『おむすび』第83回 「鬼の居ぬ間に洗濯」ならぬ「主人公の居ぬ間に本題」状態
東日本大震災当時、Twitterにドワンゴの従業員が「自身が大ケガをしてサーバールームに閉じ込められている」みたいなデマを流して騒動になったことがありました。
一方で、福島で被災した詩人の和合亮一さんが原発事故発生の直後からTwitterに詩を投稿し始めて多くの避難者が励まされたということもあったし、官房長官として連日連夜の会見に臨んでいた枝野幸男氏の顔色が悪くなっていくにつれて、日本中で「#枝野寝ろ」というハッシュタグが大きな広がりを見せたこともよく覚えています。
2009年に出版された『Twitter社会論』(洋泉社)で知られる津田大介氏も、あの震災はSNSが初めて大きな役割を果たした大災害だったと言ってました。
だから今日のNHK朝の連続テレビ小説『おむすび』で描かれた2012~13年あたり(だよね?)、SNSにそんな拡散力があったっけと思い出してみれば、確かにあったことはあったと思う。
でもそれとこれとでは話が別! 第83回、振り返りましょう。
その前にテープ問題を片付けよう
昨日はアユ(仲里依紗)が四次元カンカンから「パカパパッパカー!」とか言いながら取り出したであろうマキちゃんの音声テープの内容がまったく想像できなくて戦々恐々としていましたが、聞いてみると意外とそんなに変な感じではなかったですね。仲良し同士の中学生女子がこんな感じで何か適当に録音して「自分の声って聞いてみると変だよね~」とか言ってる風景は、ありえると思う。
だけどやっぱり、震災後にアユがこのテープをどう扱ってきたのかが、皆目見当がつかないわけですよ。
結さん(橋本環奈)たちが糸島から神戸に来る2年前、アユは先んじて神戸を訪れ、マキちゃんのお墓参りをしていました。その際、ナベ(緒形直人)に「来ないでくれ」と言われている。
このマキちゃんテープが存在していた世界線を想像すれば、アユはその前夜、神戸の古着倉庫で中学以来久しぶりに再会したチャンミカ(松井玲奈)とテープを聞きながら語り明かしたはずだし、お墓参りにだってウォークマンに入れて持って行ったと思うんだよな。故人の音声テープって、それくらいのパワーアイテムですよ。『北の国から』(フジテレビ系)の草太兄ちゃんもそう言ってるよ。
ずっとお墓参りに行けなかったアユ、チャンミカとの再会を経て、ようやくその勇気を振り絞ることができた。
翌朝、お墓を訪れるとナベがいて「帰れ」と言われてしまう。
アユ「わかったよ、おじさん。ごめんね。でも、これだけ聞いてくれない?」
そう言ってアユは、怪訝そうなナベの耳にイヤホンを突っ込むんです。実際の演出としては、私たち視聴者は前夜のアユとチャンミカのシーンですでにマキちゃんの声を聞いている。だからここでは、マキちゃんの声は流れない。
ただ高台を吹き抜ける風の音だけがしていて、耳にイヤホンを突っ込まれて不機嫌なナベのアップショット。その顔が、テープを聞いているうちに、みるみる変わっていくんです。
マキの声やないか、という驚きから始まり、ナベの頭の中にはありありとマキちゃんの笑顔が浮かんできます。ああ、マキ、マキ……何度も娘の名前を呼んで、崩れ落ちるしかない。緒形直人がすごい芝居をするだろうね。
そのあまりの悲しみの深さに、アユは自分もつらかったけど、この人はもっとつらかったんだということを知るんです。
アユ「おじさんが許してくれるまで、私は来ない。私の分も、おじさんが思ってくれてるってわかったから。このテープはおじさんにあげる。ううん、持っててほしいの。お花は持って帰るね」
そう言って去ろうとするアユの手から、ナベは花束を優しくもぎ取って、マキちゃんのお墓に供えてやるんです。
ナベ「……また来たいときに来たらええわ。マキも喜ぶ」
このテープが本当にあのカンカンの中に存在していたなら、そういうシーンが生まれていたはずなんです。こんな十何年も経ったタイミングでやることじゃない。
では実際には、アユの初めてのお墓参りはどう描かれたか。思い出せないでしょう。ここ『おむすび』は何も描いてないからな。オールカットです。おつかれさまでした。
やっぱ麻生久美子かわいいな
商店街のみんなにギャルメイクをして、その写真をSNSで拡散したら客が大挙して押し寄せた。この建て付け自体は楽しいものだと思います。
麻生久美子もなっちゃんもかわいいし、全然悪くないと思う。梅田の古着屋の閉店セールと神戸の商店街のキャンペーンを1ツイートの中で同時に宣伝する手法は極めて斬新と言うほかないし、集客効果としてリアルだとは思わないけど、もうそこまでのリアリティはとっくに期待してない。
そうやっていろいろ整理してでも乗っかりたかったんだけど、もうこのお祭りの発端の意味がまったくわからんのよね。
ひみこさん(池端慎之介)がガーリーズにやってきて、「邪馬台国はどこでもいい」「男だとか女だとかどうでもいい」「年寄りとか若者とかどうでもいい」「みんな自由だから」と言います。
それを聞いたアユが「自由……」とつぶやくと、このギャルメイク作戦を思いつく。
もう全身全霊をかけて言っちゃうけど、ちょっと何言ってるかわかんないですよ。ここまで『おむすび』においてギャルであることに自由とか不自由とかいう概念が登場したことは一度もないはずです。ギャルはみんな自由にギャルをやっていたし、アユがギャル的であることにためらいを見せたときも、別に何かに制約を受けて不自由を被ったわけではない。ギャルをやるのも、やらないのも、自由だったはずです。
だから「自由」という言葉をトリガーにこの作戦が発動する流れは無理がある。ここに無理があるから、全然ワクワクしない。超シラける。シラけたまま、今度はギャルメイクを嫌がるママを拘束して、その自由を奪うシーンが現れる。何がやりたいんだコラ。どっちなんだコラ。タココラ。
そして何より、アユとナベのエピソードが深く描かれれば描かれるほど、アユとチャンミカとの関係についての矛盾、つまりは「中学以来の古着倉庫での再会」と「東京の読モ時代」という並行世界が現れてしまって、画面全体が「ハイこれ全部ウソです」という強いメッセージを発することになってしまう。せめてこれ別日でやってくれたらいいのに、同じ日にやったら楽しめるものも楽しめないですよ。
ほんともう、ぐちゃぐちゃなんだよな。こっちだって「麻生久美子かわいいー」「なっちゃんかわいいー」って心の底から楽しみたいですよ。マジメに見てるだけなのに、なんでこんなネチネチネチネチ嫌味を言わなきゃいけないんだ、まったく。
主人公は橋本環奈さんです
写真でちょっと出てたな。勝手にSNSにアップされちゃってかわいそうだな。
『おむすび』における阪神・淡路大震災をめぐる物語というのは、マキちゃんとナベ、それにアユという三角形なんですよね。結局のところ、すべてがそこに集約されてしまう。ギャルもそう、マキちゃんの遺志を継いだのはアユであって、結さんではない。ナベさんを救えるのは、死んだマキちゃんのその人生を生きようとしてきたアユしかいない。
だから、ドラマが本題を語ろうとすればするほど、結さんが蚊帳の外に置かれることになってしまう。「鬼の居ぬ間に洗濯」ならぬ「主人公の居ぬ間に本題」という状況が生まれている。
えーっと、なんだっけ。管理栄養士になりたいんだっけ。そうか、がんばれ。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
◎どらまっ子AKIちゃんの『おむすび』全話レビューを無料公開しています
第1話~第56話
https://note.com/dorama_child/m/m4385fc4643b3
第57話~
https://cyzo.jp/tag/omusubi/