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細木数子、CNN、愛子天皇論争…週刊誌が暴く時代の裏側――元木昌彦のスクープ週刊誌

 さて、以前にも書いたが、私がCNNというメディアを初めて知ったのは1989年6月4日に起きた「天安門事件」の前日だった。

 学生たちがハンガーストライキをしている前に櫓を組み1台のカメラがジッと彼らの姿を撮り続けていた。

 そのカメラが、あの軍の戦車にひき殺される学生たちの姿を世界に伝え、われわれは中国政府による残虐行為を知ることになったのである。

「同局の放送開始は1980年。世界各地の動きを瞬時に伝えるニュース専門局の誕生で、国際情勢への人々の理解は格段に深まった。その功績はテレビ業界にとどまらず、彼はジャーナリズム、さらには世界に対する人々の認識を変えた」

 そうニューズウィーク日本版は書いている。

 そのCNNを創ったメディア業界の風雲児、テッド・ターナーが5月6日、87歳で亡くなった。

「創業当初のCNNはジョージア州アトランタのかつてのカントリークラブに『世界本部』を置くオンボロ所帯。既存のニュース番組のベテラン記者からは、CNNは『チキン・ヌードル・ネットワーク』の頭文字を取った略称だ、などとからかわれたものだ」

 というのだ。

 たしかに、カメラ数台で、世界中の地域から情報を流し続けるメディアは、既成の大マスコミから見れば「チキン」のような存在だったのだろう。

「だがCNNは80年代半ばまでに黒字化を達成。ソ連が崩壊し、湾岸戦争が勃発した91年には、現地取材と速報性を誇る唯一無二のメディアとしてアメリカ、そして世界にその名をとどろかせていた。

 ターナーはその先見性を評価され、91年にはタイム誌の表紙を飾る『今年の人』に選ばれた。彼のアイデアから世界中の人々がいま起きている事態を同時に見守る報道空間が生まれ、CNNはニュース配信で3大ネットワークの視聴率を奪うライバルとなった」

 最初から有料で配信するという姿勢に、他の大メディアも注目せざるを得なくなった。

「今では世界中の人々が昼夜を問わず地球のどこかで起きたニュースを当たり前にチェックしている。それはターナーがCNNを設立するまで、誰も想像できなかった光景だ」

 私の友人は、早い段階でCNNの日本での配信権を手に入れた。彼の先見性はこの国では早すぎたため成功しなかったが、もうしばらく待っていれば、ネットの時代になり、彼の先見性は高く評価されたと思う。

 私も、1999年にWeb現代を立ち上げたとき、カメラとパソコンがあれば、世界中から情報を届けることができると考え、ニュース部門をつくり、ビデオジャーナリストを育てようとしたが、まだ機は熟していなかった。

 これからは、AIを使って正確な情報を世界の隅々まで届ける新時代のCNNが出てくるのではないかと期待している。

 メディア貧国のこの国からは絶対出てこないとは思うが。

 部活で遠征中の北越高校ソフトテニス部の生徒20人が乗っていたマイクロバスが、道路脇のガードレールに衝突して、投げ出された生徒1人が死亡した事故は、高校側のいい分とバスの運行会社「蒲原鉄道」茂野一弘社長のいい分が食い違って、責任の所在がまだはっきりしない。

 ただ、マイクロバスを運転していた若山哲夫容疑者(68)のトンデモぶりは目を覆うばかりである。

 文春で、新潟県内で自動車修理工場を営む男性がこう話している。

「彼は直近1カ月半で5回も交通事故を起こし、毎回ここに車を修理に持ち込んで来ていました」

 続けて、

「会うたびに挙動がどんどんおかしくなり、目の焦点も合っていないようだった。全く運転できるような状態じゃなかったんです。それなのに、5回目の事故の5日後に子どもたちを乗せたバスを運転するなんて……。知っていたら絶対に止めていました」

 社会部記者もこういっている。

「車両は厳しい運行管理が求められる『緑ナンバー』ではなく、自家用車と同じ『白ナンバー』でした。若山は旅客輸送の運転に必要な『二種免許』を所持しておらず、違法な“白バス”行為にあたる疑いも浮上しています」

 だが、文春によれば、この男、新潟陸上部ではその名を知られていたという。

 青森県出身で、早稲田大学を経て東京学館に採用され、指導者として、東京学館新潟高、開志国際高をそれぞれ初の全国高校駅伝大会へと牽引したという。

 だが、最近は市内の一軒家で一人暮らしだったようだ。

「最近は挨拶しても返事がなく、目が泳いでボーッとしていることが増えました。糖尿病を患っているとも聞いた。黒の軽自動車『N-BOX』をよく運転していたけど、あちこち凹んでいて、大丈夫かなと不安になるほどでした」(近隣住民)

 若山は3月下旬から4月末まで少なくとも4回の事故を起こし、

「五月一日、新潟県北部の高速道路で若山さんが多重事故を起こしました。乗っていたのは、私が代車として貸していたホンダの軽自動車『N-ONE』。彼が『自走できない』と言うので、私も現場に向かった。どうやら前方でパンクして停車していた車に突っ込んだようで、県警が事故処理にあたっていました」(修理工場を営む男性)

 なぜ、こんな男にハンドルを握らせたのだろう。

 茂野社長は事故当日の会見でこう話した。

「高校から『貸切バスは高い』『できる限り安くしたい』と要望があり、営業担当者が“知り合いの知り合い”を紹介した。運転手の事故歴などは聞いていない」

 同席した営業担当の金子賢二によると、

「緑ナンバーを使うと高くつくので、(学校側から)『安いものを探して』と。それでレンタカーに辿り着いた。『運転する人もいない』という話になり、運転手も手配した。ドライバーと面識はない。謝礼は学校側が払うと思っていた」

 こうした説明に対して、学校側も真っ向から反論した。

 灰野正宏校長は翌7日の会見で次のように主張した。

「顧問によると、レンタカーや運転手の手配は依頼していない。人数、場所を伝えてバスの運行をお願いした。長年出入りしている業者に頼めば安心だから、と契約書は交わしていない」

 さらに学校側は10日、再び会見を開いて、顧問の寺尾宏治が涙ながらにこう話した。

「蒲原のバス、運転手という認識だった。何度も頼んでいる会社で、金子さんのことも信頼していた」

 真っ向から食い違う主張だが、どうも、学校側にやや分が悪いようなのだ。

 和田晋弥現理事長は、複数の企業(グループ売上高160億円)を経営する実業家だという。

 金持ちが悪いというのではない。だが、

「蒲原にバスを依頼する際は、営業担当の金子さんにほぼ丸投げしていました。信頼関係に甘え、白ナンバーか否かは気にしたことがない。数年前は金子さんから見積もりが届き、後払いが多かったと記憶している。蒲原に支払うのとは別に、運転手には1〜2万円程度の謝礼を渡していました」(同校の元教員)

 遠征バスの運用については校内からも改善を求める声が上がっていたようだ。

「二〇一〇年代に各地で遠征バスの事故が相次ぎ、当時の副校長が『顧問の運転は禁止すべき』『きちんとした会社に正規(緑ナンバー)の観光バスを依頼するように』と強く求めていました」(同)

 ところが、各部の顧問らは異を唱え、「だったら予算を増額してくれ」という声が噴出し、副校長の警告は無視されたという。

 安さを求める学校側、それに応じて、できる限り安いバスと運転手を探し、免許証も事故歴も確認せずに手配したバス会社。

 結果、絶対に運転してはいけない人間がハンドルを握ることになり、事故が起きた。

 亡くなった高校生は無念だっただろう。だが、こうした遠征が頻繁にある学校は全国にいくらでもある。

 事故を起こさない体制づくりが学校側にもバス会社側にも求められることはいうまでもない。

 ところで、細木数子をモデルにしたNetflixの『地獄に堕ちるわよ』の評判がいいらしい。

 私は細木数子という女性占い師を昔、知っていた。

 私も観てみた。最初から違和感があった。細木を演じる戸田恵梨香は熱演だとは思うが、細木というのはあんなほっそりした美形ではなく、テレビで見た方も多いだろうが、マツコ・デラックスのようないかつい角ばった顔である。

 新橋のバーを成功させ、20代初めで銀座にクラブを何件か持っていたという。1958年には、銀座にクラブ「かずさ」をオープンしたそうだ。

 彼女は私より7歳上である。初めて会ったのはどこだったか? 私の記憶力はかなり危ういから自信はないが、はっきり覚えているのは、知人に連れていかれたクラブかどこかで、帰りがけに彼女が送ってきて名刺をもらったシーンだ。

 私は1970年入社だから、細木が赤坂にサパークラブ「艶歌」をオープンしたのが1969年、1974年に赤坂にディスコ「マンハッタン」をオープンしたというが、私はディスコへは行ったことはないから、サパークラブだったのか……。

 その後何回かその店へ行って話をするようになった。美人ではないが、話の面白いオバサンという感じで、色気はなく貫禄十分だった。

 だが、記憶が前後するが、ある時、細木と広いガランとしたフロアに2人で座って、話していた記憶がある。

 自信満々の細木ではなく、クラブ事業に失敗して、これからどうしようかなどという湿った話をした記憶があるのだが、ドラマを見てもそれらしい場面はないから、確信は持てないが。

 ただ、その頃は、確かに細木は借金を背負い、お先真っ暗な時だったと思う。

 その窮地を救ったのが、島倉千代子だった。

『地獄に堕ちるわよ』の中にも出てくるが、1975年の島倉千代子の“事件”の時、私は週刊現代編集者として、島倉にインタビューしている。

 彼女は、付き合っていた確か眼科医か何かだったと記憶しているが、その男に実印まで預け、次々に不渡りを出されて、数億ともいわれる多額の借金を背負ってしまったのだ。

 細木の話では、島倉が世を儚んで死のうとしていた時、車で通りかかった細木が助けたという。実際はそうではないようだが。

 細木は島倉に、借金は何とか話をつけるからと、太っ腹なところを見せたが、内心では、島倉の興行権を持てば、借金を返してもなお、どれだけ儲かるかを胸算用していたのである。

 細木から電話がかかってきた。当時、記憶によれば、週刊文春がルポライターの竹中労を起用して、激烈な島倉批判をしていた。

 それに反論したいというのだ。

 竹中に喧嘩を売るのも面白いなと思い、取材に行った。そこに、細木と島倉のほかに、細木より年下の細身で、明らかにその世界の人間だとわかる優男がいた。それが細木の彼氏の二率会の堀尾昌志だった。

 素顔の島倉は気さくな感じで、一緒にいた男にされた仕打ちや、細木に会って助けられたという話をボソボソと話した。

 それが現代に出ると、細木からありがとうの電話がきた。

 今になってみれば、細木が男と組んで事務所を作り、島倉の興行権を一手に握って、借金の数倍は儲けた片棒を担いだような気がして詮無い。

 その後、1976年、細木から「弟が選挙に出たい」といっているから相談にのってくれないかという電話があった。

「どこから出たいのか?」と聞くと、新自由クラブからだという。

 当時、自民党の金権体質を嫌い、党を飛び出た河野洋平、山口敏夫などがつくった新自由クラブがブームを起こしている時だった。

 そのブームに乗れば当選できると考えたのだろう。

 私にいってきたのは、私が新自由クラブの河野や山口と親しいと知っていたからだ。

 まあ、話だけでもしてやるよといって、ダメ元で、河野だか山口だか覚えていないが、話をしてみた。

 すると、できたばかりの新党だから出馬する人間を探していたのか、OKの返事をもらった。

 だが、この弟というのは政治家にするなどもってのほかという人間だった。当時、渋谷(細木はここの生まれ)、中野、杉並という選挙区だったと思うが、大差で負けたからホッとした。

 そして今度は政財界、特に政界では、歴代総理が教えを請いに来るという陽明学者の安岡正篤と結婚したという噂が駆け巡った。1983年のことだった。

 まさかとは思ったが、電話をかけてみた。細木は「こっちに来る?」といった。

 記憶では、当時、赤坂のコロンビアの後のマンションに住んでいたと思う。ドラマで描かれていたようなゴージャスな部屋ではなかった。

 部屋に上がって、「あの話はほんとなのか?」と聞いた。細木は「見てみる。そっちの部屋で寝ている」とふすまの奥を指した。

 行ってみると、布団が敷かれ、老人が寝ていた。奥の方に巻物や骨董品のようなものが雑然と積まれていた。

 細木は、「あの人、触ってあげると喜ぶのよ」といった。

 どこを触るのかは聞かなかったが、その時の細木の表情が生き生きしていたのを憶えている。

 安岡は認知症気味で、細木は酒を飲まして人事不省になった安岡に、結婚承諾書に拇印を押させたといわれる。

 安岡の親族が「婚姻の無効」の調停申し立てを行った翌月、1983年12月に安岡は亡くなっている。安岡の所蔵していた書画骨董などを、細木から取り戻すのは大変だったようだ。

 細木は、それを知り合いのヤクザの幹部にばらまいていたそうだ。

 安岡に会ってすぐに彼女の銀座のクラブに誘い入れ、誑し込む手口は、水商売の女ではなく、“女ヤクザ”といってもいいだろう。

 その後しばらく会わなかったが、1985年、突然、『運命を読む六星占術入門』という本を送り付けてきた。あのオバちゃん、占いなんてやっていたかな? 聞いたことはなかった。どうせ、はったり本だろうと、パラパラめくってそのまま放り投げた。

 その後、テレビに出ているという噂は聞いていたが、会ってみようという気にはなれなかった。細木のほうも、多少でも昔の自分を知っている人間には会いたくなかったのではないか。

 番組での彼女の決め台詞「地獄に堕ちるわよ」が流行語にもなった。

 だが、私がいた週刊現代が、ノンフィクション作家の溝口敦を起用して、細木の虚飾の人生と、暴力団との親密な関係を暴露する連載を始めたのだ。

 暴力団の幹部を使って、記事を潰しにもかかった。さらに発行元の講談社を相手取り、6億円余の損害賠償訴訟を起こしたのだ。

 だが、事実を突き付けられた細木は、すべてのレギュラー番組を降板し、訴訟を取り下げた。

 細木は神楽坂に事務所も自宅もあったようだ。私もよく神楽坂へは行っていたから、偶然、声をかけられるかもしれないと思ったが、一度も会うことはなかった。

 こうしてドラマになって見てみると、細木という女性の人生は虚飾まみれではあるが、あの時代を生き抜いた“戦友”のような気もする。

 女性としての魅力はなかったが、あの当時の水商売の女性たちにあった“タフさ”や“真剣さ”が彼女にもあった。

 銀座や赤坂が輝いていた時代だった。

 そんな時代を駆け抜けた細木という女性の生き方がいいとはいわないが、何やら懐かしさを感じるのは、私が年を取ったからだろうか。

 さて、文春砲VS.高市首相という構図がくっきりしてきた。

 怪しげな奈良の宗教団体からの献金問題。サナエトークンに高市首相の秘書が関わっていた疑惑。昨年の総裁選や衆院選で、小泉進次郎などの対抗馬たちへの中傷動画の制作疑惑。

 国会で野党から説明を求められても、「自分は知らない」と斬り捨て、秘書が関わっていたのではないかと追及されると「私は秘書を信じる」と逃げた。

 元々責任を追及されても、真っ向から説明責任を果たさない政治家ではあったが、首相になってからさらにひどくなってきた。

 だが、文春は追及を続け、次々と新しい「証拠」を突き付けてくる。

 万が一、高市が知らなかったとしても、側近の秘書が関わっていた疑惑はかなり濃い。

 このままいけば、腰抜け野党だが、高市の秘書を証人喚問しようという事態に追い込まれるかもしれない。

 今週の文春は、中傷メールに関わっていたのは木下剛志公設第一秘書ばかりではないと報じている。

「この“ネガキャン動画大作戦”には、政府の要職にある「第3の男」も参加していたのだ。

 総裁選告示から二日後の九月二十四日。打合せ準備のために、木下秘書と松井氏が交わしたショートメールがある。まず、松井氏が〈明日21時〜Zoomミーティングよろしくお願いいたします〉とWeb会議のリンクを送信。すると木下秘書はこう返信した。

〈よろしくお願い申し上げます。明日は、うちのSNS班の責任者の西田と統括のNも参加させていただいてよろしいでしょうか?〉(注:Nは実際は実名)

 松井氏は〈もちろんです〉と返答した。この会議で、松井氏は西田氏らと総裁選の情勢等を相談し、『小泉氏へのアンチ七割、林氏アンチ一割、高市氏のポジティブ動画を二割作ることで一致した』と証言している。

 この『西田』氏とは、実は自民党や日本維新の会に所属した元衆院議員の西田譲氏なのだ。

『総裁選で西田氏は、高市陣営におけるSNS対策班の責任者でした。西田氏は陣営の選対本部事務所に頻繁に出入りしていました』(永田町関係者)」

 その功績からか、西田は高市政権で黄川田仁志こども政策担当大臣の「補佐官」に就任した。こども家庭庁幹部に名を連ね、「こども政策のインターネット戦略」などを担当しているという。

 西田は文春の電話取材にはまともに答えず、後ほど文書でこう回答してきたという。

「総裁選特設サイト、YouTube、インスタグラム、Xでの公式アカウントでの発信を行っていましたが、他の候補者のネガティブな内容の作成や発信などは行っておらず、ご質問にある事実はございません」

 間違いなく高市首相は追い詰められている。支持率もじわじわ下がってきている。

 トランプ大統領が中国を訪問して、台湾問題では習近平国家主席にねじ伏せられたと報じられ、中国の存在感が増している中、反中国の言動を繰り返しているこの国は、アジアの孤島になりかねない。

 高市の命運が尽きつつある中、文春砲のさらなる追撃があれば、首相のイスを放り投げるのではないか。その日は近いように思う。

 ところで、先にも触れたが、愛子天皇は幻になろうとしている。

 そんな中、朝日新聞(5月18日付)が世論調査を行った。

《皇位継承についても質問した。「女性天皇」は72%、母方だけに天皇の血を引く「女系天皇」については74%が容認する考えを示した。(中略)

 今の皇室典範では、皇位継承の資格は、父方に天皇の血を引く「男系男子」に限られている。高市早苗首相は4月の自民党大会で、「男系で皇統が継承されてきた歴史的事実が天皇の権威と正統性の源だ」と述べ、「男系男子」による皇位継承を重視する立場だ。

 今回の調査では、天皇について、「女性もなれるようにした方がよい」が72%で、「男性に限った方がよい」の18%を上回った。「女系を認めてもよい」が74%に対し、「男系を維持する方がよい」は18%にとどまった。

 自民支持層では、「女性天皇容認」が68%、「女系天皇容認」が70%。維新支持層は「女性」「女系」ともに容認派が7割を超えた。男女別にみると女性回答者の方が男性回答者よりも、「女性天皇容認」「女系天皇容認」の割合が高めだった。》

 自民党、維新の会の支持者でも、女性、女系天皇を支持するのが7割いるのだ。

 それなのに、高市政権は愛子天皇について全く触れないのは、どうしてなのか? 何を恐れているのか?

 今週の新潮も、あれだけ愛子天皇実現せよ報道をしてきたのに、今号では、手のひら返しした。何があったのか? そっちの方が気になるのだが。

 コメントしているのは、私から見れば保守的な論客ばかりだと思うが、それぞれの意見を見てみよう。

「皇室の歴史を踏まえた場合、確かに歴史上8方10代の女性天皇がおられました。このことから愛子様を天皇に、と主張する人もいますが、いずれの女性天皇も、あくまで『相応しい男子』が存在しない場合の臨時的、例外的なものでした。皇位継承の本筋は、男系男子による継承であったことは揺るぎありません。

 このように考えるならば、既に秋篠宮殿下や悠仁親王がいらっしゃる以上、女性天皇は必要ではありません。万が一、皇室典範が改正され、愛子様が天皇になられたとしたら、これまで皇嗣と定められ、そのようにお振る舞いになられてきた秋篠宮様や、その次の代の天皇と定められてきた悠仁様のお立場はどうなるのでしょうか。また、上記の理解の下、皇室を尊敬してきた国民感情はどうなるのか。混乱しないでしょうか。万が一、継承順位が変更されるようなことがあれば、皇位継承を巡って国論は大きく分裂してしまうことでしょう」(国士舘大学の百地章・名誉教授=デイリー新潮05月16日より)

「皇位継承という国の在り方にかかわる制度を議論する上で、“愛子さまは素晴らしいから天皇になるべき”という属人的な話にすり替わってしまっているのは問題です。例えば、愛子さまが毀誉褒貶あるような方と結婚を希望なさるとなれば、今の天皇待望論は出ていたでしょうか。国の制度や仕組みが、個人の人気に左右されて“この人だったらOK,あの人だったらNG”となってしまったら、法治国家としては成り立ちません」(鈴木洋仁神戸学院大学准教授)

「愛子天皇を待望する人がいても構いませんが、制度を理解せず間違った解釈を前提に主張している人が多いように見受けられます。20年も前から国会で議論が始まり、特例法や有識者会議が設けられてきた経緯を踏まえれば、次の天皇は愛子さまという議論は国会では成り立ちません」(八幡和郎国士舘大学客員教授)

 学校でうんぬんするのはいけないだろうが、これが東大や京大、早稲田や慶応の教授に聞けば、違った意見が出たのではないか。

 秋篠宮悠仁さんを蔑ろにしているのではない。彼はまだ10代。彼一人に重責を負わせるのではなく、愛子さんという幼い頃より天皇から帝王学を学んだ人を天皇にして、悠仁さんへつないだらいいのではないかという話だ。

 それに、決して、アイドル推しのような軽薄なものではなく、愛子天皇待望論は、地に足の着いたものである。

 今のまま悠仁さん一人に天皇になる重圧を押し付けていると、万が一「私は天皇にならない」といい出した時、どうするのか?

 結婚して男の子が生まれなかったときどうするのか?

 天皇存続を考えるのなら、今のうちに、何重にもセイフティネットを作っておく必要がある。

 その一つの有力な選択肢として、愛子天皇があるのではないか。それを話し合う前から、女性天皇はダメと決めつけるほうが、よほど時代錯誤ではないのか。

 愛子天皇待望は日本国民の総意に近いのだ。それなのに可能性さえも話し合わないというのでは、この国の民をバカにしているとしか思えない。このままでは天皇制存続さえ危うくなる。
(文中一部敬称略)
文=元木昌彦

元木昌彦

編集者。「週刊現代」「FRIDAY」の編集長を歴任した"伝説の編集者"。

元木昌彦
最終更新:2026/05/19 11:00