【塀の中の正月秘話】キットカットとカールにヤクザも狂喜乱舞! なぜそんなに喜ぶの?
「懲役の楽しみは、とにかく食べること。唯一、刑務所で腹いっぱいになれるのは、正月休みのときだけだから」(元受刑者A氏)
一般社会と同じように刑務所、つまり塀の中も12月28日の御用納めとなり、12月29日~1月3日まで正月休みに入るという。31日の大晦日には、年越し蕎麦が出て、正月三が日には、銀シャリと呼ばれる白米が食べられるというが、果たして受刑者たちはどのように新年を迎えるのだろうか。さまざまな制限がある身分でありながら、新しい年を迎えることに胸が弾んだりするのだろうか。
正月向けの特別企画として、何度かにわたり「塀の中の正月事情」をお届けしたい。まずは数年前まで長年刑務所暮らしを繰り返してきた元受刑者A氏のケースである。
ーーやはり刑務所でも、新年を迎えるということはうれしい?
A氏 それはもちろん。年が変わるということは、それだけ出所が近くなるということだからさ。出所が何年も先だったとしても嬉しいもの。仮に3年後が出所だったとしたら、年が明ければ再来年と口にできる。それだけでもシャバが近づいてきたように感じることができる。(刑務所の)中では、誰しもがとにかく早く時間が過ぎてほしいと思っている。だって時間が過ぎないと、シャバに帰れないんだもん。やっぱり年が変わるのは、刑期の長短に関わらずうれしいものだよね。
ーー刑務所で年末年始を過ごしていても虚しいのではなく、喜ばしいことが多い?
A氏 そういうこと。たとえば、中から謹賀新年とか書いた年賀状を出すことだって認められる。シャバの人は、中から年賀状もらっても「何がめでたいんだ!」と思うかもしれないけどさ。当の懲役は誰に送ろうかって必死にない頭を捻らせてんだ。シャバに出た瞬間に、年賀状なんて書きもしないのによ。どの刑務所もシャバに年賀状を出せるのはだいたい5枚までと決まっていて、年賀状の受付が始まると、正月が来ることを実感するね。普段はギスギスしながら受刑生活を送っている懲役たちだって、正月休みが近づくと自然と穏やかな顔になってんぜ。この時期が一番ケンカだって少ねえんじゃねえかな。
なにより懲役たちがガキのように正月休みを楽しみにしてる一番の理由はなんと言ってもホヤキ(お菓子)だな。30日あたりからお菓子が配られんだ。大晦日にはカップ麺の蕎麦が食べられて、1年で唯一、消灯時間だって夜の12時になるんだ。起きれば、麦飯が銀シャリになっていてさ、朝になれば、折にお節料理が配られてくる。昔はさ、餅なんかも出ていたけど、毎年、必ずどっかの刑務所で、餅を喉に詰まらせ亡くなっちまうじいさんの懲役がいたので、最近では餅こそ出なくなっちまったけどな。テレビだって布団に入りながら観れるなんて、普段のがんじがらめの生活じゃ考えられないぜ。犯罪者の身分で、シャバよりも正月らしい正月を送ることができてんじゃねえかな。
ーーただ、刑務所によっては正月休みの良し悪しもあるとか。
A氏 その通り。まず移送された刑務所で真っ先に、すでに受刑生活を送っている懲役に聞くのが「ここの正月はよろしいでっか?」ということだろな。つまり、正月休みのお菓子や三が日の飯はいいのかというのは誰でも気になるんだ。「ここの正月は悪いでっせ!」と言われば、もうがっかり。逆だったら、正月が来るのが待ち遠しく、楽しみになる。
そんな感じで、同じ矯正施設でも一律ではないんだよな。大晦日にまとめてホヤキを舎房にいれてくれるところもあれば、かりんとうや黒飴といったがっかりするようなホヤキをチマチマと1日一個ずつ入れてくる刑務所だってある。テレビだってそうさ。正月休みの間は「自由チャンネル」と言って、好きなテレビを見せてくれたり、録画した気の利いた映画を観せてくれる刑務所もある。それは教育のセンスだったり、メシを担当している用度課の頭の柔軟さで全然違うんだ。
「次に行くなら東北の刑務所」
ーーでは、一番当たりだと感じた正月休みは?
A氏 大晦日に袋詰めのキットカットとカールが出てさ。晩飯食べたら、年越し蕎麦のカップ麺までまとめて支給されてきたことがあったんだ。もうそのときは、ヤクザもカタギの犯罪者もみんな狂喜乱舞してたな。あのときは腹いっぱいになって、もう思い残すことはねえと感じたほどだったよ。ギャグでも大袈裟でもねえぜ。だって刑務所で腹いっぱいになれるなんて、まずない。胸焼けとは無縁の粗食だからよ。常にどの懲役も飢えて腹をすかしてんだ。あの感動はシャバではまず味わうことができないだろうよ。シャバでないだろう。子どもみたいに珈琲飲んだら夜寝れねえなんて。中じゃカフェインなんて飲めねえからよ。たまに飲むと目がギンギンに決まって寝れねえんだよ。
ーー逆に苦い思い出の年越しなどはあるか?
A氏 それはあるさ。正月の休み前に事故落ちして懲罰に座らされたんだ(刑務所内で規則違反などのトラブルを起こし、懲罰房などへ収容されること)。大晦日も罰に座って独居で1人で年を越したことだってあるよ。雑居からは楽しそうな声が聞こえてくるし、あのときは侘しかったよな。テレビや本だって見れないんだ。ただ、官側(刑務官側)も粋でよ、三が日くらいは人間らしい正月を過ごさせてやろうって、懲罰中でも罰の執行が一時停止されて、三が日はラジオを聞くことや本だって読めんだ。でも夢のような三が日を送れば、1月4日からまた懲罰だからさ、げんなりさせられたよな。まあ、悪事を犯しておいて刑務所に来てんだから、正月休みを楽しみにしてるとか、シャバの人たちが聞いたら、ど厚かましい話と思うだろうけどな。
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元受刑者A氏は苦笑いしながら、こんなことを語るわけだが、これらを聞いて疑問が浮かぶ人もいるだろう。そもそも反省をしていないのか?と。
「『郷に入れば郷に従え』だよ。何年も務めなきゃなんないんだぜ。楽しみくらいは誰だってあるよ。たとえ人殺しだってもな。ただよ東北管区の刑務所はメシもうまいときくから次に刑務所に行くならば、東北の刑務所を希望しようて考えてんだ。外が寒すぎるおかげで暖房もついていると言うし、そうなればもらいだろ」
懲りてはいないようだ……。
「昔は、今じゃ考えられないことにさ、正月には仲の良い不良好きな刑務官が、こそっとウイスキーボンボンをバレないようにくれたこともあったな。今じゃ、めくれたらタダじゃすまないけどな。緩やかな時代だったんだろうな」
悪いことをせずに社会で新年を迎えるほうが誰だって良い。しかし、中には中の悲喜交交の思いがあるようだ。
(文=佐々木拓朗)