映画『失楽園』に出演した能楽師・森澤勇司「能楽って実はめっちゃスピリチュアル」

「制御システム」や「電子機能システム」を専門とし、特に超音波工学と圧電材料学に精通する桐蔭横浜大学専任講師・石河睦生が、“なぜか不思議と幅広い”ネットワークを活かし、「都市伝説になるかもしれない」事業家・アーティスト・科学者たちを紹介する連載。
第3回は、能楽師小鼓方として活動している森澤勇司さん。昨年7月にはディスカヴァー・トゥエンティワンの人気「超訳」シリーズから『超訳 世阿弥 道を極める』(ディスカヴァークラシックシリーズ)も発売されました。そんな森澤さん曰く「能楽こそ都市伝説」とのこと。今回のインタビューでも、そんな魅力的な表現を使いながら、能という名前は知ってるけど具体的にはなにかよく知らない私達に、その世界観を興味深く伝えてくれました!
石河 以前、森澤さんから「能楽はかつての都市伝説みたいなもので、昔の人にとってのスピリチャル体験の場のひとつなんですよ」とお伺いして「面白いなあ」と思ったんです。都市伝説やスピリチュアルという言葉が合わさると、もう怪しくて怪しくてアレルギー反応が起きそうですが、600年ほどの歴史のある能が「都市伝説? スピリチュアル?」と聞くと俄然、興味が湧きます。
そんな話をしつつも森澤さんはご自身が中心となって、現代人的に能楽を読み込む勉強会をされて、書籍も執筆されています。また、大ヒット映画『失楽園』をはじめ、映画やドラマにもご出演されていますよね。一方で、大きな病気をされて生死の境をさまよったり、うつ病を患って一度落ち込んでから再起を図ってこられたという復活のストーリーもあって、なかなか普通とは違う道を歩んでおられています。能楽についていろいろとお話をお聞きしたく、今回、対談をお願いしました。
そもそも、なぜ能楽師というキャリアを目指したんですか?
森澤 能楽界に入ったのは二十歳の頃でその前、18〜19歳頃はテンプル大学ジャパンキャンパスというアメリカンスクールに行っていました。当時、フロイトやユングの心理学や社会学者のデュルケームの本などをひたすら読み込んでいました。その時期はほかにもギターやアメフトをやっていたり、プロレスなどにも興味はあったんです。でも「将来どんな職業につくか」を考えると、どれもピンとはきていませんでした。
当時のギター雑誌に、「ヤードバーズ」や「レッド・ツェッペリン」のギタリスト、ジミー・ペイジが「そんなに上手じゃない」みたいな記事がよく出ていたんです。当時の日本人のギタリストってすごく技術が緻密なんですよね。でもジミー・ペイジは偉大なわけで、その状況を見て「技術だけでは到達できない領域がある」と感じたんです。
石河 「技術だけでは到達できない領域がある」って、もう日本人が抱えている課題そのものですね。僕も技術屋ですが、日本人はとにかくなんでも再現性としての技術が重要で、もちろん最低限はそうなんだけど、しかし何か超えられないものがあるというのは、大事な気付きだと思います。
森澤 「自分は、そこの土俵に行っても”ダメダメ”だな」って思って。むしろ、陶芸家や刀鍛冶、あるいはお坊さんが3日間寝ずに作った器に魅力を感じていました。
そんな風にもやもやしていたある日、実家の仏間でうとうとしていたら、夢を見たんです。そこで自分は、山道を歩いていたんですが、例えば、ミュージシャンの道を進もうとすると岩があって通れず、会社員になろうとすると崖に行き当たり、道がなくなってしまう。あらゆる職業の先に、全部道がなくなってしまったんです。その中でたったひとつ、先へ進める道があって歩いていったら能舞台があったんです。
歴史や国語を学んできたので能楽の存在自体は知っていましたけど、夢から覚めてすぐ能楽に関連するワードをタウンページで調べたら「能楽堂というものがある」ことを知りました。
石河 夢(笑)。夢で見たから能楽に行こうって、やっぱり森澤さん、若い頃からちょっと違いますよね。もともと無意識下に事前の準備もあったんでしょうけど、突然降りてきたものに対して、普通の人は向かっていかないですよ。
森澤 そこに悩みがなかったというか、思い切って飛び込む感覚も何にもなくて。ちょうど信号が青になったから進もうという感覚でした。そう思っていた矢先に、近所を歩いていたら、能楽堂のポスターが目に入りました。ちょうど昭和59年(1984年)にできた国立能楽堂の一般公募で、養成事業の2期生の募集があると知って、応募することにしました。
心理学を学んで知った「能楽との共通点」
石河 そうやって能楽の世界に入られてキャリアを積まれたんですよね。映画『失楽園』やNHK大河ドラマ『秀吉』にも能楽師として出演されたりして。でもそんな中で、脳梗塞で倒れてしまって。復活してからも今度は鬱になったりしたともお聞きしました。しかし、能楽師になった経緯を伺っても、森澤さんの性格で鬱になってしまうことがイメージもつかないんですよ。
森澤 厳密には診断名はついていませんが、症状に応じた薬を処方されたんです。2010年に舞台上で脳梗塞になって、舞台からそのまま集中治療室に入ったんです。それで退院すると関係者のかたがたから心配の電話をいただくんです。「大丈夫なんですか!?」という質問への返事に困ってしまって。「大丈夫だ」と思ってても倒れてしまうので、「大丈夫だと思うんですけど……」と返事をすると「いや、わかんないほど大変なんですか!?」って必ず聞かれちゃって。そんなことが続いて「やっぱりなんかダメなんじゃないか?」みたいに感じるようになってしまって、心療内科に行ったんです。そうするとお薬を出してもらうことになったので、「鬱っぽくなっていた」というわけなんです。
ただ、その時にすぐ切り替えて、日本メンタルヘルス協会という心理学の学校に行くようにしました。そうして改めて能楽の台本を見ると、最新心理学を反映した心理劇になっていることに感動しました。
石河 人間の科学的な理解や論理性は進化しても、本能は一緒だから、心理は今も昔も変わらないですよね。
森澤 そうですね。例えば、カウンセラーがクライアントに質問を投げかけるように、能の物語でも旅のお坊さんの前に女性が現れるとします。そこで、「お名前は?」と尋ねても、女性は名乗ろうとしません。また、「あなたはどうしたのですか?」と聞くと、「あなたこそどうなのですか?」と問い返されることもあります。しかし「この場所はどんな場所なのでしょう?」と尋ねると突然、女性が一気に語り始めるというような話があります。これはまさに、心理学のカウンセリング手法と共通する部分があるのです。
他にも心理学には夢分析がありますが、能楽もほとんどが夢の世界の話なので、繋がってくるもんだなと感じました。
石河 行動心理学の観点から考えると、合点がいくことが多いですもんね。それなのでご著書にも心理学的なエッセンスが入っているわけですね。書籍はどういうご経緯で発表されることになっていったのですか?
森澤 これも縁があって、知人から「日本文化について知りたい人がいるので紹介したい」と言われて実際にお会いしてみたら、「著書はないんですか?それなら知人の出版関係者を紹介します」と言われてプロフィールをお渡ししました。まもなく出版社から連絡があって。ちょうどそこの副編集長さんがご自身の企画の著者を探していてハマったんです。それが『ビジネス版「風姿花伝」の教え』 (マイナビ新書)という本でした。
それから少し時間が空いて、昨年2冊目が発売となりました。これも縁があってシンクロニシティの専門家である堀内恭隆さんとfacebookライブがご縁でベストセラー作家ひすいこたろうさんと繋がり、出版の話が決まりました。
もともと1冊目を作る時に、大ベストセラー『超訳 ニーチェの言葉』のような形で「世阿弥版を作りたい」というオファーだったんです。そうしたらそれが回り回って結局、2冊目は『超訳 ニーチェの言葉』を手掛けた藤田浩芳さんが担当編集になったんです。しかもその「超訳シリーズ」に入ることになって、ニーチェが1巻目で私の本『超訳 世阿弥 道を極める』は23巻目となりました。
能楽はスピリチュアル!? 不思議な精神世界を解きほぐす
石河 次はどのような本を計画しているのですか?
森澤 実は今、いろんな企画作っていて、編集会議を通過した企画として“神社と能の繋がり”のような話を、スピリチュアルな世界がお好きな方に向けて出したいなと思っています。スピ系な人たちが語る、夢やシンクロニシティ、引き寄せの法則といった概念は、実は能楽の世界観とも多くの共通点があるんです。
石河 森澤さん自体はスピ系ではないですもんね。
森澤 僕自身は「何かが降りてきた」という感覚はなく、あくまでも能楽と照らし合わせて解説するというスタンスです。夢からのメッセージの受け取り方にも、能楽と非常に似ている部分があります。同じ問いを自分に投げかけ、それによって答えを得る——これは、能の世界でもよく見られる考え方です。
西洋では、夢はすべて「解釈」されるものです。例えば聖書にも、ヨセフやピラトの妻の夢の話が出てきますが、それらはすべて「この夢はどういう意味なのか」と解釈されるものなんですね。
一方、日本の能楽に出てくる夢は、「解釈」ではなく「答え」そのものです。まず問いがあり、夢でストレートに答えが示され、それをそのまま行動に移す——この流れが基本のパターンになっています。つまり、夢を解釈せず、ただ受け取るという考え方が根本にあるのです。
石河 その話だけですでにすごく面白そうですね。後編ではさらに「能とスピリチュアル」みたいな部分について聞いていきましょう。さて、そんな森澤さんが今、何を見ているか、どんな課題を抱えているのかを伺って、今回は〆ていきたいと思います。
森澤 それでいうと、能楽を軸にして出版社から本を出そうとしても、『読者層が狭い』と言われてしまうのです。なので、能楽を軸にするのではなくて、切り口を加えて企画を持ち込んでいるところです。例えば、夢の話や死と向き合う武将の精神性に関する企画を出版社に提案していますが、まだ決定には至っていません。データという面で、どうにも能が足かせになってしまっているんです。
例えば、歌舞伎の検索数を100とすると、能楽の検索数はどのくらいだと思いますか?
石河 今のお話だと1とか2とか…?
森澤 実際はたった0.2です。検索数を見ると、まるで心電図のように、ほとんど反応がない状態です。どうしても能楽は、読者や視聴者が能動的に面白さを掴むものでメディテーションに近いものになってしまっている。それなので、能楽に対する価値の変化を起こして、メディテーション的な部分とエンタメの部分を複合的に表現して、日本的美意識や価値観を持つ人を増やしていきたいと思っています。日本には精神的な文化が根底にあるものだと信じています。
石河 能の表現の理解によって、日本人の根底にあるものを再考することができそうです。森澤さんは一次情報を扱い、世間のトレンドを取り入れながら、ご自身の興味についてあくなき探求心と情熱で更に深堀りされていきますし、なにより話がおもしろい。やっぱりいずれ「都市伝説」になると思います!(文=大沢野八千代)
(後編へ続く)
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■森澤勇司(もりさわゆうじ)
1967年東京都生まれ。能楽師小鼓方。テンプル大学在学中に能楽界に入門し32歳で独立。1500番以上の舞台に出演している。43歳で脳梗塞で入院、退院後、うつ状態克服のため心理学、脳科学を学ぶ。復帰後は古典的な能楽公演を中心に活動している。著書に『ビジネス版「風姿花伝」の教え』(マイナビ新書)『超訳 世阿弥 道を極める』(ディスカヴァークラシックシリーズ)など。明治天皇生誕150年奉納能、映画「失楽園」、大河ドラマ「秀吉」に能楽師として出演。2014年 重要無形文化財保持者(能楽)に認定。
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