2025年以降、大学募集停止急増? 女子大が生き残る道は「理系・データサイエンス」

今回は、前回ご覧いただいた大学の定員割れの状況について、近年募集停止を公表した私立大学の具体例を挙げることから始めてみよう。
近年、募集停止を公表した大学については、2025年2月末時点で以下の表に示すとおりである。
募集停止年度 | 大学名 | 入学定員 | 所在地 |
2021年度 | 上野学園大学 | 100名 | 東京都台東区 |
2023年度 | 広島国際学院大学 | 250名 | 広島県広島市 |
2023年度 | 保健医療経営大学 | 80名 | 福岡県みやま市 |
2024年度 | 恵泉女学園大学 | 290名 | 東京都多摩市 |
2024年度 | 神戸海星女子学院大学 | 95名 | 兵庫県神戸市 |
2025年度 | 高岡法科大学 | 100名 | 富山県高岡市 |
2025年度 | ルーテル学院大学 | 90名 | 東京都三鷹市 |
2026年度 | 名古屋柳城女子大学 | 70名 | 愛知県名古屋市 |
この表からもわかるとおり、募集停止を発表した大学は「経済的に厳しい」とか「少子化が激しい」と言われる北海道や東北、四国ではないのだ。むしろ、募集停止を発表したのは都市圏の大学が多い。
さらに「女子大が危ない」ともいわれてきたが、実はそうでもない。世間の見方として妥当だと思われるものは「小規模な大学」であるということぐらいだろう。ただし、定員割れの影響で年々入学定員を減らしてきた大学もある。いま、定員割れに苦しむ大学の中には入学定員の削減が限界に達しつつある大学もあるだろう。
こうした大学は、今後募集停止に追い込まれる可能性がある。
地方よりも都市圏の周辺部が危険水域にあることは、前回の記事でも解説した。その大学にある学部と同じ、あるいは類似の学部がより都心に近いところにあれば受験生は都心の大学を選ぶ。
そんな状況をより具体的に理解するために、2017年に募集停止した東京女学館大学の例を紹介する。
東京女学館は、1886年に「女子教育奨励会創設委員会」を起源に1888年に東京女学館が設立された。創設委員会の委員長は伊藤博文、会長は北白川宮能久親王であった。最初の校舎には永田町御用邸が使われた。関東大震災で虎の門の校舎を焼失。渋沢栄一が第5代館長に就任して復興に尽力し、さらには1929年に設立された小学校の初代校長となった。こうして、東京女学館は明治期から長年にわたり、女子の初等・中等教育を担ってきた伝統校となった。
そんな伝統校は、1956年に専攻科を短期大学(文科)へ改組し、1979年には広尾から町田に移転した。さらにこの短大を改組して2002年に東京女学館大学(国際教養学部)を設立したが、開設当初から定員割れを起こしていた。その後、入学定員を削減したが定員割れは続いた。結果として2012年に募集停止となり、2017年に閉鎖された。大学はわずか15年しか存在しなかった。
短大は団塊世代から団塊ジュニア世代を超えて長らく存在したが、団塊ジュニア世代の学生をピークとした18歳人口は大学を設立した2002年には既に減少期だった。東京女学館大学は、短大から4年制大学への改組転換の遅れが募集困難の一因となった。そして、東京の郊外、国道16号付近というロケーションも募集困難に拍車をかけただろう。
私立女子校が卒業生の進学先として短大を設置し、女性の社会進出にともなって短大から4年制大学へ改組転換したところは多い。しかし、結局は学生募集に苦労する大学もまた、多い。文学系、家政系といった旧来の「良妻賢母」型の学部構成から脱却できない大学は厳しいだろう。さらに2023年の年末には多くの短大が募集停止を発表している。
良妻賢母型の学部構成だった武蔵野女子大学は、共学化して武蔵野大学となり、いまや総合大学になっている。京都女子大学や昭和女子大学は社会科学系、データサイエンス系へと拡大している。国立大学だが、奈良女子大学にも工学部ができた。共学化はもちろん、産業構造の転換を見据えた「理系シフト」は有効な生き残り策になるだろう。女子校の中には文系クラスよりも理系クラスが多いところがある。特に多くの生徒が難関大学に進学するような女子校では顕著だ。
女子校、女子大のような女子教育には意義もニーズもある。しかし、時代とともにその内容は変化する。女子大の危機は、18歳人口が大きく減少する2027年度以降に本格化すると考えられる。しかし、時代に対応した経営を行える大学と、そうでない大学の間で大きな差が生まれるだろう。
女子大の危機は、今後さらに深刻化していくだろう。