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沖田臥竜の直言一撃!

歪んだネット世論へ逆襲! 鬼才・小林勇貴『THE COVER GIRL』で完全復活

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映画『THE COVER GIRL』
映画『THE COVER GIRL』(監督・小林勇貴)

 口を噤(つぐ)むことで、難を逃れることもあるだろう。それが処世術だと言われれば確かにそうである。周囲を見渡してみろ。そんな生き方の上手い、つまらない人間で溢れ返っているではないか。

 それに異論などはない。私とは、考えも生き方も違うだけのことだ。

 だが、若き鬼才と騒がれた映画監督の小林勇貴が、歪んだネット世論に抹殺されようとした時、声を上げなくてはならない大人たちが大勢いたのではないか。

 いち早く自己保身のためだけに、身勝手な弁明を出したプロデューサーの評判を、誰も知らなかったとは言わせないぞ。

 映像業界で某監督とつるんで、クソ以下のことをやってきたことでそのプロデューサーは有名だったではないか。私がその人間の名を出さないのは、武士の情けなどではない。すでに他界しているからだ。

 世話になった人間だっていたのではないか。若き才能にすり寄り、甘い汁を吸っていた大人たちもいたのではないのか。

 歪曲された正義感という名の凶器が、ネット世論によって燃え盛り、収束させるために若き才能を無残にも犠牲にしてしまう中で、事実を知る関係者たちが声を上げなかった罪はあまりにも重い。

 教えておいてやる。それは卑怯でしかない。

 それでも小林勇貴は、どうだ。誰のせいにもしなかったのではないか。
 言いたいことは山ほどあったはずなのに、薄汚れた大人たちのように、他人のせいにしなかったのだ。立派ではないか。ネット世論に吊し上げられ、社会的に抹殺されても、口を閉ざし反論しなかったのだ。

 いや反論すらもできないネット世論が、無能ゆえにその機会すらも与えなかったのである。

 恥ずかしくなかったのだろうか。彼よりも年上の大人たちが周囲にはたくさんいたのだ。

 大人として恥ずかしくなかったのだろうか。厚顔無恥とはまさにこの事ではないか。
 そして時を経て、事実が白日のもとに晒されたのである。

 当時、被害にあったとされる人の親族の方が声明を出したことで、事実関係も知らぬまま正義感なるものをネットで振りかざしていた人物が謝罪。一連の炎上騒動に終止符が打たれたのだ。

 ネットで正義感なるものを、平然と口にできることそのものに、私などは薄ら寒さを覚えるが、間違った情報を発信され、それが拡散されていき、さらなる誤解によって被害者が苦しんだと言っているのだ。それも4年間にも及んで。

 きっかけは4年前のメイキング映像の切り抜きが、誰の許可も得ることなく拡散され、まるで昨日の出来事かのように燃え盛り、映画監督の小林勇貴が吊し上げられることになったのだ。それが誤解だったと証明されるまで、さらに4年の歳月を要したのだ。

 人ひとり人生が理不尽に破壊されていく時、関係者の誰も「それは違う!」と声を上げれなかったことが、私は残念で仕方ない。

どん底から再び立ち上がった男の矜持

 私も一つ、「どきり」とするような嫌味でも言ってやろうか。まあ良い。なぜならば、もうそんなことはどうでも良いからだ。

 4年間、それこそでっちあげられた情報で、まるでそれが事実であったかのように汚名を着せられながらも、小林勇貴は物語を作ることを諦めなかったのだ。

 単身、アメリカに渡り、一から映像の勉強をし直し、成長した姿で映像業界へと再び帰ってきたのだ。このままでは終われないという意地もあったはずである。すべてに背を向けられ、どん底の痛みを痛感した人間は強い。

 私は彼が炎上する前から交友があった。そして小林勇貴監督作品をあさるように見てきており、その中毒性に惹かれてきた1人だった。

 突然、彼と連絡を取る手段がなくなり、4年後、彼が映像業界に帰ってきていることを知ると、すぐに連絡を入れたのである。

 そして衝撃を受けた。それは彼の復帰作となる短編映画「THE COVER GIRL」を観たからだ。

 小林勇貴は、やはり鬼才であったことを実感することができたのだ。

 30分という時間の中に、暴露、歪んだネット世論、芸能界の闇、腐り切ったプロデューサーという存在などのすべてが、ものすごいスピード感で詰め込まれている。

 すまんが私も、伊達に物語を作ってなんかいない。はっきり言うが、作家や小説家という枠ですら生きていない。メディアミックスも人間関係もすべてたった1人で構築してきた自負もある。

 30分の短編映画を何度も見返しながら、気がつけば2時間が経っていた。それだけ面白かったのだ。

 単純な話、ホラーであれ、サスペンスであれ、恋愛であれ、ハードボイルドであれ、物語は面白くなければ意味がない。

 ネットでもそうではないのか。人の不幸が蔓延っているからこそ、面白がって見えない群衆が出来上がっているのではないか。

 映画『THE COVER GIRL』を観終えたとき、私は小林勇貴が帰ってくるのを待っていて、本当に良かったと感じることができた。

 そして彼の周りには、その才能に惹かれ、彼を支える新生「小林組」の面々がすでに結集していたのだった。

 私は人と人の人間関係において、浪花節を聴くのが大好きである。小林勇貴が歪んだネット世論の渦に巻き込まれた際、「若い才能がネット社会に潰されるのは辛抱できない」と最初に手を差し伸ばしたのは、現在、日本映像界の代表者とも言われる映画監督であった。

 悪口で盛り上がるのも確かに面白いかもしれない。だが、感動とか喜びといった感情は、ネット社会の面識すらない者たちの誹謗中傷からは生まれることはない。
 
 それはどれだけ時代が変わったとしても、変わることのない真理である。

 特別な30分となるはずである。劇場で1人でも多くの人に、極上の小林ワールドを体感してもらいたい。

 映画『THE COVER GIRL』は、小林勇貴だからこそ、描き切ることのできた唯一無二の物語である。

(文=沖田臥竜/作家・小説家・クリエイター)


映画『THE COVER GIRL』
12月5日より新宿K’s Cinemaで上映
歪んだネット世論へ逆襲! 鬼才・小林勇貴『THE COVER GIRL』で完全復活の画像1

有名雑誌の表紙に抜擢された新人グラドル・麦ゆりな。その輝かしいチャンスの前に、数年前に絶縁した母・小川さゆりが突然現れる。母は勝手にマネージャーを名乗り、ゆりなの人生とキャリアに深く踏み込んでいく。
やがて、人気グラドル・海つくしとの表紙を賭けた争奪戦が幕をあける。
承認欲求、母子癒着。成功を求める社会の歪み。それぞれの欲望が交錯する――。
これは、表紙をめぐる戦いであり、愛と支配の物語である。


■小林勇貴監督ステートメント
『THE COVER GIRL』は、私にとって「呪い」を描いた映画です。承認されたいという欲望、母と娘を縛る愛情、成功や野心への執着。それらは人を前へ進ませる力である一方、時に誰かを傷つけ、愛を支配へと変えてしまいます。人々の欲望と、その裏側にある孤独や暴力性を描きました。単純な善悪では割り切れない人間の姿を、ぜひ劇場で目撃していただけたらと思います。
 本作は2025年に撮影されました。2023年にアメリカへ飛び、そこで学んだ様々なことを取り入れています。具体的には、2022年に起きた「ヘドローバ」の炎上は、プロデューサー、俳優、監督のコミュニケーション不足から起きた危険なアドリブが原因だったと感じています。そのコミュニケーション不足を補うために、作品のバイブルの作成、ビデオストーリーボードの作成、打ち合わせやスタッフ間の連携など、準備期間でのコミュニケーションの充実を図りました。いくつかの議題は残りましたが、アメリカで学んだことのいくつかは、予算に関わらず日本でも再現可能であることを確信しました。
 本作へも、またこれからの小林組にもぜひ期待していただきたいです。

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沖田臥竜

作家・小説家・クリエイター・ドラマ『インフォーマ』シリーズの原作・監修者。2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、小説やノンフィクションなど多数の作品を発表。小説『ムショぼけ』(小学館)や小説『インフォーマ』シリーズ(サイゾー文芸部)がドラマ化もされ話題に。調査やコンサルティングを行う企業の経営者の顔を持つ。

X:@pinlkiai

最終更新:2026/10/12 18:00