遺産総額13億円超 ドン・ファン元妻の須藤早貴「一審無罪」の衝撃度
さて、秋篠宮悠仁さんの筑波大入学が決まったが、何やらモヤモヤしたものが残っているのはなぜなのか。
これまでの「悠仁さん東大一直線」報道はいったいなんだったのか。
元皇室記者で成城大の森暢平教授は、悠仁さんの「東大志望説」は全くのフェイクニュースだったと厳しく批判している。
森教授によれば、相当早く東大進学説を唱えたのは悠仁さんがまだ幼稚園生のときの週刊朝日(2012年9/21日号)だったという。タイトルは「『脱・学習院』で目指せ東大!?」。
女性セブン(2013年9/26日号)でも、紀子さんが「学業を究めて東大農学部に進学してほしいなんて夢もお持ち」と報じた。
悠仁さんが筑附に進学してからはさらに“憶測”は強固なものになっていった。
「東大農学部には応用昆虫学や昆虫遺伝子学などの有名な研修室があるから、紀子妃の『東大計画』はより現実味を帯びることになる」(文春、2022年1/27日号)
トンボ論文発表や今年8月に京都で行われた国際昆虫学会議でポスター発表したことを根拠に、「東大への道のりは、この夏で十分整った」(新潮8/15・22日号)と、憶測は確信に変わっていったのである。
森教授の批判の矛先は有識者にも向けられる。
「例えば、政治学者の原武史は『「東大進学問題」ですが、一般入試で受験して合格すれば何の問題もないでしょう。しかし一般市民が中に入れない赤坂御用地をフィールドにした「トンボ論文」による推薦入学ですと(中略)本当の実力が分かりづらくなる』と論じた」(『AERA』9/9日号)
それ以外にも、森教授のいうように、多くの有識者たちが、「学習院に進むのが筋」「天皇になる人は生物学ではなく日本史を学ぶべきだ」「秋篠宮は帝王学を疎かにしているのではないか」など、東大入学を前提にして、秋篠宮家の教育方針を批判したのだ。
こうした風説の流布がメディアを通じてなされ、一般市民たちの民意が形成されていった。
秋篠宮が先の会見の中で、以下のように述べていたのは、こうしたことも頭の中にあったのかもしれない。
「会見で記者会は、宮内庁が4月からインスタグラムを活用して天皇、皇后両陛下のご活動を中心に発信している点に触れつつ、ご一家へのバッシングの『受け止め』を尋ねていたのだが、
『秋篠宮さまは「バッシング情報というのは第三者と当事者では意味合いが異なってくると思います」と切り出され、「当事者から見るとバッシングというよりも“いじめ的情報”と感じるのではないかと思います」と述べられたのです』」(宮内庁担当記者=文春12/12日号)
この会見の時点で、悠仁さんの筑波大受験は決まっていたはずだ。筑波大は「併願」を認めないといわれるから、東大という選択肢はなくなっていたのだが、ほとんどのメディアはそれに気づかなかったようだ。
ここでいうメディアは週刊誌のことだが、雑誌の皇室情報の情報源の多くは皇室担当記者である。宮内庁関係者などとして登場する匿名コメントの多くは皇室記者だと思っていいはずである。
悠仁さんの東大進学情報がどのように週刊誌にリークされたかは知らないが、それを否定した新聞は寡聞にして聞いたことがない。テレビも同じである。メディア全体に暗黙の了解のようなものがあったのではないか。
そういう意味ではすべてのメディアの敗北といってもいいだろう。
来年4月から、悠仁さんは筑波大学キャンパスでの学生生活が始まる。ここは258ヘクタール、東京ドーム55個分もあるといわれる広大な敷地である。
クラスの移動だけでも大変なようだ。新潮で、総合学域群の1年生男子は、
「他の学類の授業を受けようとすると、お互いの研究棟が遠い。学内には循環バスが走っていますが、利用者が多くて時間通りに来ないことが多く、満員で乗れない場合もあります。バスのせいで授業に遅れても、遅刻扱いになってしまうのです」
と話している。
そのため多くの学生たちは校内を自転車に乗って移動するようだが、キャンパス内の道路が起伏だらけで大変だそうだ。
その上、勉強も相当忙しいようだ。悠仁さんの先輩になる生物学類3年の女子生徒はこう話している。
「1年目は基礎生物学実験が金曜の4~6限にまたがっていて、レポートも書かなければならないのでハードでした。進捗次第では、実験は18時以降に延びることもありました。2~3年次は実験に加えて、下田の臨界実験センターで1週間泊りがけの実習があります。3年の終わりまでに4年次の必修以外の単位を取っておき、4年は卒業研究に集中することになります」
私は学生時代、大学は遊びに行くものだと考えていたが、そうはいかないようだ。
だが、そうなると心配になるのが警備の問題である。
新潮によると、赤坂御用地から大学キャンパスまでは距離にしておよそ70キロだそうだ。自動車で片道約1時間半を要し、朝の混雑に巻き込まれれば、何時に着くかわからないようだ。
それを見越して御用地を出るとすれば朝7時前には出なくてはいけないし、帰りも相当遅くなる。
さらに、警備の管轄の問題がある。最初は警視庁だが、途中から埼玉県警、千葉県警と中継して、最後は茨城県警に引き継ぐということになるそうだ。
もちろん、警視庁が警備体制のグランドデザインを描くのだろうが、なかなか厄介なようだ。
さらに筑波大学校内の警備の問題がある。
「現状では、筑波大の承諾を得て構内に『待機所』を設け、皇宮警察と茨城県警にプラスして、ノウハウが豊富な警視庁の警衛課も加わって異例の“三者合同警護”で臨むという案も検討されています」(警察庁関係者)
秋篠宮夫妻は、悠仁さんが親元を離れて筑波で暮らすことを考えているようだから、向こうに一軒家を借りて一人暮らしをすることになると思うが、将来の天皇を迎える筑波大のほうも受け入れ態勢を整えるのは大変なことだろう。
しかも、姉の眞子さんのようにキャンパスで運命の女性に出会う可能性もある。
これからまた、悠仁さんが誰々とお茶を飲んでいた、文化祭である女子学生と親しそうに話していたという「噂」が、週刊誌などで報じられるのだろう。
次も新潮から。部下に性的暴行をはたらいたとして逮捕された元大阪地検検事正の北川健太郎(65)は、初公判で公訴事実を認め、謝罪したいといっていた。
だが、突然の無罪主張であったという。検察庁の王様とまでいわれた北川は、なぜ強気の姿勢に転じたのか。新潮によれば、裁判が混迷を極める“元凶”は、ホラ吹き女性副検事の存在だったというのである。
デイリー新潮(12月18日)から引用してみる。
〈起訴状などによれば、事件は18年9月に起きた。被害を訴えた女性検事は、北川被告の検事正昇進祝いで開かれた懇親会に出席。彼女は日頃の激務に加えて家事や育児の疲労の影響で、図らずもテーブルに伏すほど泥酔してしまう。
宴席終了後、北川被告は酩酊した彼女をタクシーに乗せ、自らの住む大阪市内の官舎へ連れ込み暴行に及んだ。途中で意識を取り戻した彼女は、夫や子供と住む家に帰りたいと懇願するが、北川被告は“これでお前もオレの女だ”などと言い放ち、行為を続けたというのだ。
が、一転して無罪を表明した北川被告の弁護人である中村和洋弁護士は、前述の協議後に開いた会見でこう説明している。
「北川さんには、女性が抵抗できない状態だったとの認識はなく、同意があったと思っていました」
ならば、どうして北川被告は初公判で起訴事実を認め、謝罪まで口にしたのか。中村弁護士いわく、
「(北川被告には)事件関係者を含め、検察庁にこれ以上の迷惑をかけたくないという思いがあった。しかし、その後の事件関係者に生じた情報漏洩等に係わるあらぬ疑いや、また検察庁に対する組織批判により、北川さんはこのような方針が間違っていたのではないかと悩み、自らの記憶と認識に従って主張することにしたのです」〉
古巣に迷惑をかけないよう裁判で争わないと決めたのに、検察への思わぬ批判が起きた。だから無罪主張に転じるという理屈。にわかには信じられないが、これには説明が必要だと新潮はいう。
〈実は被害を訴えた女性検事は、事件の発端となった宴会に同席した副検事の女性も、名誉毀損や国家公務員法違反などの疑いで刑事告訴・告発している。また大阪地検に対しては、この副検事による誹謗中傷行為があったとして調査を申し立てたほか、国会議員らで構成される「検察官適格審査会」に罷免を求める申し立てもした。
先の記者によれば、
「無罪を主張する会見で、北川被告側が言及した『事件関係者』とは、この女性副検事のことでしょう。以前職場で北川被告の秘書を務めており、事件当時は検察事務官だった人物です。今回の事件で重要なキーパーソンと目されています」〉
北川被告側の会見の翌日、性被害を訴えた女性検事も会見を開いて、件の女性副検事についてこう話したというのだ。
〈「女性副検事や信頼していた検察職員からセカンドレイプの被害まで受け、信頼していた検察組織から心無い対応をされ続け、絶望と孤立感を深め、とても苦しみ続けていました」
性的暴行事件の捜査の中で、検察は件の副検事にも聴取を行っていた。調書の開示を受けたという女性検事は、その内容について以下のように説明している。
「副検事は、私が被告のことをとても好きで、以前から“被告人と飲み会をしたい”と、ずっとしつこく言っていたので飲み会をセッティングしてあげた、私は飲み会の最中も被告人に対して“ずっと前から被告人のことが好きだ”“チューして”“ハグして”と手を広げるなど、好意を示していたと供述していました」
さらに副検事は、懇親会終了後、女性検事が率先して北川被告を官舎へタクシーで送り届けたと供述。北川被告や女性検事を含めて懇親会の参加者6名中、副検事だけが酒を飲まないので、“自分の記憶が最も正確だ”とアピールしていたという。
「単にうわさ好きの人が“(行為に)同意していた”とか言っているのではなく、副検事はまさに自分が事件関係者であり、事件の真相を知っているという前提で『被害者は酔っておらず、同意していたんだと思う。賠償金も受け取っているのに被害申告している』、あるいは『PTSDは詐病である』などと吹聴していた。それを聞いた人から確認が取れたので、名誉毀損として告訴しています」〉
たしかに女性検事は慰謝料として北川被告から1000万円を受け取っていたが、“汚い金”を使うことはためらわれると突き返し、被害を訴え出たという。
この裁判、注目して見ていきたい。
今週の最後は紀州のドン・ファンといわれ、コンドームの販売から始め、貸金業で儲けたカネで女遊びを繰り返していた野崎幸助が「怪死」した事件で、犯人ではないかと当初から疑われ、逮捕された須藤早貴が、和歌山地裁で「無罪」の判決を受けるまでの経緯を丹念に追った文春の記事。
野崎が自宅で命を落としたのは、2018年5月24日夜だった。享年77。死因は急性覚醒剤中毒。
須藤は野崎の3番目の妻で、入籍からわずか105日後の死別だったが、第一発見者でもあった。その日は、家に野崎と須藤の2人しかいなかったのだ。当時22歳の若き未亡人、須藤早貴に、当初から夫殺しの疑惑が付きまとっていたのは致し方なかろう。
2021年4月に須藤は殺人と覚醒剤取締法違反で逮捕、起訴された。それから3年以上が経ち、今年の12月12日、和歌山地裁101号法廷に裁判長の凛とした声が響いたという。
「被告人は無罪」
証言台の前に座る黒いパンツ姿の須藤早貴被告(28)は、背中を丸めてうつむき、涙を流したという。
「公判の争点は二つ。野崎氏の死は殺人事件だったのか。であれば、犯人は須藤被告なのか。直接証拠がない中、検察側は、須藤被告による遺産目当ての殺人事件として『事件性』と『犯人性』を立証すべく、総勢二十八名に及ぶ認人尋問を実施し、論告では無期懲役を求刑しました。
対して須藤被告は、初公判で『殺していないし、覚醒剤も飲ませていない』と否認し、無罪を主張。弁護側は『薄い灰色を何度重ねても黒にはならない』と強調し、推定無罪の原則を前面に出して争いました」(司法担当記者)
結果として裁判所は、須藤に疑わしい点があることは認めつつも、「被告人が野崎を殺害したと推認するには足りない」として、無罪をいい渡したのである。
野崎は須藤と対面した初めての日、「会いに来てくれてありがとう」と帯封付きの現金百万円を手渡したそうである。
それ以後、野崎から熱烈な求愛を受けた須藤は、月百万円のほかに、「田辺市には住まない」「セックスはしない」などの条件を加え、結婚に同意した。
入籍日の新婚初夜、野崎から性的な行為を求められた須藤は、「しない約束だよね」と冷たくいい放ち、ゴム手袋をつけて野崎の陰部を触る行為までは許容したが、紀州のドンファンの異名とは裏腹に、既に性的機能が衰えていて勃起しなかったという。
以後も、田辺市の自宅を訪れた際に同様の要求はあったが、結果は変わらなかった。
野崎の20年来の愛人であるX子を引き合いに出して、「俺を勃たせられるのはX子だけ」といい、須藤が「じゃあX子に頼みな」と突き放すこともあったという。
その頃、須藤は東京に住んでいたが、離婚届を用意してまで同居を懇願する野崎に根負けして、2018年3月末から野崎の自宅で暮らし始めた。
そして4月になって、「社長から(下半身が)もうダメだから、覚醒剤でも買ってきてくれませんか」といわれたと彼女は証言していた。
野崎の命を奪った覚醒剤を野崎が自ら彼女に依頼したと証言したというのだ。
須藤は、捜査段階の取り調べで覚醒剤を買ってもいないし、買おうともしてないと供述をしていた。その理由を裁判で須藤は、「頼まれたといっても、信じてもらえないと思った」と釈明している。
野崎は入手してくれと20万円を彼女に手渡したそうだ。彼女はそのカネを自分の口座に入れたという。
しかし、須藤は野崎の依頼を放置したままにしていた。だが7日になって野崎から、「あれどうなった?」と催促されたため、同日夜、須藤はネットで検索し、掲示板「裏2ちゃんねる」に載っていた密売人の連絡先に電話したそうだ。日付が変わった8日の午前0時過ぎ、覚醒剤とされる結晶を入手した。
しかし、それを渡した翌日の夕食の時、野崎から、「あれ使いもんにならん。ニセモンや。もうお前には頼まん」といわれたという。
そして野崎が急性覚醒剤中毒で死亡するのはその45日後であった。
須藤という女性は、若くして人生の裏表を知りつくしたようなところがある。
彼女には4本のアダルトビデオに出演した“過去”がある。それが野崎にバレそうになったことがあり、それも殺人の動機につながるのではないかといわれた時期があった。
それに対して須藤は法廷でこう反論している。
「社長からAV出演を確認されたことはありませんでした。もし知られたとしても、社長自身が交際クラブなどに登録して、お金で女性を買っているんです。そういうところから紹介される女性って、私も含めて、みんな売春婦じゃないですか。だから、そんなの気にするかって話です」
野崎が亡くなってから約6年半が経つが、法廷で、元夫にいいたいことはあるかと聞かれて、こう吐き捨てたという。
「もうちょっと死に方を考えてほしかったです。社長があのタイミングで死んだせいで、私は何年も人殺し扱いなので。クソッ」
これほど肝の据わった被告を追い詰めるには、検察側の手駒が少なすぎたといわざるを得ないだろう。
文春によれば、判決を大きく左右したのは、検察側が実施した28人の証人尋問のうち、3人の証言だったという。
覚醒剤売人のAとBの2人。それぞれが別の日に出廷した。2018年4月7日、須藤本人から覚醒剤購入の電話を受けたのはBだった。翌日未明、田辺市内でその受け渡しを担当したのがAであった。
司法担当記者がこう話す。
「Aが須藤に渡したのは“本物の覚醒剤”だったと証言した。一方、Bは“氷砂糖”を砕いた偽物だったと言い張った。当日の品を用意したというBは、のちに本物の覚醒剤を扱うようになったが、少なくとも須藤と接触した当時は、本物を入手するルートがなかったと」
判決文では次のように触れられているそうだ。
「被告人がAから受け取った品物は、覚醒剤であった可能性はあるものの、氷砂糖であった可能性も否定できず、間違いなく覚醒剤であったとは認定できない」
さらに判決に影響与えた証言者は、野崎の長年の愛人X子。彼女は野崎からかかってきた不可解な電話の内容を法廷で証言した。時期は死亡する前の月の4月末頃とされる。
「覚せい剤やってるで、へへへ」
突然でふざけた口調だったとはいうものの、判決文にはこうあるそうだ。
「野崎が、この出来事に近い時期に、実際に覚醒剤を摂取して死亡していることからすれば、前記の発言を一概に冗談と決めつけることはできない」
さらに事故死だった可能性も完全には排除できないとして、無罪判決がいいわたされたようだ。
野崎の資産から負債を引いた遺産総額は13億2000万円にも及んだという。
謎めいた野崎の遺言状によって、遺産は田辺市に寄贈されてしまうようだが、配偶者の須藤には、民法で保障された遺産の取り分(遺留分)として、2分の1を減殺請求できる。
ただし須藤被告が殺人で有罪が確定すると相続の権利を失う。
検察側は判決を不服として控訴するだろう。二審判決の如何によっては最高裁までいくかもしれない。
この不可解な怪死事件の謎は、解明されるのだろうか。(文中一部敬称略)
(文=元木昌彦)