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時の政権に翻弄され、選択と自由と声を奪われるも、ユーモアを忘れない“アフガニスタンの女性たち”を描く珠玉の2作品

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映画『撃たれた自由の声を撮れ』より

 2021年4月、バイデン政権は、アフガニスタンからアメリカ軍を撤退させることを発表し、同年9月11日までに完全撤退を決めた。この背景には、2020年に当時のトランプ大統領がタリバンと結んだドーハ合意がある。米軍撤退の発表からわずか4カ月ほどで、当時のアフガニスタンのガニー大統領が国外に逃亡した。この逃亡からあっという間に、第二次タリバン政権がアフガニスタン全土を支配下に置いたと宣言した。日本に暮らす人々も、凄まじい勢いで一国が一変する様子を、メディアを通じて連日のように目の当たりにしていたはずだ。しかし残念ながら、日本のメディアも私たちも、2026年現在、2021年の時と同じ熱量でアフガニスタンを注視しているわけではない。今夏公開される映画『ハワの手習い』『撃たれた自由の声を撮れ』は、こうした容赦ない変化に晒され続けてきたアフガニスタン情勢の渦中にいる人々、特に女性たちに焦点をあてた作品だ。

 本作品は、現在のアフガニスタンの惨状をまざまざと浮かび上がらせている。「私たちのことを忘れるな」と言わんばかりに。

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『ハワの手習い』 

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映画『ハワの手習い』より

 ナジーバ·ヌーリ監督は、最初、自身の母ハワの第二の人生を応援する気持ちでカメラを回した。ハワは、13歳のときに30歳以上年上の男性と結婚させられてから、子育てと家事に追われる生活を送ってきた。ハワはナジーバに、「私の母が賢かったら『子を持つな』と言ったはず」と語る。自分の子には同じ思いをさせまいと、ハワは6人の子どもを懸命に育てた。子どもたちが自分の手からようやく離れたとき、今度は認知症を患った夫の介護が始まった。介護をしながらも、ハワは娘ナジーバの助けを借りながら、自身の刺繍のスキルを活かし商売を始め、さらには教科書を買い、読み書きの習得にも乗り出した。まるで13歳で止まった時間が動き出したかのように、いきいきと仕事の交渉をし、身なりを整え、文字をどんどん覚えていくハワ。そんな彼女のもとに、ナジーバ監督の姉ファーティマから連絡が入った。ファーティマには、離婚時に親権が取れず生き別れになった、元夫との間に娘ザハラーがいる。そのザハラーが、突然、家庭内暴力に耐えかねてファーティマのところに逃げてきたのだ。実の子であるザハラーを保護したい気持ちと、新しい家庭との間で悩むファーティマに、ハワは娘の代わりにザハラーを引き取ることを申し出る。カーブルの自宅で、ハワは孫と助け合いながら生活を始めることになった。

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映画『ハワの手習い』より

 しかし、ハワたちの背後に政変の影が忍び寄る。米軍のアフガニスタン撤退が決まったとき、ナジーバは、タリバンが人々と女性の自由を奪うのではないかと懸念した。一方で、ハワは当初、「タリバンは『女性の権利は侵さない』と言っていた」、「女性が活躍するのをタリバンは止められないはず」、「女性たちは既に声を上げている」と楽観的だった。しかし、タリバンが瞬く間に勢力範囲を広げ、いよいよカーブルにも迫ってくると、そう悠長にもしていられなくなった。タリバンがまず標的にするのは若い女性だと判断したハワたちは、断腸の思いで孫ザハラーを家に帰すことに決めた。14歳の少女であり、かつ親権を持たない家に住むザハラーはタリバンに狙われやすく、さらに、彼女を匿うハワたちにも危険が及ぶかもしれないと考えたからだ。ザハラー本人もハワたちも、彼女が村に戻ったとしても安心して暮らすことなどできず、父親から再び暴力を振るわれることは分かりきっていた。それでも、家に戻る以外の選択肢は彼女に残されていなかった。このように、戦争などで国が貧しくなるとき、真っ先にその不利益を被るのは、社会的に弱い立場にある人たちである。

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映画『ハワの手習い』より

 ザハラーとの別れからまもなくして、ナジーバとハワの別れもまた、突然やってきてしまう。ガニー大統領が国外逃亡し、タリバンが実権を握ることが現実味を帯びてくるや否や、ナジーバのようなジャーナリストたちは、拘束される前に一刻も早く亡命しなければならなかった。ハワに別れの言葉も言えないまま、ナジーバを乗せた輸送機はフランスへと発った。政変後、第二次タリバン政権下でナジーバの代わりにハワの撮影を続けたのは、兄アリーだった。アリーによる映像からは、変わり果てた街並みや、女性の教育の機会を求めてデモをする女性たちの姿が映し出される。映画の終盤、ナジーバ一家はフランスで再会した一方で、村へと帰ったザハラーは結婚を強いられ、バーミヤンに住んでいることが明かされる。そして、「2024年現在 タリバン支配下のアフガニスタンは 女性が教育を受けられない唯一の国である」というテロップとともに幕を閉じる。
 

『撃たれた自由の声を撮れ』

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映画『撃たれた自由の声を撮れ』より

『撃たれた自由の声を撮れ』は、『ハワの手習い』でナジーバ監督の兄アリーが撮影した映像に映っていた、女性の教育の機会を求めて立ち上がる女性たちをクローズアップしたような内容だ。ザイナブ・エンテザール監督がカメラを向けるのは、女性の教育と権利のために果敢に声を上げ続ける、若き女性活動家ラシュミンとその妹ナスタランである。第一次タリバン政権時に、女子生徒のための私塾を開いた女性を母に持つラシュミンとナスタランは、居場所を突き止められないように滞在先を転々としながら、デモを決行し続ける。

 デモを行うにあたり、ラシュミンらはいくつもの障壁にぶつかる。「私たちの最初の戦いは家庭であり、父親と兄弟を敵に回すところから始まる」というラシュミンの言葉からわかるように、そもそもアフガニスタンの家父長制社会で、女性が声を上げることそれ自体が難しい。それゆえ、一人の女性が社会を変えるために行動を起こすと決めたなら、まずは家庭内の男性と対峙しなくてはならない。こうした身の回りの難関を突破して、ラシュミンらは、ようやく街頭に出て「タリバンのような野蛮人を相手に、社会の無数の不平等と欠如、無知」と戦うのである。ところが、デモを行う彼女たちの前に立ちはだかるのは、タリバンの男性たちだけではなかった。女子校の前で抗議をしていたラシュミンたちを「よそへ行って」と冷たく突き放したのは、女性の教師たちだった。女性のために声を上げているにもかかわらず、必ずしも女性同士で連帯できるわけでもない。ラシュミンたちは、厳しい現実と向き合い続けることを余儀なくされる。

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映画『撃たれた自由の声を撮れ』より

 だんだんと、ラシュミンたちは命の危険にもさらされていく。ある日、ラシュミンとナスタランが女性たちとデモを行なっていると、発砲音が鳴り響いた。デモに参加していた女性の一人が、逃げる途中でその音に驚いて転倒し、額に怪我を負ってしまう。さらに、後日、ラシュミンの友人で共にデモに参加していたタマナの家に、タリバンが押し入った。彼女がタリバンに逮捕された後、最終的に、ラシュミンも逮捕されてしまう。「次世代に同じ苦しみを味わせたくない」という強い信念を貫き、国内にとどまり活動を続けること固く決意していたラシュミン。しかし釈放後、彼女も他の活動家やジャーナリストたちと同様に、アフガニスタンを去らねばならなかった。本作品は、2023年5月、パリでアフガニスタンの女性のために声を上げ続けるラシュミンの姿を映し出して終わる。

女性であり、ハザーラ人であり、シーア派信徒であるということ

 2本の映画で描かれるしたたかな女性たちの姿–––理不尽な状況に置かれようとも、身に危険が迫ろうとも、時にユーモアさえ交えつつ抵抗し続ける–––に、観客は心を揺さぶられるだろう。一方で、こうした女性たちと対照をなすのが、映画に登場する一部の男性たちである。『ハワの手習い』で、ハワに身の回りの世話してもらうことが当然であるかのごとく振る舞う、年の離れたハワの夫。家庭内暴力からやっとのことで逃れてきたザハラーを、蔑み疎ましそうに見るファーティマの夫。『撃たれた自由の声を撮れ』で、必死になって叫ぶラシュミンらの声を聞こうともしない、武装したタリバンの男たち。タリバンを批判しながらも「女が王や大臣になれるはずがない、考え方が違う」と、ラシュミンたちの活動を遠回しに否定する父親。彼らを見ていると、同じ時代と社会に生きていても、性別が異なると、生きている世界も、そこで重ねる経験も、どれほど違うのかを思い知らされる。

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映画『ハワの手習い』より

『ハワの手習い』と『撃たれた自由の声を撮れ』の監督や、映画で取り上げられる人たちの多くが、アフガニスタンの女性であるということに加えて、彼女たちが少数民族ハザーラ人でありムスリム(シーア派)であることも、本作品を理解する上で重要だと言えよう。そもそもイスラーム全体は、スンナ派とシーア派という2つの宗派に大別され、ムスリムの8割がスンナ派で、2割がシーア派であると言われている。両者は、7世紀に亡くなった預言者ムハンマドの後継者の選出をめぐって見解が分かれている。後継者を合意によって決めるスンナ派にたいして、シーア派は、預言者の血統によって後継者は選ばれるべきだと考えている。アフガニスタンにおいても、スンナ派信徒が大多数を占め、シーア派信徒は少数である。アフガニスタンは多様な民族で構成されているが、なかでも最大民族は主に東部と南部に居住しているパシュトゥーン人である。他に、北部にはタジク人やウズベク人、西部にはトルクメン人、そして中央山岳部にはハザーラ人が住んでいる。彼らのほとんどがイスラームを信仰しているが、信仰している宗派が異なる。大多数の人々とタリバンはスンナ派を、少数民族であるハザーラ人たちはシーア派を信仰している(註:なお、このシーア派を国教としているのが、アフガニスタンの隣国、イラン・イスラーム共和国である。『ハワの手習い』で、タリバン政権の行先を危惧したハワが、移住先として真っ先にイランを挙げたのは、イランがシーア派の社会だからである。イランであれば、同じシーア派信徒たちを保護してくれるだろうという希望を持っているからだ)。歴史的にハザーラ人たちは、宗派の相違ゆえ、タリバン政権下でも、タリバンが誕生する前のアフガニスタン社会でも差別の対象となってきた。本作が映し出す社会は、厳密に言えば、マイノリティであるハザーラ人、しかもそのなかでもさらに社会から声を奪われた女性の視点から見たアフガニスタン社会である。

 加えて、映画に登場する女性たちは、タリバンを非難するも、イスラームそれ自体は否定していないことも指摘しておきたい。『撃たれた自由の声を撮れ』での、ラシュミンらが率いるデモでは、「ムスリムの沈黙はクルアーンへの冒涜」と叫ばれていた。つまり、彼女たちもムスリムなのであり、ムスリムの立場からタリバン政権に立ち向っている。また『ハワの手習い』で映し出されるハワたちの生活にも、当たり前にイスラームがある。ハワ自身も、若い女性たちを蔑ろにする「学のないクソ男ども」に憤っているのであって、イスラームそれ自体を問題視しているわけではない。

「日本に生まれてよかったね」で終わらせないために

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映画『ハワの手習い』より

 本作品で描かれるタリバンの姿を見て、「やはりイスラームが女性を抑圧しているのだ」と思うかもしれない。だが、映画に登場する女性たちもムスリムであり、タリバンもイスラームを掲げていることから分かるように、イスラームと一言でいっても、その内実は多様である。イスラームの宗派であるスンナ派やシーア派のなかにでさえ、さまざまな解釈や「正しい」とされているあり方が、同じ時代、同じ地域に複数存在する。さらに個人の間でも、その信仰の度合いや考え方にはグラデーションがある。

 本作品に登場する女性たちを縛り、彼女たちが乗り越えようとしていることは何だろうか。「イスラームが女性を抑圧している」という言説の「イスラーム」の解像度を上げると見えてくるのは、むしろ、女性を無力化させ、社会から周縁化させ、彼女たちから選択の自由と権利を奪い、一方的に「女性のためを思って」正義と権力をふりかざす、閉鎖的かつ男性中心主義的社会がはらむ問題そのものではないだろうか。そしてそれは、ジェンダーギャップ指数146カ国中118位の日本とも切り離すことのできない問題だということも、私たちは認識する必要があるのではないだろうか。

 アフガニスタンは、歴史的に外部からの介入に悩まされ、そこで暮らす人たちは否応なしに情勢の変化に振り回され続けてきた。冷戦下、アフガニスタンは緩衝国の役割を押し付けられた。アフガニスタンで、ソ連は自身に友好的な政権を手助けし、アメリカは反体制組織を支援した。この組織の一部が、ソ連の撤退後、タリバンと化していく。つまり、西欧的な価値観と対立する思想を持つ組織であるタリバンの源流を作ったのは、他ならぬ米国なのである。2001年、アメリカ同時多発テロ事件を機に始まったアフガニスタン戦争を経て、第一次タリバン政権の時代が終わり、アフガニスタン・イスラーム共和国が誕生した。だが、新しい政権もまた、国民の手で作り上げた体制であるとは到底言い難く、アメリカ軍が撤退すればすぐにタリバンに乗っ取られてしまうほど脆弱だった。もろい基盤に築かれた権威主義的体制の皺寄せを受けるのはいつも、社会的に不利な立場にある人たちである。そして彼らが被害に遭っても、大抵の場合、それはなかったことにされる。本作品に登場する女性たちは皆、時の政権に翻弄され、選択と自由と声を奪われる、当事者である。なお、こうした状況は、特段アフガニスタンに限った話でもない。

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映画『撃たれた自由の声を撮れ』より

 タリバン政権下を生きるアフガニスタンの女性たちに焦点を当てた映画、ドキュメンタリー、小説、アニメーションなどは、これまでも数多く製作され、日本でも公開されてきた。本作品をご覧いただく際は、これまで以上の理解を深めていただければと願ってやまない。本稿の内容がその一助となれば、幸いである。

国家による戦争犯罪、731部隊、三島由紀夫

(文=村山木乃実)

 

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『ハワの手習い』
監督・撮影:ナジーバ・ヌーリ
共同監督・撮影:ラスール(アリー)・ヌーリ 
製作:クリスティアン・ポップ
編集:アフサネ・サラリ
制作:TAG Film
日本語字幕:佐藤まな
配給:東風
ⒸTAG Film
https://tofoofilms.co.jp/afghan/hawa

2026年8月1日(土)、[東京]ポレポレ東中野、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次。

 

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『撃たれた自由の声を撮れ』
監督・撮影・製作:ザイナブ・エンテザール
編集:モハマド:サミプール
制作:Lumier Film
日本語字幕:吉田ひなこ
字幕監修:後藤絵美、アウィード
配給:東風
ⒸLumier Film
https://tofoofilms.co.jp/afghan/shot

2026年8月15日(土)、[東京]ポレポレ東中野、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次。

村山木乃実

東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所ジュニア・フェロー。博士(学術)。1991年栃木県生まれ。東京外国語大学大学院博士課程修了。専門は宗教学とペルシア文学。主に現代イラン思想を研究するほか、イラン関連の映画の解説もおこなう。主著に『孤独と神秘:アリー・シャリーアティーの「沙漠論」にみる現代イランのイスラム思想』(作品社、2024年)がある。趣味は猫、ザクロ、宝塚。

最終更新:2026/07/30 14:48