大学定員63万人の崩壊:創作とAIと地域が切り拓く、18年後の“教育の居場所”

先日、New Education Expoというイベントで「人口減に挑む地域の人材育成 ~ 地域と共に学校連携を考える 〜」というテーマのパネルディスカッションに登壇した。
私は、文部科学省は「地域連携室」を創設したり「地域コーディネーター」を配置したりしようとしているが、そうした動きを待たず、高等専門学校(高専)が地方の教育をコーディネートする立場になることができるという持論を主張した。
その導入として、こんな話をした。
日本は「課題先進国」ではあるが、残念ながら「課題 “ 解決 ” 先進国」ではない。少子化がまさにそれである。中国や韓国は日本に遅れて少子化という課題に直面する。日本の少子化は他国に先行した課題であるが、先んじて解決できているわけではない。
このコラムでも繰り返し述べてきたように、AIの進化はめざましい。その影響で、産業構造は否応なく転換を迫られている。これまでホワイトカラーが担ってきた業務の一部は、AIに代替されつつある。
ひょっとすると、少子化はこうした動きを後押しする側面もあるかもしれない。
しかし一方で、大学の定員は人文・社会科学系に偏っており、産業構造の変化に対応した理工系人材の育成体制は心もとないのが現状だ。現在、大学の総定員は約63万人だが、これを維持するのは現実的にほぼ不可能である。
2024年の出生数は70万人を下回り、約68万人にまで減少した。このまま推移すれば、18年後に大学進学率が仮に7割だったとしても、およそ15万人分の定員が余る計算になる。
私たちは、まさにその過程のただ中にいる。少子化の進行とともに、選抜機能を失う大学が今後さらに増えていくだろう。
そうしたときに大学進学率が上がるかどうかは不明である。誰でも大学に入れる時代に大学の価値が下がる可能性もある。AIが発達した社会で、どのくらい大学卒業を求められるかはわからない。少なくともいまの人文社会科学系の卒業者は求められないだろう。
こうして少子化とAIの進化が相俟って進行していく。
少子化の影響は教育だけのものではない。既に多くのところでその影響が出ている。バスやタクシーの運転手は都会でも足りなくなっている。少子化によって国内需要も減退する。日本社会はシュリンクするのだ。あらゆるところに少子化の影響が出る。もちろんAIの進化も。
こうして社会が変わろうとしている。教育は社会の中にあって、社会の影響を強く受けるものだ。だから教育も転換する。このような話が前提となり、パネルディスカッションが進行。そして、その中で冒頭の主張をした。
さて、こうした世の中の流れの中で大学教育はどうだろうか。生成AIの影響はどうか。倉敷芸術科学大学の大森隆さんは芸術学部で「生成AIゼミ」を担当する。生成AIの本質は「言葉を形にする」「形を言葉にする」ところにある。創作は頭の中のイメージを言葉にしたり形にしたりして進むものだ。生成AIを使えば、いまや創作は容易である。しかし、人間が持つ作りたい欲望や審美眼を生成AIは創り出さない。AIが及ばない発想も存在する。

こうしたことを、具体的に生成AIを動かしながら教える。そのための教材として「生成AIビジュアルブック」を作成した。
具体的なプロンプトを記載しているが、単に生成AIのプロンプトを教えるわけではない。例えば「生成AIで作ったものに意味はあるのか?」という、創作の本質に関わる根源的な「問い」を投げかける。このブック自体が、その問いに対する応答装置のような構造をもつ。ページを読み進めるうちに、学生自身が「これは作品として成立するのか?」「創作とは何か?」と考えるようになる。
つまり、このブックは、生成AIを活用するための技術的なマニュアルであると同時に、創作と向き合うための「思考装置」として機能しているのである。
大学では、学生が学ぶ本質を常に考えながら学ぶところだ。生成AIは効率的に「賢く」学ぶことには大いに役立つが、大学では、その上で「豊かに」学ぶことに活用される。
今後、倉敷芸術科学大学のような動きがあちらこちらで出てくることを期待している。
(文=後藤健夫/教育ジャーナリスト)