お台場劇場は終わらない―「ハラスメント認定」でもドラマを強行放送したフジの傲慢体質

佐藤二朗さんがX(旧Twitter)に投稿するたびに、凄まじい勢いでそのポストが回り始め、その反響の大きさに、対応がお粗末なフジテレビ側は謝罪文を乱発している。
では何か。もしも佐藤二朗さんがXにポストしていなければ、ほっかむりして隠し通すつもりであったのか。ネット民の反響を見てから右往左往するということは、まさにそういうことである。
昨年起きたフジ騒動と違い、今回、少しでも局に同情する声が聞こえてくるかといえば、全く聞こえてこない。
私は無闇矢鱈に記者会見を開けという昨今の風潮に辟易していた。対象者を大勢で吊し上げて詰問することの何が記者会見だ、と前回のフジ騒動の時もその異様な光景を非難していた。
しかし今回は、フジの編成トップや制作トップ、それにプロデューサーは記者会見を開き、これまでの経緯を説明し、質疑応答に対応する責任があるのではないか。
局のプロデューサーなんて、作品を作る上で特別な存在ではない。ましてやフジである。わずか1年半前にも騒動を起こした局なのだ。それがどうだろうか。撮影中に外部の弁護士に調査を依頼していたという……どんな現場なのだ。弁護士に調査を依頼せざるを得ない状況とはどんな状況なのだ。そんな状況から生まれた作品を何食わぬ顔で放送していたのだ。
あげく、フジ側の言い分では、佐藤二朗さんの言動は「深刻なハラスメントに該当すると認定した」と言っているのだ。その声明を出すことに、フジの編成や制作のトップとやらは何の違和感も抱くことができなかったのだろうか。少なくとも、私にはフジの今回の対応に違和感しかない。
仮に、フジサイドがそうした状況を認識していたのであれば、よくもまあ、自局のドラマの番宣に、2人を出演させようなどと考えられたものである。非常識にも程があるのではないか。
最悪な事態を招いたフジの悪手
「深刻なハラスメントに該当すると認定した」と言っているのだろう。そうフジ側が認識しているならば、ドラマを放送している場合か。それこそが異様な光景ではないか。
プロデューサーが必死に自分の力量で、両者からヒアリングをし、調整しながら、何とかまとめあげたというストーリーならまだ理解できる。しかし、過去の騒動の教訓もあってか、すぐに弁護士を介入させて調査を行ったのだろう。
もうそうなった時点で、佐藤二朗さんと橋本愛さんが共演したドラマの放送を見送ることが社会通念上の常識ではないか。それをしないからこういう最悪な事態を招いてしまっているのではないのか。
そんな状況下であることを少なくともフジサイドは認識しながらも、表では何事もなかったように放送し、番宣にだって2人を積極的に起用しようとしていたのだろう。裏では弁護士沙汰にしながらだ。
それは相当に悪質だ。
それが本当ならば、その裏側を何も知らずに観ていた視聴者に対して失礼でもあるし、スポンサー企業の信用問題に関わってくることになる。
視聴者は「深刻なハラスメントに該当すると認定した」とフジサイドの入れた弁護士が言っているドラマを何食わぬ顔で視聴させられていたのか。これだけコンプライアンスが叫ばれる令和の時代に。
外部の弁護士に調査を依頼したと言いながら、一事が万事、都合よく言い訳の材料にしていないか。
何かというとスポンサーの顔色ばかりをうかがってフジは仕事をしているが、今回の経緯はもちろん、こうして明るみになる前にスポンサー側に伝えていたのだろうな。まさか肝心なことは伝えてなかったとは言わないだろうな。
「深刻なハラスメントに該当すると認定した」と伝えていた上で、フジがそうしたドラマを放送することを容認していたというのなら、当然、スポンサー側にもその責任の一端は生じる。問題作品をスポンサードしていたという事実は、イメージダウン以外の何者でもないのだ。
泥をかぶらないプロデューサーたち
顔も名前も知られ、矢面に立たされている俳優部の佐藤二朗さんも橋本愛さんもあれだけの心労を重ねているのにフジはどうだろう。ドラマの編成のトップ、番組プロデューサーという責任ある肩書を持ちつつも、いざとなったら組織の影に隠れて顔も名前も出さないのか。プロデューサーは現場で威張るだけなのか。何かあった時に泥をかぶって責任をとるのもプロデューサーの役目ではないのか。 個人と組織の中に埋もれた立場とでは、受ける精神的ダメージは全く異なる。
少なくとも、現場は局のプロデューサーや編成や制作のトップとかいう立場の人間が取り仕切ってやっているのだ。普段からそうした立ち位置で権力を振るっているではないか。
だからこそ、ドラマのクレジットにもプロデューサーの肩書などで名前を載せているのだろう。それがこうした不利益な時だけは、表に出てこないというのは、俳優部の2人と比較して、あまりにもフェアじゃない。
フジが謝罪文を出すということは、少なくとも不手際があったことを認識しているはずだ。だったらドラマや編成のトップとやらが、マスメディアを前にした記者会見でも開いてみせたらどうだ。
良いときはそれを最大限に振りかざし、今回のように世間を無闇に混乱させるようなことをした時には、誰の責任なのかを伝えようとしないのでは、公共の電波を預かる身としても少しばかり虫が良過ぎないか。
撮影現場は生き物である。それでも俳優部もスタッフもみんな地上波のガイドラインに沿いながら、作品作りをやらされているのだ。それなのに何様のつもりなのだろう。
私にだってこの一年を振り返り、フジを始めとした地上波の編成に言いたいことはヤマほどある。
テレビ離れ……当たり前ではないか。時代錯誤を是正できずに衰退を招いているのは、テレビ局で働いていることを傲慢に勘違いしてる人間たちにも一因があるからだ。わかりやすいではないか。今回も世論は怒っていないか。謙虚にやってこなかった人間たちに、今ようやくツケが回ってきているのではないか。
フジ騒動……あれが一つの転機であったはずなのに……。ずっとスポンサーだけを見て仕事していればこうなるのは、ある意味、当然の結果ではないだろうか。
傲慢なテレビ局が待つ末路
私はテレビで仕事をするのが好きだ。自身が原作を務めたドラマの映像化では、たとえ予算が少なくとも、地上波の深夜は情熱を滾らせることができる。それはなぜか。誰もが無料で簡単に観ることができるからだ。
だが昨今のゴールデンはどうだ。テレビ離れを認識しながら、悪しき伝統だけは振りかざしていないか。 ある芸人の芸風の、あの言葉通りだ。
「地上波は守って死ねよ」。本当にその通りだと思う。
フジ騒動だけではない。旧ジャニーズ問題にしてもフジは、改善するチャンスがいくらでもあったはずだ。 それがどうだ。佐藤二朗さん、橋本愛さんの問題をみても、体質は何も変わっていなかったと世間に露呈してしまっている。
弁護士を入れたから最低限のことをやっているということではないのだ。弁護士を入れなければならないということは、ドラマを放送する側の局の人間の力のなさを露呈しているわけで、そんな状態で一般論としてドラマの制作を進めるべきではなかった。
今、ネットでは、どちらが良い悪いとさまざまな意見や論争が巻き起こってしまい、週刊誌の報道でさらに拍車がかかってしまっている。その境遇に立たされて、佐藤二朗さんと橋本愛さんは、心を傷つけられ、こう思っていないか。
「本当にフジのドラマなんて受けなかったら良かった」と。
主演の2人がそう思うような現場は、撮影現場として機能していたとは、間違っても言うことができない。
(文=沖田臥竜/作家・小説家・クリエイター)