『豊臣兄弟!』忠臣・中川清秀を裏切り者に――前田利家を“守る”ために選んだ演出的な犠牲と勝家と市の悲しき最期

前回(第32回)の『豊臣兄弟!』、豪雪期の北陸にいた前田利家(大東駿介さん)を訪ねてきた「意外な人物」が、秀吉本人(池松壮亮さん)とお供だったことには驚かされました。
史実で確認できる「賤ヶ岳の戦い」直前の利家と秀吉の対面は、天正10年(1582年)11月に利家のほうが柴田勝家(山口馬木也さん)の使者として秀吉のもとへ出向いた一度きり。
これは秀吉側から勝家との戦いを描いた同時代の記録として知られ、秀吉の御伽衆・大村由己が天正11年(1583年)に著した『柴田退治記』に見られる内容なのですが、この部分を、ドラマは天正10年10月15日、大徳寺にて秀吉主導で開かれた信長公大葬儀にこっそり利家が参列しているというシーンで「代用」。あるいは前回のドラマに登場した、豪雪にもかかわらず秀吉が突撃訪問してきた……という形に「反転」させたのでしょうか。
まぁ最近の「大河」では主人公が男性でも家族の女性が活躍する傾向があるので、寧々(浜辺美波さん)が利家の妻・まつ(菅井友香さん)を訪ねる「奥方外交」であれこれ頑張りそうな気がしたのですが、本作では秀吉自らが動いてしまったのですね! しかし、これまでのドラマの利家の描かれ方であれば、奥方(まつ)から何を言われても我が道を行くでしょうから、ひとまず納得はしましたが……。
秀吉から「自分が天下人になる」「手伝ってほしい」という夢を打ち明けられ、動揺する利家ではありましたが、その場での説得はさすがに不可能でした。
とはいえ、信長(小栗旬さん)の死後、統率力のあるトップがいない織田家中という認識は利家にもあったわけですね。それゆえ、“腕相撲大会”で優勝した利家が勝家に「天下人になってほしい」と頼むのですが、ドラマの柴田勝家はあくまで織田家の筆頭家老としての分限を守ることにすべてを懸けている男……拒絶されてしまいます。結局、利家は柴田勝家配下にいては「新しき世」の到来などないと悟らざるをえなくて――という描かれ方でしたね。
前回は、前田利家の描き方に大きなドラマオリジナル要素があったことも注目の的でした。
史実における「賤ヶ岳の合戦」前夜の前田利家の内面を証明する史料は存在しないので、歴史創作物の中では、いかようにも描きうる範囲だと思われますし、ドラマ後半のキーパーソンとして存在感を増していくのであろう前田利家を悪く描かないための脚色としては巧みな演出ではありました。
ただ、ドラマで描かれた「賤ヶ岳の戦い」終盤の天正11年4月21日の利家の動向については、前田利家を「悲劇の武将」として描くために、ほかの実在の武将をおとしめるという皮肉な演出になっていて、そこには目を見張ってしまいました。
ドラマでは秀吉を裏切って柴田方に投降してきた中川清秀(すがおゆうじさん)を、(柴田勝家とのガチンコの一騎打ちの末に、勝家を裏切ることにした)利家が「悪いな」といいながら討ち取り、中川の首を手土産に秀吉の本陣にやってくる……という展開になりましたよね。
しかし、史実の中川は最後まで「義兄弟の契りを結んだ」ともいわれる秀吉を裏切っていません。中川は、秀吉を裏切って柴田についた山路(将監)正国という武将――史実での裏切り犯は彼――による猛攻撃を受けながら、任された砦を守り続け、少しの撤退すらしなかった男です。
同輩・高山右近(ドラマでは市川知宏さん)による撤退進言をハネつけ、前回から登場し、妙な存在感のあるおじさんとして描かれている桑山重晴(住田隆さん)からの撤退勧告も退け(『中川氏御年譜』)、壮絶な戦死を遂げたのでした。
要するに秀吉に絶対忠誠を誓い、その信念に殉死した男が史実の中川清秀でした。中川清秀の高潔さは豊臣政権滅亡後も記憶され、子孫たちもその恩恵を被り、江戸時代になっても豊後岡藩七万石に叙されているのです。
――ということで、一般的な知名度は前田利家に劣り、そもそも「賤ヶ岳の合戦」で戦死したため、今後のドラマに絡んでくることがない中川を『豊臣兄弟!』は不名誉な裏切り者に仕立て上げ、キーパーソンとなる利家を「守った」わけですね。
そもそもなぜ、前田利家が「守られ」なければいけなかったのか?
ここが非常に面白いところで、前回も少し触れたのですが、江戸時代になっても前田家関係者を悩ませ続けたのが、柴田方であった利家が秀吉の軍門に降ることになった経緯なのです。
なぜ、前田利家は柴田勝家を裏切ったのか
このあたりがデリケートな問題すぎて、のちに「加賀百万石」となった前田家がその礎をゲットした戦いである「賤ヶ岳の合戦」の“成果”を喧伝できず、別の局地戦でしかなかった戦い――翌・天正12年(1584年)9月11日に勝利した末守(末森)合戦を「藩史」の類いでは書き立て、カモフラージュするしかなかったのは苦笑するしかない史実です。
「賤ヶ岳の合戦」の真相は例によって闇の中で、それゆえ、「前田利家は調略を秀吉から受けており、柴田勝家を適当なところで裏切った説」が出てくるのですが、それについて前田利家の近習(側近)だった村井長明は「合点もゆかぬ(=納得できない)」「おかしく候(=おかしな話ですよ)」と否定しているのは前回のコラムでも指摘したとおり。
しかし、実際に天正11年4月21日の前田利家は戦場で味方(柴田勢)を見捨てて退き、柴田軍崩壊の一因になっていることはほぼ確実なのです。味方を放り出して退却することを「裏切り」と呼ばずして、なんというべきなのでしょうか……。
とは言え、その事実と「合点もゆかぬ」という村井の発言に整合性はないわけではないのが、実に面白いところなんですね。
状況を整理しましょう。村井の言葉は「調略を受けたから、裏切ったわけではない」という一点に基づく主張でしかないことに注目です。
つまり、「前田軍は柴田勢として精一杯戦ったが、秀吉に敗れ、撤退するしかなかった。前田軍では少なからぬ重臣たちが討ち死にもした。撤退で柴田勢が総崩れになることはわかっていたが、仕方なかった。その後、秀吉が前田利家公という武将の能力を見込んで、勝手に厚遇しただけ。それは秀吉の勝手であり、利家公が柴田勝家を裏切ったからではないのだ」……というのが村井の短い言葉のウラに込められた、彼の本当の主張なのです。
村井は「力及ばず敗者になった上に、勝者に良いように使われることになった」という二重の利家の不名誉を、「事前に秀吉に調略され、柴田勝家を裏切った」という別の不名誉を強く否定することで、隠蔽しようとした。
それが利家の近習・村井長明の憤りの真の意図だった――そう考えると史実と彼の憤り(と見せた演技?)の整合性が取れる気がする筆者でした。
まぁ、こういう複雑な心理ドラマをわかりやすく映像化することは困難ですから、『豊臣兄弟!』では「新しき世」のために涙を呑んで「親父殿(=柴田勝家)」を裏切る前田利家、さらに彼の裏切りの手土産となるべく、利家が殺しても「大丈夫」な人間――別の裏切り者である中川清秀という存在が急遽、必要となった……というところでしょうね。
「発明王」トーマス・エジソンが人生最後に完成させようと躍起になっていた“霊界電話”が実現していたら、史実の中川が怒りの電話突撃をNHKにしてきそうな結末ですよね。
さて冗談はさておき、同年4月23日、秀吉は降伏したばかりの利家を「先鋒(=道案内)」に命じ、勝家と市(宮﨑あおいさん)が籠る北ノ庄城を包囲・総攻撃を開始(江戸時代成立の『前田家譜』ほか)。この日の夜、“終わり”を悟った家臣たちや侍女、そして勝家・お市の方は最後の大宴会を開いています。
そして24日早朝4時頃、秀吉軍による総攻撃が開始された後、市と勝家は夫婦として最後の歌を詠み交わしたと伝えられます。
市による
「さらぬだに 打ち寝(ぬ)る程も 夏の夜の 別れを誘う ほととぎすかな」
意訳:そうでなくても短い夏の夜。今日は本当に一瞬で過ぎてしまいました。私たちの別れの時を告げているようなほととぎすの声が聞こえます。
という歌に対し、勝家は
「夏の夜の 夢路はかなき跡の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす」
意訳:夏の夜の短い夢のようだった私たち夫婦の名声を、天高く飛ぶほととぎすよ、雲居の高さにまで押し上げてくれ……
という歌を贈ることで答えたのでした。二人がすばらしい教養人であったことを裏付ける名歌です。
勝家の腕の中で市は死にました。最後まで勝家は市に娘たちと城を出て秀吉に投降することを勧めたとされますが、市はそれを拒絶したからです。
勝家がわが胸に市を抱くかのようにして彼女の心臓を刀で突き刺し、ドラマでは描かれませんでしたが、(一説に)12人いた勝家の妾たち、そして彼らに仕えていた30人の女房たちが次々と勝家の手で殺され、最後に勝家は市の遺体の前で自害。
その時点でも城に残っていた約80人の家臣たちも主人たちの死を知ると、自害、もしくは刺し違えて散ったとのことです。これらは生き残り、秀吉勢に柴田勝家と市夫妻の最後を伝えるべく遣わされた「老女」――古株の女房による証言だとする江戸時代の書物の記述があるのですが、興味深いことに、辞世を詠んだ直後に勝家と市たちは亡くなったのではなく、城が火柱で包まれた午後4~5時頃だったとする説が現在の歴史学では主流なのでした。歴史創作物では「辞世を詠んだら、即・自害」が王道でしょうが、これは現代人のイメージでしかなく、死を覚悟した時に詠むのが辞世。別にそれが死ぬ間際でなくてもよいのだそうです。
市がかつて浅井長政(中島歩さん)との間に授かった3人の娘たち――茶々、初、江たちは、母と義父にとっては不倶戴天の敵・秀吉に投降という悲劇的展開となるのですが、実は彼女たちの北ノ庄城からの脱出時間にも定説がありません。
……などと、イメージと史実(というか現存する記録)に大きなズレがある北ノ庄城の落城劇ですが、次回の内容こそ、秀吉を「いい人」として描くのはいくら『豊臣兄弟!』でも絶対不可能。「怪物」になっていく兄・秀吉に対し、「いい人」でありつづける秀長(仲野太賀さん)の明暗がハッキリしていく分岐点となるのではないかとも思われます。
(文=堀江宏樹)
