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消えぬヒトラー逃亡説 アルゼンチン政府の機密文書公開表明で再び注目集める

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イメージ画像(写真:Getty Imagesより)

 ナチスドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーが、第2次世界大戦後も長く生きていたとされる説がくすぶり続けている。2020年に公開された米政府の機密文書で、米中央情報局(CIA)が戦後しばらく、ヒトラーの南米での生存情報を追いかけていたことが判明し、国際社会の耳目を集めたが、今年3月、「逃亡説」の舞台となっているアルゼンチンのミレイ大統領が、ナチスドイツに関するすべての機密文書を公開することを表明した。ヒトラーの逃亡を裏付ける証拠はこれまでに存在しておらず、「逃亡説は陰謀論でしかない」との指摘が主流だが、公開されるアルゼンチンの文書に衝撃的な内容が含まれている可能性は捨てきれない。

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地下壕で自殺、遺体はソ連軍が発見 歯形などから身元確認される

 1945年1月、ソ連軍がポーランドを越えてドイツ東部に進行し、連合軍の爆撃機がドイツの首都ベルリンを空爆した。壊滅的な被害を受ける中、ヒトラーは地下壕に退避した。4月初旬、250万人のソ連兵がベルリンに到達し、ドイツ軍との間で激しい戦闘を繰り広げた。

 敗戦を覚悟したヒトラーは4月29日、長く愛人関係にあったエヴァ・ブラウンと結婚し、地下壕で式を挙げた。披露宴は朝食会だったが、直後にイタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニが愛人のクラーラ・ぺタッチとともに、抑圧された群衆によって殺され、ガソリンスタンドに逆さにつるされたとの知らせが入った。

 4月30日午後、ヒトラーは地下壕の自室でエヴァとともに自殺した。死因は諸説あるが、英情報局保安部(MI5)は、ヒトラーは銃で自らを撃ち、エヴァは毒薬のカプセルを服用したとしている。

 2人の遺体は地下壕入り口近くの庭に運ばれ、ソ連軍の銃声がとどろく中でガソリンをかけられて焼かれた。ただ、部分的にしか焼けず、空爆でできた穴に急いで埋葬された。

 その後、遺体はソ連軍によって発見され、歯形などからヒトラーのものだと確認された。遺体は1970年4月、当時のソ連国家保安委員会(KGB)によって最終的に処理された。2000年4月、頭蓋骨などがモスクワのロシア連邦公文書館で報道陣に公開された。

 ヒトラーの死から遺体の処理については、「歴史の真実」としてこのように記録されている。

CIAが戦後、南米への逃亡情報を追う 報告書に写真も

 ところが、これとは別に、ヒトラーは地下壕から抜け出して南米に逃亡していたという説は戦後、長くくすぶりつづけている。

 第2次世界大戦終結からわずか2カ月後には、米情報当局がアルゼンチンの「ヒトラーの隠れ家」を捜索していたのである。その後も10年にわたり、情報提供者と連絡を取り合っていた。

 2020年に公表された米政府の機密文書では、当時の米戦争省(1947年9月に解散)が、アルゼンチンのラ・ファルダという町にあるスパホテルに、ヒトラーの隠れ家が存在する可能性があるという情報を米連邦捜査局(FBI)に送った経緯などが記されている。

 終戦から2ヵ月後、ヒトラーが自殺したとされてから6カ月後の1945年10月に作成された文書だ。このスパホテルのオーナーはナチスの有力な支持者で、ナチス宣伝相、ヨーゼフ・ゲッベルスに資金を提供し、ヒトラーと近い友人になったことなどが記されている。

 米国の情報機関によると、ヒトラーはオーナー家族のナチスへの忠誠心を忘れることはなく、オーナー家族がドイツに滞在した際、ヒトラーはこの家族と同じホテルに宿泊していたという。

 戦争省はFBIに、第2次世界大戦でドイツが負けるか、ヒトラーがナチスの指導者を追われた場合、アルゼンチンのこのホテルにヒトラーが逃げ隠れることを確信していると伝えた。

 また別のCIAの文書には、1954年にコロンビアで友人と隣り合わせで座っているヒトラーとみられる男性の写真が添付されている。

 1955年10月3日の報告書には、ヒトラーが南米に密かに移り住んだかどうかを確認するための諜報活動が行われていることが記されている。「CIMELODY-3」と呼ばれる情報提供者が、欧州でヒトラーの指揮下で働きベネズエラに逃亡した人物と話をしていたことなどが明らかにされている。

 この人物によると、元ナチス親衛隊のフィリップ・シトロエンという男が、ヒトラーはコロンビアでまだ生きており、毎月連絡を取り、最近写真を撮ったと話していたという。

 この人物は1955年9月28日にその写真を盗み出した。写真に写っているヒトラーとされる男は「アドルフ・シュリッテルマヨール」と呼ばれていたという。文書には、元親衛隊らはヒトラーが1955年1月にアルゼンチンに移住したと話していると付け加えられている。

米上院委員会の要請に応じる 歴史語る「第1級」の資料

 こうした機密文書の公開で、ヒトラーの南米逃亡説は消滅することなく、くすぶり続けてきた。そんな中、アルゼンチンのミレイ大統領が今年3月、ナチスドイツに関係する機密文書をすべて公開することを明らかにした。

 この公開決定は、ナチスの戦争犯罪について調査している米上院司法委員会からの要請に応じたものだった。アルゼンチンには、ナチスと友好的だったファン・ドミンゴ・ペロン大統領の時代に、多数のナチスの戦争犯罪人が秘密裏に逃げ込んでいる。

 ヒトラーの「逃亡説」が荒唐無稽なものだとしても、アルゼンチン当局の機密文書は、戦後のナチスの動きを解明するには「第1級」の資料で、文書の公開を国際社会が注目している。

(文=言問通)

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言問通

フリージャーナリスト。大手新聞社を経て独立。長年の米国駐在経験を活かして、米国や中南米を中心に国内外の政治、経済、社会ネタを幅広く執筆。

最終更新:2025/04/14 09:00