「木原事件」重要参考人が初告白、高市首相と靖国、熊本地震――元木昌彦が読む週刊誌
私が会社に入ったのは1970年。その頃、一番人気のある企業はIBMだった。
noteの「昭和の『就職人気企業ランキング』変遷史」によると、安定成長期(1970年代)は「総合商社」の黄金期だったようだ。
人気企業の顔ぶれは、文系が三菱商事、三井物産、丸紅(文系は商社が上位を独占的に占める状況)。理系は日立製作所、東京芝浦電気、日本電気(NEC)。
バブル経済期(1980年代〜昭和の終わり)は「超売り手市場」で、円高不況を乗り越えた日本は、地価と株価が異常高騰する「バブル経済」へと突入する。昭和が終わる1980年代後半、学生の人気は「実体のあるモノ(製造業)」から「マネー(金融・サービス)」へと急激にシフトしたという。
人気企業の顔ぶれは文系が東京海上火災保険、日本生命、第一勧業銀行、野村證券、全日本空輸(ANA)、JR各社(1987年民営化後)。理系は日本電気(NEC)、富士通、NTT(1985年民営化後)、ソニーだった。
しかし、いまどきの東大生を始め早稲田や慶應の学生がこぞって目指すといわれているのはコンサル業界だという。
「ベイカレント」という企業をご存じだろうか? 早稲田と慶應という私学の両雄の就職先“トップ”に輝く企業だそうだ。一体、どのような会社なのだろう。
ここ数年、人気を誇るコンサル企業だが、とりわけ目を惹くのが「アクセンチュア」「デロイト トーマツ」といった名だたる企業と肩を並べる「ベイカレント」だという。
新潮によれば、早稲田では「ベイカレント・コンサルティング」と合わせて2024年度に108人、25年に139人。慶應では23年度「ベイカレント・コンサルティング」が124人と、いずれもその年の“就職先1位”となっているそうである。
元日経新聞記者で、ニュースサイト「MyNewsJapan」編集長の渡邉正裕が、この会社をこう解説する。
「ベイカレントの前身は、1998年に神奈川県藤沢市で設立された〈有限会社ピーシーワークス〉です。当初はIT技術者を派遣する会社でした」
創業者は江口新。
「2006年に〈ベイカレント・コンサルティング〉に商号を変更しました。徐々に事業を拡大しコンサル業界で頭角を現していくのと時を同じくして、本社は都内の新宿、それから虎ノ門ヒルズへと移り、24年からは麻布台ヒルズにあります。26年入社の新卒は800人と、大変な人数を採用し、規模を拡大し続けています」(同)
ヒルズ渡り鳥か。
現在は持株会社「ベイカレント」の傘下に「ベイカレント・コンサルティング」「ベイカレント・テクノロジー」を抱える。今年2月期の売上は約1483億円で、利益率は国内ファームでトップに君臨しているという。
平均年齢は31歳。社員数は連結でおよそ7000人超という同社の好調ぶりは、次のエピソードから十分すぎるほど伝わってくる。
「虎ノ門ヒルズに本社があった頃は、そこのホールを借りて忘年会をやっていました。ところが最近の忘年会の会場は東京ドーム。昨年はCUTIE STREETという、レコード大賞新人賞をとったアイドルグループがゲストで参加していました。TRFのDJ KOOは忘年会の“レギュラーメンバー”だとか。家族の参加もオーケーで、1万人ほどがドームに集まりました」(ベイカレ関係者)
コンサル全盛時代とはいえ、ベイカレはどのようにして今日の地位を築いたのだろう?
「はっきりとベイカレントの勢いを感じ始めたのは5、6年前からでした。その頃、“アクセンチュアをやめてベイカレントに依頼する”というクライアントが一気に増えていたんです。理由は明快で、単純に価格差だと思います。アクセンチュアをはじめとした外資系コンサルの場合、一定の割合のロイヤルティを本社に納めなくてはなりません。この負担がバカにならず、単価の大幅な値下げが難しい。ベイカレントにはこの“上納金”がないので、他社よりも安く報酬を提示できるわけです」(さる大手コンサル社員)
なるほどわかりやすい。
他社の負担となっている上納金の不在は、別の恩恵ももたらしているという。
「ベイカレの初任給は600万円で、これは他のコンサル企業と比べても遜色ない。さらに、他社から中途で採用される場合には、100万円ほど高くなる感覚です。社員にここまで還元できるのも、他社のように本国の本社に納める上納金がないというのが大きな理由でしょう」(先の関係者)
初任給が600万円か? 私の頃は年収40万円そこそこだったなぁ。
ベイカレについて語る際、誰もがある特徴を強調するそうだ。それが営業力の強さだという。
「ベイカレントは“営業専門部隊”を擁していることで知られています。一般的に、コンサルティング会社では“アベイラブル”と呼ばれる手持ち無沙汰な人材が出てしまうものですが、ベイカレントは営業力のおかげで、次から次へと仕事をとってくる。アベイラブルが生まれる隙がないのです」(先の渡邉)
新潮によれば、早慶であればかなりの確率で入社できるというが、その多くがベイカレに入社するというわけではないそうだ。
だが、この会社の将来性はまだまだあると、『コンサルティングファームに入社したいと思ったら読む本』の著者の久留須親はいっている。
仕事は多少苦しくても、給料もいいし、将来、もっといいコンサルタント会社に就職できるかもしれない。
野心のある奴は行くべきだと思うが、10年、20年先にコンサルが学生の希望企業の上位にあるかは、わからない。
次は新潮の高市早苗が新進党にいたイケイケ時代を活写した特集から。
新進党などといっても、知っている人はほとんどいないだろう。
新進党は、1994年(平成6年)12月に結成され、1997年(平成9年)12月に解党した政党。1993年、38年間続いた自民党一党支配(55年体制)が崩壊し、細川護熙内閣による非自民連立政権が誕生したが、実態は小沢一郎のワンマン政党。
高市は無所属で初当選し、新進党結成に参加している。
高市はその当時から、「今の憲法はアメリカがつくったもの」「私自身は(戦争の)当事者とは言えない世代だから、反省なんかしていない」といいたい放題。彼女の原点である。
船田元・元経済企画庁長官は、高市が新進党時代、ピンクの口紅、化粧の派手さが苦手だったと話している。
あるベテラン議員に取り入って、デパートで買った高級バッグの請求書を回していたとも話す。
1996年3月に起きた住専国会を巡るピケ(妨害戦術)の際、高市はその先頭で、ヒールを履いた足をミニスカートから投げ出して、赤じゅうたんに座り込んだそうだ。
それもこれも、男の有力議員に自分を売り込みたいからのアピールだったのだろう。
その性根は、今も変わっていないと思う。
ところで7月28日の午後4時27分に発生した熊本地震は、マグニチュード7.1、最大震度7を記録した。
地震は対岸の火事ではない。首都直下型地震や南海トラフ地震が起きるといわれてから久しい。
地震大国ニッポンは、いつどこで起きても不思議はない。
当時、熊本にもインバウンドは多くいたのではないか。しかし、そうした人たちの声は、聞くことがない。
この国は大地震立国だと、世界に知られるのを国が恐れているからではないのか。
私は、この連休で海外に出る日本人が多いことは理解できるが、多くのインバウンドがこの国に来るのが、よくわからない。
首都圏でもし、大地震が起きたら? インバウンドも巻き込んだ未曽有の大災害になるのは間違いない。
しかし、この国は、地震が起きた時の飲料や食糧確保などは何度も繰り返すが、首都圏で起きた時の帰宅路の整備や首都高速道路の全面改修、火災で消防車や救急車が通れない道の拡張工事など、まだまだ不十分なところが多くある。
歴代首相たちも、住民がパニックを起こすことを危惧してか、具体的な大地震の際の被害を過少にしか発表していないのではないかと、私は疑っている。
いつか必ず来る、自分が住んでいるところの大地震。
今回の熊本大地震でも、イオンモール熊本の大爆発。日本製紙八代工場でも設備が崩落し、多くの大切な命が奪われてしまった。
当時、イオンモールには3000人がいたという。地震発生後、イオンモールにいた従業員らの素早い誘導で、ほとんどの人が屋外に避難した。
だが、テナント店舗「ハビタ」で働いていた大竹玖瑠美さん(22)は、会社から「売上金を金庫に入れてくれ」といわれ、館内に戻ったところ、地震によるLPガスの配管損傷と漏れが引き金となった可能性が高い大爆発で命を失ってしまった。
文春による取材で、イオンモールの設備や警備を下請けする企業に、不当ともいえるダンピングが行われていたことが明らかになり、イオン側の責任も問われている。
災害関連死も含めて8月1日時点で死者は36人。
酷暑の夏が生き残った被災者を襲う。いつもいうことだが、国はもっと迅速に支援活動をさせなければ、救える命が失われていく。
高市首相よ、口先だけでなく、やって見せろ!
さて、その高市が「イクイク」といっていた靖国神社参拝を8月15日に、口だけではなく本当に実行するのか。それとも「玉串料の奉納」でお茶を濁し、保守勢力をガッカリさせるのか。
そもそもこのように靖国参拝が注目されるようになったのは、靖国神社第6代宮司だった松平永芳が、1978年(昭和53年)10月17日、秋季例大祭の前日に密かにA級戦犯を合祀したからである。
それも合祀された事実はすぐには公表されず、翌年、新聞各紙が報じたことで世間に知られることになったのである。
このことに不快感を示した昭和天皇は、
「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」
と語ったと、当時の宮内庁長官・富田朝彦が書き残した「富田メモ」を日経新聞がスクープしたのは、2006年7月20日であった。
それを巡って、「本当に昭和天皇はこのようなことをいったのか」「靖国へ参拝しなかったのは、それが理由なのか」など、様々な議論が巻き起こった。
しかし、昭和天皇をはじめ、上皇陛下も今上天皇も、一度も参拝していないことを見てみると、この言葉が真実だったと、私は考える。
読売新聞社会部に在籍していて、長官退任直後に富田をロング・インタビューした斉藤勝久が、富田という人物は信念の人だったと、新潮に寄稿している。
興味深い内容だが、詳しくは新潮を読んでいただくとして、斉藤は、富田という人物の人柄と、宮内庁が編纂した「昭和天皇実録」の第18に、「平成十八(2006)年には、富田長官のメモとされる資料について『日本経済新聞』(七月二十日付朝刊)が報道する」とわざわざ書き留めていることから、「富田メモ」の信ぴょう性は高いとしている。
高市は、これを読んで、どう考えるのか? 聞いてみたいものだ。
今週の第1位は、文春の執念ともいうべき木原誠二官房副長官(当時)の妻X子の「夫殺し疑惑」を告発し、16回にわたり連続追及をしてきた。その総決算というべきスクープである。
最後の報道からはや3年になるから、忘れている人もいるだろう。事件のあらましを紹介しておこう。
不審死した元夫とは、安田種雄(享年28)。雑誌のモデルとしても活躍していたX子と安田は、2002年5月に結婚し、2人の子宝にも恵まれた。
ところがその後、夫婦関係が悪化して、4年後の2006年春先には、X子は夫に離婚を求めるようになったが、安田は首を縦に振らなかったという。
事件が発覚したのは、2006年4月10日未明。深夜3時過ぎ、安田の父親が息子夫婦の住む一軒家を訪れたところ、2階で仰向けに倒れている息子を発見した。傍らには細長いナイフが置かれていた。
自宅の中にはX子がいたものの、「自殺の可能性が高い」とされ、捜査は一旦終結に向かったが12年後の2018年4月、事態は急展開を迎えた。
捜査資料を分析した警視庁大塚警察署の女性刑事らが、ナイフへの血の付き方などに着目。自殺にしては不自然だと指摘したのだ。
同年10月9日、捜査一課はX子の実家を家宅捜索。だが、取り調べを受けたX子は事件への関与を否認し、「わからない」「記憶にない」といった供述を繰り返した。
捜査員はX子と、彼女がクラブで働いていた時に知り合い、結婚した木原とも“面会”したものの、10月下旬になると、X子への聴取は突然幕を閉じたのだ。
文春は3年前、実際に捜査を手掛けた20人を超える捜査関係者を取材した。彼らの多くはこう無念の思いを吐露していたという。
「自民党議員の家族ということで捜査のハードルは上がり、より慎重になった」
ある捜査員は、「旦那が国会議員じゃなかったら、絶対逮捕くらいできるよな」と話し、臍を噛んだそうだ。
木原は、本妻のほかにも愛人がいて、子どもももうけていた。
木原から安田種雄の不審死を巡るX子の関与を聞かされたA子は、知人にこう明かしていた。
「家宅捜索が入ったって言っていました。全部、家と実家に」「『俺がいなくなったらすぐ連行される』って言ってました」「『離婚したら、奥さんがまた連行される可能性がある』っていう話になり」「『連行させればいいじゃん』って言ったら『子どももいるし、どうすんだ』みたいな話になって」
文春はX子の取調官を務めた警視庁捜査一課の佐藤誠元警部補の実名告白を掲載した。
同年7月13日、当時の露木康浩警察庁長官が会見で「証拠上、事件性が認められないと警視庁が明らかにしている」と発言したことに反論した。
「はっきり言うが、これは殺人事件だよ。当時から我々はホシ(犯人)を挙げるために全力で捜査に当たってきた。ところが、志半ばで中断させられたんだよ」
2018年10月の取り調べで、X子は聴取を終えると、警視庁本部庁舎からタクシーに乗って帰宅していたが、そこに木原が同乗することもあった。
捜査員がタクシーのドライブレコーダーを回収して分析すると、驚くべき発言が収められていたという。
「俺が手を回しておいたから心配すんな。刑事の話には乗るなよ」
佐藤がこう振り返る。
「『国会が始まれば捜査なんて終わる。刑事の問いかけには黙っておけ』と指示を出していたんだ」
一連の報道を受け、2023年10月、安田種雄の遺族らは被疑者不詳で殺人罪の告訴状を警視庁大塚署に提出し、1週間後に受理されたが、大塚署はわずか50日あまりで、「事件性は認められない」とする捜査結果を東京地検に送付した。
現在、事件の行方は検察の手に委ねられている。
つまり事件はまだ終わってはいないのだ。
今年の3月、安田の遺族が約1億円の損害賠償をX子に求める民事訴訟を起こし、X子側も弁護士をたてて係争中だという。
今号で文春は、事件当時X子と“親密”だったYの「告白」をついにスクープしたというのだ。
Yは安田種雄の友人で、X子が夫と離婚を巡りトラブっている時、X子に寄り添い、2人で逃避行までしていた。
だが、安田に発見され、X子は家へ戻されてしまった。
そして“事件”が起こる。
Yの話によると、2006年4月9日の夜9時ごろ、X子から携帯に電話がかかり、
「種雄君を刺しちゃった」
と歯の根をガタガタと震わせていったという。
Yは、「家に行く」といって、「家にある軍手とバスタオルを黒色のリュックに詰め、紺色のセダンに乗り込みました」(Y)
血を拭くためのタオルと、指紋が付かないようにするための軍手。ずいぶん手回しがいい、と思うのは私だけだろうか。
途中、逡巡しながらも深夜12時前後にX子の家に着く。1階と2階があり、X子は1階で待っていた。
X子はYにこういったという。
「種雄君から、『これで刺せるんだったら刺してみろ』と言われてナイフを握らされたの……」
Yは、
「ふと、彼女が着る淡色の長袖ニットの左肩に着いた血痕が目に付きました。
『血が付いているから着替えたほうがいい』と伝え、一人で階段を上りました」(Y)
安田は上半身血だらけだったとYは証言しているが、それにしては血の付き方が少ないように思うのだが。
刺したのはラジコンの改造に使っていた30cmくらいのカッターナイフだった。柄に両面テープが巻き付けられていたので、彼女の指紋が付いていると思い、テープを剥がし、丸めてポケットに入れたそうだ(帰る途中で捨てた)。
1階に戻る途中で階段に血痕が見えたので、持参したバスタオルで拭き取った。
明らかな証拠隠滅、犯罪行為であるが、それほどまでにX子を守りたいという気持ちが強かったのであろう。
YはX子に、「朝起きたら死んでいたという筋書きで救急車を呼べ」「何も知らなかったといえ」と念を押した。
その後、X子の部屋にいって「束の間、彼女と抱き合ったのです」というから2人ともいい度胸である。
何事かあったと気づいた安田の父親が上がってきて息子の死体を発見。うろたえて警察に通報している途中で、Yは家を抜け出し、車で自宅に戻った。
これが当夜のYの証言のあらましである。
“共犯”といってもいいほどの協力ぶりである。
その後、“事件”から17日後に、Yは覚醒剤取締法違反で逮捕される。
X子は何度も面会に来てくれたという。手紙も多くよこした。その間、Yは出所したらX子と結婚すると思っていたそうである。
だが、3年後に出所すると、彼女は心変わりしていた。
X子から別れを切り出され、あの事件で「俺も罪を犯した」と告げると、X子は「分かってる」といったそうだ。そのやりとりをICレコーダーに録音したというと、X子は、次々なじみの店にYを連れまわし、酒に強いはずのYはなぜか前後不覚になり、目を覚ますとラブホにいて、レコーダーはなくなっていた。
自暴自棄になったYは、また覚醒剤に手を出し逮捕された。
その間にX子はキャバレーから銀座のホステスになり、2005年の「郵政選挙」で初当選した木原議員と知り合い、深い仲になっていく。
2014年11月に木原と再婚。木原は着実に「権力者への階」を上っていった。
だが、事件から12年が経過した頃に、複数の刑事が訪ねてきた。Yへの事情聴取は30回前後に上ったという。
だが、捜査は突然、“不自然”な形で幕を閉じる。木原の権力の前に、警察がひれ伏したのではないか。
この事件が起きた2006年当時、殺人罪の公訴時効は25年だった。その後、2010年の法改正で殺人罪の公訴時効が廃止され、改正時に時効が完成していなかったこの事件にも新制度が適用されるため、現在、公訴時効はない。
また、民事で、安田の遺族側が損害賠償を求める裁判を起こしているから、こちらでも事件のことが焦点になる。
さらに、木原側の代理人は、名誉毀損で文春を提訴したといっている。
これが事実なら、裁判の過程で、木原側と文春側が「怪死事件」の真偽を争うことになる。
安田種雄が自殺したとは考えにくい。X子が夫と離婚をめぐり言い争い、何かのはずみでX子が夫を刺した可能性は十分あると思う。
だが、そこに明確な殺意があったかどうか? 事件当時、X子が捜査側に正直に話していれば、殺意の有無を含め、違った刑事責任の判断がなされた可能性もあったのではないか。
だが、Yが証拠品のナイフの柄に巻き付いていたテープを剥がし、血を拭き取るなど「証拠隠滅」を図ることをやったため、X子が「事故だった」といっても、捜査側が納得しなかっただろう。
だが、それにしても、捜査側が「事件性を認められない」と判断したのはなぜなのだろう? 少なくとも、Yについては証拠隠滅容疑を問えなかったのだろうか。
捜査が再開されたのに、突然、ストップがかかったのは、木原側の圧力か、捜査側の「権力側への配慮」だったのかは、それに続く大きな焦点である。
松本人志の「女性上納事件」のように、訴訟を起こした松本が訴訟を引っ込め、事件の真偽がうやむやにならないように、木原側は性根を据えて裁判を闘ってほしいと思う。
(文中一部敬称略)
(文=元木昌彦)
