参院選突入、マスコミがファクトチェックを強化も…結局フェイクニュースに勝てない現実

ファクトチェックはフェイクニュース(偽情報)に追いつけない——。
「フェイクニュース」という言葉が広く認知された2016年米国大統領選以来、政治家の発言やSNSで流布する真偽不明の情報を検証する動きが世界中で活性化したものの、しばしばこの物言いが諦観とともに語られてきました。
日本においてこの状況が大きく変わる、かもしれません。
先日の東京都議選2025、そして、7月3日に公示された第27回参院選を契機として、ファクトチェック体制の強化を打ち出す報道機関が続々と増えているのです。読売新聞を筆頭とする報道4社は6月13日からネット上の選挙情報を検証する合同プロジェクトを開始。朝日新聞も同日に「ファクトチェック編集部」を発足させました。日本のマスコミ(新聞やテレビなど)はかねてからファクトチェック機能の弱さが指摘され、「ファクトチェック後進国」と呼ばれることを鑑みれば、劇的な変化と言えそうです。
しかしこうした動向が、情報環境の健全化にどの程度効果を持ち得るのでしょう。そして、どのような課題や懸念があるのか。これまで蓄積されたフェイクニュース(偽情報)研究や、過去の選挙報道でマスコミに向けられた批判を参照しながら考えていきましょう。
ターニングポイントは「マスコミの敗北」と呼ばれた2024年兵庫県知事選
斎藤元彦氏が再選を果たした2024年兵庫県知事選は、かつてないほど真偽不明の情報が拡散した選挙でした。
「斎藤氏はパワハラをしておらず、新聞やテレビは根拠なしに報じている」「斎藤知事の公約実現率98.8%」「(対立候補の)稲村和美氏が当選すると外国人の地方参政権が成立する」……。SNSで流布したこうした言説は斎藤氏支持者の背中を強く押した一方で、日本ファクトチェックセンター(以下、JFC)の検証では「パワハラをしていない」は「根拠不明」、公約実現率と稲村氏を巡る噂は「誤り」という報告がなされています。
この報告に則ると、根拠不明・誤りの情報が斎藤氏再選の一因になった、と言えます。ここで注目したいのはJFC編集長・古田大輔氏が、JFC以外のファクトチェック団体やマスコミからは検証記事がほとんど出ていなかった、と書いていることです。
なぜマスコミはファクトチェックに消極的だったのか。実際、地元紙の神戸新聞などには「デマの訂正にもっと力を入れるべき」という旨の批判が寄せられました。選挙報道の歴史を振り返ると、ある「伝統」がマスコミを縛ってきたという経緯があるのです。
ジャーナリズム研究を専門とする山田健太教授(専修大学)による解説がその実態と問題点を端的に示しているため、引用します。
通常の選挙期間中の紙面や番組を思い起こしてほしい。各候補者を必要以上に「平等」に扱うことに気を使っていて、新聞で言えば行数も写真の大きさも寸分たがわぬほど同じスペースである。一方の候補者のみを批判し、結果として貶(おとし)めることはご法度だ。しかしその結果、候補者情報は通り一遍の表層的なものになりがちで、有権者にとって投票にあたっての有益な情報にはなりえていない可能性が高い。
琉球新報(2018年12月8日)『<メディア時評・ファクトチェックの意義>報道変える起爆剤 選挙の「公平縛り」脱却』より。
選挙の際に、ある候補者の真偽不明な情報が大量に出回ったとして、それを逐一ファクトチェックして報じればその候補者の記事が増えます。報道量に格差があるだけで「候補者は平等に扱うべき」という伝統に抵触しますが、例えば「その候補者はパワハラをしていない」という言説を「誤り」だと認定することは「その候補者はパワハラをした」と報じているのと同義であるため、平等であるべき選挙報道に特定候補者への批判が増えてしまう、という理屈です。
この平等を重んじる報道姿勢は、主要な情報源を新聞やテレビが独占していた20世紀ならば正しい在り方だったのかもしれません。しかし、SNSが発達した現代に即していないのは明らかです。
NHKの調査によると、2024年兵庫県知事選で「何を投票の参考にしたか」という質問への最多回答は「SNSや動画サイト」で30%。新聞とテレビはともに24%でした。さらに、斎藤氏に投票したと回答した人の7割以上は、SNSや動画サイトを参考にしたと述べています。
投票行動に対する影響力の中心はすでにSNSや動画サイトに移行していて、そこでは根拠不明な情報や偽情報が野放しになっている。この構造が選挙に決定的な影響を与えるならば、もはや「伝統」にしがみ付いている場合でない——。ここ最近マスコミがファクトチェックの強化を進める背景には、そうした切実な危機感があることが見て取れます。
マスコミのファクトチェックは機能するのか
ではマスコミがファクトチェックに本腰をいれることで、真偽不明な情報や偽情報の悪影響を抑止することはできるのでしょうか。ある程度の効果はあるはずです。しかし、「投票先を決定する際に、真偽不明な情報や偽情報を根拠とする人を限りなくゼロにする」「真偽不明な情報や偽情報が選挙結果を左右することを防ぐ」といった具体的な目標を達成するためには、いくつもの難儀なハードルが控えています。
ひとつは身も蓋も無い話ですが、マスコミやファクトチェック団体が取材を重ねて発信する「事実に基づいた正しい情報」は、往々にして“退屈”であることです。一方で、SNSで拡散される真偽不明な情報や偽情報は、事実に基づいていないからこそセンセーショナルになりがちで、思わず目を留めたり、シェアしたくなったりする“魅力”に満ちています。
これがどれほど拡散力の違いを生むかを示す有名な研究があります。米・マサチューセッツ工科大学が2006〜 2017年にTwitter(現X)へ投稿されたニュース記事(偽情報も含む)の拡散パターンを調べた結果、偽情報は通常のニュース記事よりも70%ほどシェアされやすく、拡散する速度は約6倍でした。
そうした偽情報と戦うためにファクトチェックがあるわけですが、こちらも敗色濃厚です。英・オープン大学は新型コロナウィルス関連の誤った情報とファクトチェック記事の拡散度合いを調べていますが、Twitter(現X)上では誤った情報のほうが3.5倍ほどシェアされるという結果が出ています。
ファクトチェックに乗り出す報道機関が増えればこの格差は幾ばくか縮まるはずです。しかし問題の根幹は「関心(アテンション)を集める情報が勝者」となるSNSの構造自体であることを踏まえると、極めて困難な道のりだと思われます。
もうひとつのハードルは、こちらも身も蓋もないのですが「そもそもマスコミのファクトチェックを信じてもらえるのか」ということです。兵庫県知事選の記述で触れたように、斎藤氏の支持者には「マスコミの報道には根拠がない」と考える人々が一定数いました。これは単にマスコミが信頼回復に努めるべき、という話にとどまらず、人が生来持つ認知バイアスが関わっているため、やはり厄介な問題です。
特にファクトチェックの大きな壁となるのが「バックファイア効果」という認知バイアスです。人は本能的に信じたいものを信じる傾向があります。そのため、ファクトチェックによる偽情報の訂正で自分が信じるものを否定されると、それを信じる心理がさらに強まるケースがあるのです。
ファクトチェック体制を強化する報道機関が増えていることは、健全な民主主義を営むうえで多大な意義があると考えます。しかし民主主義の前提である「共通の事実に基づいた対話」を行うための土台自体が揺らいでいる今、私たちはどのような振る舞いが求められるのでしょうか。
この問いに対する光明として、メディア・リテラシー教育の重要性が近年ますます強調されています。しかし、メディア・リテラシー教育が「魔法の杖」のように語られる現状に対して、さまざま懸念が指摘されているのも事実なのです。次回はこの問題について掘り下げていきます。
(文=小神野真弘/ジャーナリスト、大学教員)