「両親が薬物中毒」「中国人とホテルトラブル」…【日本駆け込み寺・26歳代表に聞く】「トー横」の“日常”

新宿・歌舞伎町にある「新宿TOHOビル」横の広場周辺を指す通称「トー横」。若者たちの非行・犯罪の温床として社会問題化しているが、歌舞伎町は「トー横」という名前が広まる前から、常に誰かの逃げ場であり居場所となってきた。
そんな歌舞伎町のほど近くにある公益社団法人「日本駆け込み寺」で、2025年から2代目代表理事を務める清水葵さん(26)は、自身も「トー横キッズ」に近いZ世代として若者たちの声に日々耳を傾ける。清水さんが、支援活動に至るまでの背景を聞いた。
中1で母からの衝撃告白「実は血が繋がっていないんや」
――23年続いてきた団体の2代目。いきなりの重責にも思えるが。
「私は特別養子縁組なんです。1歳の時に今の親に引き取ってもらったんですけど、里親制度がまだまだ固まっておらず、その存在が知られてもいないような時代でした。自分が養子だと知らされたのは、中学1年生の時です。ある日の朝起きたら、お母さんから『実は(あんたとは)血が繋がっていないんや』という話を突然されて。
何の前触れもなく突然、です。当時、母はちょっと気持ちが疲れていたこともあって、『今日言わなきゃ』と思い込んじゃったみたいで。(打ち明けられて)びっくりだし、そこから反抗期が始まりました。親と血が繋がっていないという事実のもと、孤立感、孤独感に襲われて自暴自棄になり、とにかく自分以外の周りがすべて羨ましい状態になりました」(清水さん、以下同)
――そこから、なぜ社会奉仕活動へ?
「高校で、初めての海外でオーストラリアに行った時、貧富の差を目の当たりにしたんです。世界にはいろんな規模で、いろんな社会課題があるということを肌で感じ、私が抱えている家庭環境の悩みなんてめっちゃちっぽけだなあと。だったら、将来は何か困っている人たちをサポートする側になりたいと思ったのがきっかけです」

会社員→プー→「駆け込み寺」へ、「やるしかない」
「大学のボランティアサークルに入って、さまざまな支援や災害救援に参加しました。卒業後はいったん生活を安定させたくて、東京の福祉関係の企業に入社。ただ、配属された保育事業の職場で、正社員とアルバイトのトラブルや、親御さんの愚痴を言うスタッフを目の当たりにして、なんか思っていたのと違うなと。エリアマネージャーとして、子供たちや地域の親御さんのためにバリバリ働くイメージでいたのに、やりたいこと以前に会社の内部でつっかかる。そうしたストレスが歯がゆくて、2年ちょっとで辞めました。
何のアテもなく辞めたので、2カ月くらいプー太郎。UberEATSの配達員やタイミーとかで食いつないでいた頃、私のやりたいことを理解している知人から『日本駆け込み寺』を教えてもらいました。いざ話を聞いてみたら、自分の理念とマッチしていることを感じたので、2023年10月に入りました」
――とはいえ3年目で代表理事とは、早い。
「スタッフの入れ替えが激しくて、私が入社して1年後には4人になっちゃった。元代表の玄秀盛さんは今年70歳で、後継者問題が差し迫っていたのと、私は私でここを残したいという思いが強くて、自分がやるしかない、じゃあやるか、と」

何があっても「私は味方」守るスタンス
――「日本駆け込み寺」での日々は、“想像していた通り”なのか、そうではないのか。
「それはもう、裏切られるようなことはたくさんあります。約束の時間に来ない子やドタキャンもザラだし、『また来る』と言っても1回限りのことや、いつの間にかいなくなることだって当たり前。言っても伝わらない子はいっぱいいる。でも私自身、いろんな考えを経て今に至っているだけであって、現在進行形で悩んでいる子に、言っても響かないことはたくさんあると思うんです。
だから一つひとつ言葉選びをしないといけないし、伝えるタイミングも考えなくちゃいけない。言ったとしても、本人が行動しない限りは何も変わらないので、時間と忍耐が必要ですよね。こちらがムキになったら余計関係性が悪くなる。相手の歩幅に合わせないと、結局“上から”の言い方になってしまう。民間団体の良さは柔軟性だし、現実はロングランだから、何があっても『私は味方だからね』というスタンスは守らないといけないと思っています」
――原動力は?
「特別養子縁組という環境で育って、自分も孤立感、孤独感を抱えてきた。もし地元にトー横のような場所があったら、私も行っていたと思うんですよ。たまたま無かったから仕方なく家にいたけど、家を飛び出したくなった時期は確実にありました。
でも、周り回ってその時の気持ちが、やりたいことに繋がったことも事実です。回り道だとしても、もがいていれば自分のやりたいことが見つかって、それができるようになる、ということは伝えていきたい。自分を傷つけなくてもいいし、思ったより人生悪くないよ、と言い続けていきたい」

──活動するうえで、気をつけていることはあるのか。
「依存されないようにすることです。もちろん“頼れるお姉さん”ではありたいんですけど、トー横に集まるような子たちって誰かに依存するケースが多いから、距離感は大事ですね。一定の距離を開けていないと、『葵ちゃんがいるから歌舞伎町に来る』となっちゃうじゃないですか。それではいけない、ゆくゆくは歌舞伎町から離れてほしいのに、私やこの場所が依存先になったら本末転倒です。
だから、駆け引きですね。本当に病んでいたり落ち込んでいたりとかした時に『大丈夫?何かあった?』とは聞くけど、ここは若者たちの自立支援を目指している場所ので、サポートしすぎると成長にもならないし」

警察は、日々のトラブルは解決してくれない
――歯がゆさはないのか。
「家や施設が居心地悪いと感じている子が来ても、未成年は泊まらせられないんですよね。『犯罪に巻き込まれないように気をつけなさいよ』と言って帰すしかない。結局その後補導されることも多く、家や施設と警察を行ったり来たりする。自宅が問題のある家庭だったり、施設はルールが厳しくて息苦しかったり。どっちも頼ることができない子は多いんです」
――安心できる場所がない。
「親や家庭環境に問題があるケースは本当に多くて、DV、育児放棄、シングルマザーの母親が男を連れ込む時に『外出とけ』って言われたり。そういう苦しい環境から逃げて施設に行っても、施設は施設で愛情をかける余裕がなく、業務的な扱いになる現状がある。だから、まず社会の制度を見直すべきだと思っています。児相行って飛び出して、児相行って飛び出して、という悪循環を生み出しているのは社会なので。
以前両親が薬物中毒で、自分も覚醒剤を打たれた経験があって、このままじゃ死ぬって思ったから来た子がいました。逃げないといけない、でも親が捕まるところは見たくないから警察には行けない。
また、ある女の子が中国人とホテルに入ったらトラブルになって、死に物狂いで駆け込んできたことがあります。ピアスを引きちぎられ、顔面をめちゃくちゃ殴られて、耳も顔も血だらけで腫れ上がっていて。一緒に警察へ行ったら、生活安全課の警官が、暴力があったことはスルーして、その子を捕まえる方向に動いたんですよ。私にしてみれば、『何してんの?』と。その子の傷ついた心と体を優先して、トラブルを解決してほしかったのに。
未成年の子たちに少人数で向き合える施設をもっと作って、ちゃんとケアができる環境を用意してあげないといけない。病院でも施設でも学校でもない、形式ばっていない場所をもっと増やすべきだと思うんです」

街全体で包括的支援を
──支援活動における課題と目標は。
「課題は、何はともあれお金ですね。収入源は寄付金だけで、助成金があってもなかなか存続できない。実際、資金不足で最近シェルターを手放しちゃったんです。今、(「駆け込み寺」は)光熱費と家賃だけで毎月40万円ぐらいかかる。オーナーさんは開設当初から23年間ずっと同じ家賃を据え置いてくれていて、それはとてもありがたいのですが、それでも資金繰りは厳しいです。
目標として、ゆくゆくは、困っている人たちを守る活動を街全体でやっていきたい。今は個々の団体は頑張っていても、横の連携が希薄なんですよね。支援団体同士が有機的につながって、包括的な支援ができたらいいなと思います。
たとえば、歌舞伎町には飲食店がたくさんあり、毎日大量の“フードロス”が出る。もしそういうものを少し分けてもらえるようになれば、子ども食堂で使えますよね。各々ができることをパズルのように組み合わせて、街全体で支援の輪が広がっていけたらいい。そういうWin-Winな関係性を繋げられるような場を、官民一体でつくっていくのが理想です」
清水さんの言葉を借りれば、「現実はロングラン」。居場所を求める心の一時的な“逃げ場”を越えて、清水さんはその先を見据えている。
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(取材・構成=吉河未布 文=町田シブヤ)