映画『失楽園』に出演した能楽師・森澤勇司「能楽師は日本最古のYouTuber」

「制御システム」や「電子機能システム」を専門とし、特に超音波工学と圧電材料学に精通する桐蔭横浜大学専任講師・石河睦生が、“なぜか不思議と幅広い”ネットワークを活かし、「都市伝説になるかもしれない」事業家・アーティスト・科学者を紹介する本連載。
今回登場いただいたのは、能楽師小鼓方として活動されている森澤勇司さん。昨年7月にはディスカヴァー・トゥエンティワンの人気「超訳」シリーズから『超訳 世阿弥 道を極める』(ディスカヴァークラシックシリーズ)も発売されました。そんな森澤さん曰く「能楽こそ都市伝説」とのこと。前編では、能楽師に導かれた不思議な夢の話から能楽の世界がいかにスピリチュアルであるかについて語ってくれましたが、後編ではさらに深掘りして、そのディテールに迫ります。
AIには答えられない、感覚のバグらせ方
石河 前回は森澤さんが、夢に導かれて能楽師となり、今はその世界観がスピリチュアルな世界と交差しているとして、その精神をさらに広めていこうとされているというお話をしていただきました。
能楽の理論書である世阿弥の『風姿花伝』をビジネス書的なお話としてわかりやすく融合させた書籍『ビジネス版「風姿花伝」の教え」』(マイナビ新書)が大変おもしろかったんです。
この本では、例えば源氏物語や平家物語といった、歴史の中で紡がれて現在でも残っている長編について僕らは、存在は知っているけど、詳しい内容やその背景はあまり知りません。書籍ではそれらの物語が現代人の感覚と何が違って、何が共通するのか、ということを書いていらっしゃいますよね。
そもそもこの「都市伝説になりそうな人たちへのインタビュー」連載について話をしたときに、「能楽はかつての都市伝説みたいなもので、昔の人にとってのスピリチャル体験の場のひとつなんですよ」とおっしゃっていて、私は「そうなんですか! どういうことですか?」と思いました。要は能楽って、当時の都の噂が物語になったものであって、現代の都市伝説も街の噂話みたいなものだということで。そういう風に、古典を現代人に伝える、その伝え方がおもしろいなと思ったんです。
森澤 私は大学生の頃に門を叩き、能楽界へ入りました。当時、三島由紀夫の「行動学入門」(文春文庫)という本に、“歌舞伎と能楽の違い”というようなことが書いてあるのを読んだんです。例えば歌舞伎では「一世一代の勧進帳」を何度も演じる。一世一代と謳いながら25回も舞台があります。それに対して、能楽は常に1回しかやらない。だから花火のようにその瞬間しかないと書いてあって感銘を受けました。
石河 たしかに歌舞伎は、演目があって役者さんが集まって稽古をして、それを何度も演じるものだということは知っていますが、能楽は1回しかない、というのはどういうことなんですか?
森澤 能楽は、基本的に1回限りの公演しかありません。つまり、常に初日が本番ということです。例えば歌舞伎の場合、一つの演目を1カ月の間、同じメンバーで公演することが一般的です。しかし、能楽では主催者が配役を決め、能楽師に依頼をした後、公演の約1〜2カ月前(早くても2カ月前、通常は1カ月前)にプログラムが届き、共演者がわかるという流れになります。本番前に全員が集まって練習することはありません。個々の能楽師はそれぞれ自分のパートを練習しますが、全体を通したリハーサル(ゲネプロ)を行うことはありません。
石河 能楽師さんは当日、現場に行って、そこで他の方と一緒に演じて2回目はない、ということですか。
森澤 そうですね。例えば、30年に1回しか上演されない演目があったとして、そこで失敗すると、次の機会はおそらく生きているうちには訪れません。1回しかないという点で武士に好まれたようです。
お芝居の場合、演目が決まると何か月も稽古を重ね、何度も公演を行いながら完成度を高めていきます。しかし、能楽では同じように虚構を演じていても、基本的に「一度きり」の上演です。その点において、自分たちの生活の中で過ぎていく時間と同じ感覚で舞台に向かっていたようです。その名残が、今の能楽にも受け継がれています。
たまにコンサル的な立場の人が入ってきて、「人気のある演目は連続公演にすべきだ」とか「もっと何カ月もかけて練習し、完成度を高めるべきだ」といった話になることがあります。しかし、能楽師にとっては、それぞれの見えない準備段階を経て、一度きりの舞台を作り上げることこそ、本質なのです。
たとえるなら、演劇はシチューやカレーのようなもの。じっくり煮込むことで味に深みが出て売りになることがありますよね。「一週間煮込んだカレー」と聞くと美味しそうに感じますし(笑)。一方、能楽はお吸い物のようなものです。鰹節や昆布など、素材の準備には手間と時間がかかりますが、提供するときはサッとお湯にくぐらせるだけ。その一瞬の調和が、能楽の魅力なのです。
能楽のジャンルはおおよそ「スピ系・引き寄せ・シンクロもの」
石河 演劇や歌舞伎は観客側も演目のストーリーや世界観がわかってる状態で見ますよね。基本的に1回限りの公演しかない能楽でも同じですか?
森澤 能楽の題材はおおよそジャンルが決まっていまして。まずは神話や神社の由緒が題材なもの。その次に”修羅道”という武将を主人公にしたもので、これはほとんどが負け戦です。勝っている話は3曲ほどしかありません。その次が『源氏物語』などのいわば”スピンオフ”作品です。『源氏物語』をそのまま再現せず、その主人公がすでにこの世からいなり幽霊として思いを語るというようなものです。あとは「男女の別れと出会い」や「生き別れになった親子が再会する」人間ドラマ。それから鬼の能です。その9割が見えない世界、いわば”スピリチュアル系”の話です。ほとんどが、スピ系・引き寄せ・シンクロものです。
石河 それはたしかに都市伝説だ(笑)。
森澤 能楽の演目が当時の都市伝説だとしたら、能楽師はそれを語るYouTuberみたいな感じですね。「あの神話の真相はこうだった!」といった風なものを、能楽では「源氏のあの人って、本当はこんなこと思ってたんですよ」と演じる作品になっています。それは当時、『源氏物語』の素養がある人には面白かったんですね。
ただ現代の人は「『源氏物語』の存在は知ってるけど、読んだことがない」とか「『平家物語』も名前だけ知ってるけど中身はわからない」ことが多いです。演目がなにかのスピンオフだとしたら、パロディであることも楽しめるといいですね。
石河 そういったものは、日本の文化の根底にあるものですよね。しっかり知っておきたいですよね。
森澤 神話というのは、聖書でいえば「創世記」にあたる部分です。聖書ではその後に重要な内容が続きます。しかし、日本ではその続きの部分がほとんど語られない。私も子どもの頃から神話の本には親しんでいました。改めて読み直してみると「古事記を知っている」と言いつつ、神話の部分しか読んでいない人が多いことに気付きました。解説書もほとんどが神話の部分にしか触れておらず、講演会でも「天岩戸(あまのいわと)」や「八岐大蛇(やまたのおろち)」の話が中心になりがちです。その後の天皇の御代(みよ)については、意図的に避けられているのか、それとも単に触れられないのか、ほとんど語られることがありません。
そんな背景もあって『日本書紀』を読み始めてみると、通説として語られていることが、実は本当ではないケースが多いことに驚きました。例えば、日本の建国について「日本は2月11日に建国された」と言う人がいます。しかし日本書紀をしっかり読むと、そもそも「建国」という概念自体がないんです。日本の歴史を見ていくと、まず九州にニニギノミコトが天孫降臨し、その後、ヒコホホデミが登場し、さらにその後に神武天皇が出てきます。この流れを見ると、日本は一度「建国」されたわけではなく、ずっと王権が続いてきたことがわかります。
実際、日本の建国記念日(2月11日)は、昭和41年(1966年)に制定されました。その前は「紀元節」と呼ばれていましたが、これは明治時代に定められたもので、戦後にGHQの影響で一時廃止されました。さらに調べてみると、紀元節は「建国の日」ではなく、西暦のような「通し番号」をつけるための起点だったんです。そして、その起点として選ばれたのが、神武天皇の即位の日。しかも、当初は2月11日ではなく1月1日とされています。
実際に原典を読んでこうしたことを知ると、講演会や歴史の話をする人たちが、意外にも一次情報にアクセスしていないことが気になってきます。
石河 そうですね…。一次情報を見ずに、なんとなくの知識でなんとなく生きてるのが日本人的でもあります。
森澤 正しさが人気によって決まってしまう傾向がありますよね。例えば、私が「日本の建国」について解説すると、自分で調べたわけではないのに、「でも◯◯先生の講演ではこう言っていましたよ」と反論される、という不思議なことが起こります。
そういえば一度、飛鳥時代の578年に創業したとして有名な金剛組の社長さんのお話を伺う機会がありました。その時も「『現存する世界最古の企業の金剛組は、四天王寺建設のために日本に来た宮大工が創業した』という風に言われますが、本当は建設される15年前に来てるんですよ」とおしゃっていて。
確かに聖徳太子が百済から呼んだし、四天王寺の建設に携わりもしたんだけど、建設するために来たわけではないんです。金剛組のホームページにもちゃんとそう書いてあるんですよ。それが『四天王寺建設のために来た集団』として微妙にズレて伝わっちゃっている。一時情報を確認せずに、受ける話が本当になってしまう。
石河 それこそ都市伝説ですね(笑)。
森澤 そのため、私は必ず官庁のホームページなどの公式情報をしっかりと確認するようにしています。
「戦没者を慰霊し平和を祈念する日」について調べていくと、沖縄で降伏の調印が行われたのは9月7日とされています。一方で、世間では降伏の調印は、東京湾海上で行われた9月2日だとされていますが、沖縄の公文書館には9月7日に沖縄でも降伏調印をしたという記録の書類が残っているんですね。しかし、当時の沖縄は占領下にあり日本ではなかったためか、結果的に「降伏の調印は9月2日に行われた」という形になってしまっている。「本当のことを知っていますか?」と広める人たちがいるのですが、実際には公文書館の資料を確認していないことも多いのです。こういう話はあちこちで見かけますが、定番の都市伝説みたいになってしまっていますよね。
https://www.archives.pref.okinawa.jp/uscar_document/5391
石河 なるほど! 都市での不正確な情報が噂話になって、都市伝説が生まれる、と。それこそ以前に伺った「能楽はかつての都市伝説みたいなもので、昔の人にとってのスピリチャル体験の場のひとつ」ですね。
それでいうと、能楽の小鼓のポンポンという音は、冥界との信号でしたっけ?
森澤 異世界と通信するパルスという人がいますよ。例えば「源氏物語」で葵の上の霊を呼び出すのに、鼓の音が弓の代わりになっているとか。基本的に9割が目に見えない世界の話なので。やはり能楽は、スピ系でシンクロで引き寄せで、みたいなことなんですよ。「なんか、あそこに行きたいなと思ったら向こうからこうやってくる」とか「親子の再会だと、実はすでに会っているんですが、お互い誰だかわかってない」のような話がほとんどです。
石河 ちなみに世阿弥の言葉として「初心忘るべからず」は有名ですよね。他にもたくさん残ってると思うんですけど。
森澤 「秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず」も有名ですね。私が最近好きなのは「花は咲くによりて面白く、散るによりて珍しき」という言葉です。「花は咲くから面白いんだけど散るから価値があるんだ」といような意味です。
石河 いいですね。いい話が聞けちゃった。ありがとうございました!
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■森澤勇司(もりさわゆうじ)
1967年東京都生まれ。能楽師小鼓方。テンプル大学在学中に能楽界に入門し32歳で独立。1500番以上の舞台に出演している。43歳で脳梗塞で入院、退院後、うつ状態克服のため心理学、脳科学を学ぶ。復帰後は古典的な能楽公演を中心に活動している。著書に『ビジネス版「風姿花伝」の教え』(マイナビ新書)『超訳 世阿弥 道を極める』(ディスカヴァークラシックシリーズ)など。明治天皇生誕150年奉納能、映画「失楽園」、大河ドラマ「秀吉」に能楽師として出演。2014年 重要無形文化財能楽保持者に認定。
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