山口組が“電光石火”の抗争終結と世代交代…髙山相談役の剛腕が導いた新体制

六代目山口組が出した「抗争終結宣言」は、各メディアでも報じられた通りである。六代目山口組から分裂した神戸山口組や池田組、さらに神戸山口組からさらに分裂して結成された絆會に対し、今後は武力行使しないことを記した宣誓書を兵庫県警に提出したというのだ。
六代目山口組を動かした「連判状」
その後、六代目山口組の発足以来、若頭の座を不動のものとしてきた髙山清司・三代目弘道会総裁が、新たに設けられた「相談役」に就任。後任の若頭には、竹内照明・三代目弘道会会長が昇格した。
弘道会は言うまでもなく、六代目山口組・司忍組長が創設した由緒ある組織であり、その二代目会長を務めたのが、六代目体制において絶対的指揮官として山口組を率いてきた髙山相談役である。
一方、竹内若頭は、髙山相談役が率いていた髙山組の二代目を継承したのち、弘道会の三代目会長に就任。そして今回、六代目山口組の若頭にも抜擢された。弘道会はこの間、六代目山口組の中で最大規模を誇る有力組織となり、その力は盤石なものとなっている。
2005年に六代目体制が発足して以来、長きにわたり若頭を務めた髙山相談役から、竹内若頭へとその座が受け継がれた背景には、山口組の次世代への移行を見据えた布石という意味合いもあるのだろうか。ヤクザ事情に詳しいジャーナリストは、今回の人事についてこう語る。
「山口組110年の歴史で新設されたのが、今回の相談役というポストです。ヤクザ社会において、トップである組長は象徴的存在であり、実際の政(まつりごと)は若頭をはじめとする幹部が執り行うとされてきました。それを体現してきたのが、髙山相談役です。六代目体制では絶対的な指揮力を発揮しました。六代目山口組の分裂が起きたのは、髙山相談役の服役期間中であり、神戸山口組の組織力が明確に衰退したのは、髙山相談役が出所した後のこと。それだけ髙山相談役の実力は絶大でした」
神戸山口組が発足した当時、「髙山若頭(当時)が社会復帰するまでに、何らかの決着をつける意図があるのではないか」と、業界関係者の間で囁かれていた。そして髙山相談役の出所が近づくにつれて、状況は大きく動き始め、出所が現実のものになると同時に、神戸山口組は一気に組織力を失っていくこととなった。
たった一人の人物が社会から不在になることで日本最大のヤクザ組織が分裂し、そして復帰とともに離脱した勢力が斜陽を迎える——この流れこそが、髙山相談役の影響力を如実に示している。
大きく動いた執行部人事
「注目すべきは、抗争終結を宣言すると、すぐに若頭の座を竹内会長に譲り、自らは相談役に就いたこと。ヤクザ社会において、影響力が絶大な状態のうちに後進に道を譲るということは難しいことだとされています。それを矢継ぎ早に実現したのですから、髙山相談役の手腕の確かさを物語っていると思います」
また六代目山口組では、竹内会長が若頭に就任したのと同時に、これまで若頭補佐を務めていた藤井英治・五代目國粹会会長が顧問に、若頭付きだった加藤徹次・六代目豪友会会長が若頭補佐に昇格するなど、人事は大きく動いた。
こうした人事について、ある捜査関係者は次のように推察する。
「これは、将来を見据えた布陣ではないか。髙山相談役は、事実上は執行部からも一線を退いたという話も聞こえてくる。どのような組織であっても、世代交代は最も難しい課題の一つ。それを見越して、六代目山口組は着実に次の体制を築こうとしているのだろう」
こうした六代目山口組の動きに対し、対立関係にあるとされ、特定抗争指定暴力団に指定されている神戸山口組や池田組、絆會は今のところ明確な動きを見せていない。このまま静観が続けば、今後、六代目山口組が特定抗争指定暴力団から外れる可能性も現実味を帯びてくる。それこそが、六代目山口組が抗争終結宣言をした目的のひとつであるはずだ。
およそ10年にわたり続いた分裂問題を収束させ、六代目山口組は今、新たな体制へと歩みを進めつつある。
(文=山口組問題特別取材班)
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