるのです。

 江戸時代の大学者・新井白石によると、秀吉は激怒のあまり、「康政の首を取った者には10万石を与える!」と命じたとのこと……。コンプレックスを刺激されてしまったわけですね。

 秀吉が足軽上がりなのは事実ですし、そこから信長(小栗旬さん)に才能を認められ、大将にもなれたというのは、当時としては奇跡的な大出世です。「あの人は凄い」という畏敬の目で見られますが、それは「でも、あいつは足軽上がりだろ」とバカにされるのとワンセットでした。またそんな自分が「天下人」として崇め奉られるには心許ないのは、秀吉としても重々承知の上だったのでしょう。

 そこで秀吉は、身分は高くても金に困っている朝廷の公家たちの切り崩しを始めるのです。当時の公家社会のトップは藤原道長の直系にあたる「五摂家」という5つの家の当主たちなのですが、それらの当主たちが、朝廷最高位の関白という地位を奪い合っていたのが、天正13年(1585年)6~8月の「四国攻め」の時期だったのでした。

 朝廷では現役の関白・二条昭実と、前関白の嫡男・近衛信輔(のちの信尹)の間で関白のポストを巡る“内戦”が起きており、狡猾な秀吉は「これはイケる」と直感したようです。秀吉は近衛信輔の父親で、武家との距離が近かった近衛前久に接近し、近衛家の猶子にしてもらいました。猶子とは「相続権のない養子」なのですが、これだけでも足軽上がりの秀吉が、公家社会では最高の名門・近衛家の一員という体裁にはなり、その上でこれまで平氏を自称していた羽柴家を、藤原氏の氏族ということに無理矢理の「改姓」。

 さらに例の政治力を発揮し、「摂家同士が争えば、どちらが勝っても負けても、朝廷の治安が悪化するだけ! ここは私が関白になります!」と仰天の理屈で、公家たちを調略。

 もちろん口利きをしてくれた近衛家には1000石加増、その他の4つの摂家には500石加増、そのうち近衛信輔に関白位は譲るという条件も出し、秀長による「四国攻め」の真っ最中の7月11日、従一位という極めて高い官位と、関白の座を入手することに成功してしまったのでした。

……というのが次回の内容の史実的背景です。

 なおドラマでは、秀吉を悪く描かないための工夫でしょうか、「小牧・長久手の戦い」で、身内の七光りで大将にしてもらったものの、「武功も挙げずに退けるか!」という三好信吉(=羽柴秀次)のサイコパスっぷりが印象的でした。

 あくまで「自分は悪くない、知らせに来なかった者が悪い」と他責型すぎるパーソナリティの信吉でしたが、一時期は秀吉の甥として、関白の位を継承し、羽柴=豊臣家の跡取りと目される地位にも成り上がっています。最新研究では「秀次が秀吉の養子になった」という通説は否定されているのですが、その微妙な距離感の遠さが、秀吉にうとまれ、自害に追い込まれる秀次の悲劇の死につながったともいえます。

 ドラマとしてはあくまで秀吉を「善人」として描くでしょうから、彼と敵対してしまった秀次を「悪人」に設定せざるをえないのですが、今後、信吉=秀次がどう描かれていくのか、興味津々で見守りたいと思う筆者でした。

信雄が秀吉から受けた“辱め”

(文=堀江宏樹)

堀江宏樹

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『エリザベート~神の手を持つ王女~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。最新刊は『幕末維新 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

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堀江宏樹
最終更新:2026/09/21 03:30