『地獄に堕ちるわよ』の撮影現場で小説『木漏れ陽』を書いていた日々

2026年5月、角川春樹事務所の新事業であるコミックレーベル「ハルキコミックス」が本格始動する。その第一弾作品の中に、私が原作を務める『ブラザーズ』があり、本日5月1日に満を持して単行本の1巻が発売された。
同書の帯に書かれた「ケンカは不利なほうこそ面白い」という言葉は、私が作中に考えた言葉である。1巻からぶちかましている。大勢の人々に読んでもらいたい作品となっているので、是非、ブラザーズの世界線を堪能してほしい。1巻読了後、気持ち良いほどの爽快感に包まれ、2巻の発売を心待ちにしてもらえるのは、必至である。
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さて、最近は滅法忙しい。脚本の手直しをしながら、ある作品の撮影現場に行き来し、新連載の原稿を書いているのだ。もちろんそれだけではないので、文字通り忙殺されているのだが、そうした繰り返される時間があってこそ、世の中に新しい物語を解き放つことができるのである。
先日より世界独占配信がNetflixでスタートした『地獄に堕ちるわよ』に所作指導で参加した時もまた、今のように忙殺されている時であった。
ドラマ『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』のタイパートを撮影中のことであった。ハリウッドドラマである『TOKYO VICE』シーズン1とシーズン2で一緒に仕事した助監督から連絡があった。その連絡が『地獄に堕ちるわよ』の仕事だったのだ。
私の場合、所作指導や監修という肩書きで仕事を請けるのだが、まず脚本に筆を入れる作業からだいたい始まる。なぜだかわかるだろうか。物語のすべては活字から始まり、私はその中でも小説家という仕事をしているので、そこに需要があったりするのだ。それが終われば、撮影現場へと招集されることになるのである。
自分自身が原作・監修を務めていない作品の現場は、今でもとても大変なことには変わりない。なぜならば、100人を超える見知らぬ人たちと寝食を共にすることになるからだ。気分はまさに転校生である。

だけど、少しずつ現場に呼ばれるようになり、大抵、見知った人が何人かいるようになってくる。そうなれば、不安も少しばかりは解消されてくる。それでも不安は残る。それでも映像の仕事を請ければ1人で現場へと出掛けていくのは、純粋に物語を作るのが好きだからだと思う。大変だけど、裏方として関わった作品が世に解き放たれる瞬間は、やはり嬉しいものである。
撮影現場の片隅で……
『地獄に堕ちるわよ』の撮影現場の待ち時間で、私は廊下の隅っこに座り、小説を書いていた。その時に書いていたのが、映像化が決定している『木漏れ陽』(角川春樹事務所)であったのだが、1人黙々と書き殴っていると、目の前に人の気配を感じて視線を上げれば、腰を抜かしそうになった。
目の前に横向きの体勢で戸田恵梨香さんが座っていたのだ。挨拶するべきか否か。私は1人で悩んだ。本来ならば、社会人として挨拶は基本中の基本である。悩んでいる場合ではない。挨拶をするのは当然である。だが、相手はトップクラスの女優、戸田恵梨香さんであり、私の立場からするとよそ様の現場である。言い訳はよそう。立ち上がって挨拶する勇気がなかったのだ。私は思った。「このまま気づいていないふりでやり過ごそう」と。そして視線を下げたまま、『木漏れ陽』の続きを書き始めたのだ。
すると今度は、生田斗真さんと杉本哲太さんがやってきて、それぞれ私の隣りに腰を下ろしたのである。そこで私は初めて気づかされたのだった。
そう、人の行き来の少ない撮影の邪魔にならない場所は、俳優部の人たちの待機場所だったのだ。
私くらいのものではあるまいか。小説家と呼ばれる人間は星の数ほど世の中にいるだろう。しかし大物俳優3人に囲まれるように座りながら、小説を書いた書き手は、そうはいないはずだ。その時点で私は自分の置かれている状況を俯瞰で見ることができていた。
そして、情報解禁されれば、このことをコラムで書こうと思っていた。それが今から1年半くらい前の冬の寒い日であった。
脚本段階から「これは面白い」と思える作品は実際に少ない。しかし、そう感じることのできる作品は、必然的に映像化された際、面白い。『地獄に堕ちるわよ』の脚本を日活のスタジオで受け取り、筆を入れるために目を通せば、「面白い」と初めから感じることができていた。どういうコンセプトかということは、プロデューサーから話を聞いていた。
それを聞いた上で、読む脚本は既に、私の脳裏で躍動していたのである。語り継がれる作品とは、まさに『地獄に堕ちるわよ』のような物語だろう。
大抵の場合、私が現場で話すのは、監督と助監督、そしてプロデューサーとなるのだが、私の担当についてくれた助監督もすごく一生懸命に現場を走り回っていた。その姿に、ある面影を思い出していた。それは若き日のフクの姿である。
今ではチーフ助監督を務めるフクも、7年前に知り合ったときは、助監督の駆け出しとなるサードであった。その姿にどこか私は彼の一生懸命さを重ね合わせていたのだった。
そして、撮影が終わると彼から短い手紙をもらった。やはり優秀だなと思った。この時代である。LINEで何だってすぐに済む時代に、ペンでお礼の手紙を書けるのだ。私はそれが素晴らしいことだと思う。人間性が素晴らしい人たちで作られた作品は、当然、高い評価を受けて欲しいと考えるのは、人情だろう。
そうした人間模様を物語の中に投影させるからこそ、作品にリアル感が出るのではないかと思う。
誰もが主人公になれる「物語」がある
細木数子さんについて、私は知っている知識もあったし、「そうだったのか〜」と感じさせられることもあった。その上で、『地獄に堕ちるわよ』は面白い。痛快なのである。私は物語において必要不可欠になるのがヒューマンドラマでなくてはならないと思っている。起承転結とはそのために存在している言葉だと思っている。
細木さんに限らず、世の中の一人ひとりが、自分にしか描くことのできない人生ドラマを歩んでいる。その中では、その人生を生きる人こそが主人公なのである。すべての人生が波瀾万丈である必要もなければ、平凡に感じる人生にだって喜怒哀楽もあれば、ドラマだって生まれるのだ。そこに焦点を当てて物語を作るのが、私の仕事だと思っている。
平凡に見える人生も、スポットライトの当てかたで観る人を惹きつけるドラマに転じさせることもできるし、細木さんのような波瀾万丈の人生をライトに描いて見せるのも、物語の醍醐味と言えるのではないだろうか。
『地獄に堕ちるわよ』の脚本は、私がこれまで携わってきた映像作品と同様に、私の会社の本棚に大切に飾っている。1人で撮影現場に行くのが心細くて、やめてしまっていれば、このコラムだって生まれることもなかったし、俳優部の人たちのお芝居に「ここはこうしたほうが良いんじゃないでしょうか」と言うことだって、できない。それがどれだけ私の人生の宝物となっていくか。それを一番理解しているのは、私自身である。
私はこの作品に参加できたことを誇りに思っている。
(文=沖田臥竜/作家・小説家・クリエイター)
