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夏の狂乱、映画『ちいかわ』興収100億円も射程圏内…大IP時代の卓越したビジネス戦略

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『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』

 今年の夏休み映画の話題は、とにかく『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』。7月24日に公開されると20日間で観客動員数563万人、興行収入80億円を超え、本格的なお盆休みを挟んで興収100億円突破を現実視する声も上がっている。

「クソ映画量産」時代の反省と脱却

 原作は、イラストレーターのナガノ氏が2020年からXで連載している漫画『ちいかわ』。公式Xのフォロワー数は約500万人(8月5日現在、以下同)を超え、単行本は累計460万部を突破している。グッズ展開も幅広く、公式ECサイト「ちいかわマーケット」に掲載されている関連商品は1万近くにのぼり、コラボ商品は争奪戦が繰り広げられた挙句、転売騒動に発展するのもお決まりコース化。『漫画は読んだことがないけどキャラは知っている』という人も少なくないだろう。

公開初日41回!『鬼滅』並みの上映回数

 そんな『ちいかわ』初の映画化とあって、映画館側も肩をブン回した。全国370館以上で封切られ、上映回数はTOHOシネマズ池袋で公開初日に41回、TOHOシネマズ新宿で29回、新宿バルト9で21回。動員が手堅い映画『鬼滅の刃』や『名探偵コナン』並みの過密っぷりで、実際に公開3日間で動員数150万人、興行収入22億円を記録。

 とはいえ、どこまで成績を伸ばせるかは未知数だ。なぜなら、今年は例年以上に夏休み商戦が激戦区だから。

『Michael マイケル』(6月12日)や『トイ・ストーリー5』(7月3日)、『キングダム 魂の決戦』(7月17日)など、ただでさえ“年間トップ級”の作品が上映されているなか、『ちいかわ』が参戦。7月31日には『モアナと伝説の海』(実写版)と『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』、『映画クレヨンしんちゃん 奇々怪々!オラの妖怪バケ~ション』といった人気作が一斉に合流、8月7日には実写映画『ブルーロック』も公開された。

 こうなると、いくら『ちいかわ』でも後発作品にある程度の上映枠を譲らざるをえない。実際、公開2週目初日の7月31日には、TOHOシネマズ池袋で13回、TOHOシネマズ新宿で10回と、初日に比べて約3分の1までスクリーンを減らした。それにしてもなぜ、戦いが厳しいこの時期に、ここまで有力作が過集中するのか。またそうしたなかで、『ちいかわ』の強さとは何か。映画評論家・前田有一氏が、「IPビジネス」時代の業界事情を分析する。

大IPビジネス時代に、高まる「夏」の重要性

 今年の夏休み興行について、前田氏はまず一つひとつの映画の力が強いことに着目する。4番打者ばかりが並ぶ事態は、業界史をもってしても「異常なレベル」だというが、スクリーン数は限られる。当然の帰結として席の奪い合いが起きるにもかかわらず、なぜ夏休みに集中させるのか。

「元々夏は年間でも大きな市場でしたが、映画業界がIPビジネスに頼るようになってから、重要性はさらに増しています。というのも近年はアニメや漫画、ゲームなど、キャラクターIPがとにかく興収を稼ぐ。夏休みならターゲットである子どもや学生、ファミリー、推し活ファンにも時間的余裕があり、見てもらえるチャンスが増える。映画上映だけではないキャラ商戦も見込めます」(前田氏、以下同)

 そんななかで『ちいかわ』は、ここぞとばかりに大量上映に打って出た。この手法は、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』(2020)以来、東宝が知名度の高いIP作品で採用してきた戦略だと前田氏は指摘する。当時はコロナ禍という特殊な情勢ではあったものの、その上映スタイルが功を奏し、同作は歴代トップの興行成績を塗り替えた。大量上映のメリットは、複合的だ。

「まず上映回数の多さ自体が話題になり、宣伝効果を生む。SNSで注目を集めれば、見に行くかどうか決まりきっていなかった人の関心を呼び覚まします。かつ1作品を大量に回すことで、劇場側は観客の取りこぼしを減らせます。複数のスクリーンを駆使し、常にどこかで上映してくれているとなれば、お客さんは思い立ったときに見ることができる。『ちいかわ』は上映時間が99分と比較的短いので、物理的に高回転させやすいという性質もあったでしょう」

 では映画館は何を基準に、各作品のスクリーン数・上映回数を決めているのか。

「上映スタイルは映画館と配給の両方が話し合って決めます。配給側として、自社作品の上映回数は多いほうがうれしい。ただ映画館側に立つと次々に新作がやってくるので、毎週のように“椅子取りゲーム”を行わざるを得ません。映画館の最重要事項は座席数の埋まり具合で、ここを注視して回数などを判断します。そうしたなかで、最近『鬼滅』『コナン』『国宝』など、継続的に大ヒット作を送り出している東宝は(映画館に対する)発言力が強い。国内最大級のシネコンチェーン『TOHOシネマズ』をもち、『ちいかわ』も東宝配給。TOHOシネマズで大量上映している背景には、こういう事情があるのです」

入場者特典第1弾が8種類の“ガチャ”だった裏事情

 昨今映画鑑賞は、作品を見るだけの趣味に留まらず、「推しを見に(=応援しに)行く」「劇場に展示された大型広告やキャラクターのパネルを撮影しに行く」など、イベント的な楽しみ方も広がってきている。応援上映やライブビューイング、作中キャラがデザインされた座席カバーに囲まれて鑑賞できる「シートジャック企画」など施策はさまざまだが、その一つが入場者特典だ。

「昔は映画鑑賞のオマケだった入場者特典が、手を変え品を変え、映画を複数回見てもらうための定番の手法になっています。

 特典商法が広く認知されるきっかけとなった『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ』(2012)では、特典のフィルムコマがネットオークションなどで高額取引されたことも含め、大きな注目を集めました。当時、こうした特典を追いかけるのは“コアな大人のファン”が中心だったんですよね。それがコロナ禍を経て変わった。多くの人の間で、生活の範囲内でのライトでソフトな推し活が広まり、特典は、それをもらうこと自体が目的となる“お祭り”の側面も強くなってきました」

『ちいかわ』の場合、入場者特典第1弾は「チャームミニフィギュア」。全8種からランダムで1個が配られるシステムで、複数個欲しい場合は何枚もチケットを買う必要がある。さらに、同一上映回で受け取れるのは一人1個までという制限があるため、別の特典を狙うためには異なる上映回に足を運ばなくてはならない。この配布方法について、前田氏は「スタートダッシュの成功を確実にする戦略が秀逸」だと語る。

「映画館は、コンセッション(=売店)の売上が重要です。入場料のうち劇場の収益は4〜5割ほどで、残りは配給会社の取り分。一方で、売店で販売するグッズや飲食品などは利益率が高いので、チケットをたくさん売り、来てくれたお客さんにたくさんものを買ってもらいたい。100席分のチケットが売れても、劇場に来るのが1人だけでは困るんです。だから、劇場に複数回足を運んでもらうように、1上映で1個という“ガチャ”ルールはビジネスとして納得です」

 特典第2弾は「ボンボンドロップシール」だった。こちらはランダムではなく、来場者全員が同じものを必ずもらえる。トレンドを押さえたグッズで、既に映画を見た観客も特典欲しさに再び足を運びたくなるだろう。第1弾の“短期間に何度も映画館に来てもらう”という設計で勢いをつけ、第2弾は初週の話題を受けた新規とリピーター狙いだと考えれば、よく練られた工夫といえる(なお8月10日時点で、すでに配布数が終了した映画館も出てきているようだ)。

社会の不条理や残酷さが、造形推し以外の層を獲得

 ビジネスとして“勝ち”にきている映画『ちいかわ』。ベースとなるのは、現実社会とシンクロするかたちでさまざまな考察を呼ぶストーリー設計だ。

「『ちいかわ』は、労働や試験、『生』の残酷さといった大人向けの要素が多い。愛らしいキャラクターでありながら、少しニヒルで、時にシビアな世界観が、キャラクター好き以外のファンの心をつかみましたよね。圧倒的に造形のかわいらしさが受けながら、背景に大人へのメッセージを秘めているような新作は、ありそうでなかった。一見子ども向けのアニメに見えて大人が別のテーマを見出せる構成は、ディズニーやピクサー作品ではよくある手法でしたが、日本でそうした性質をもつ新しい国産IPはなかなか出てこなかった」

 見た目と内容にギャップがあることは、『ちいかわ』の漫画を知っている人には周知だったが、その他の観客が戸惑わないよう、上映前にはケアが用意された。

「公開直前に、約2分で世界観を説明する『予習ムービー』を公開しました。これは子どもや原作を知らない観客を驚かせないための施策として、非常にうまかった。SNSでは、『思っていたのと違う』とがっかりする感想が最大のタブーですが、『ちいかわ』は逆に”思っているのと違うよ、シビアだよ“という情報を提示し、話題を振りまきました」

 じわじわと、しかし着実に、SNSでも”なんかかわいいだけじゃないらしいよ“という声が広まった。さらに、映画本編にキャラクターの名前が出てこないため、何の予習がなくてもまったく問題がない(公開前日、ナガノのXでもそのことに言及された)。鑑賞へのハードルが低く、どうやらダークな物語らしいという噂がキャラにも漫画にも触れてこなかった層を刺激し、Xではむしろそういった人たちの考察合戦が活発だ。

日常生活に入り込む『ちいかわ』の世界観

 くわえて映画の外側では、本編とのリンクを匂わせるコラボ展開もそのいちいちが話題となった。映画を見る前と見た後で捉え方が変わりそうなセブン-イレブンの「赤魚の煮付」、公式が「在ったものを消しながら、いつかなくなる永遠のいのち」とダークに紹介する「単三消しゴム電池セット」などには、〈闇深い〉〈人の心がないのか〉と震える声が溢れかえる。

 日常生活に映画『ちいかわ』の世界観がしれっと混ざり込み、必ずSNSで話題となり、いつの間にか“何気なく”宣伝につながっている。前田氏は「綿密に計算されたビジネスが、今後の映画興行をどう変えるのかという意味で、業界関係者は『ちいかわ』の一連の施策に注目している」と語る。

 余談だが、夏休み商戦に“強いIP映画”がこぞって参入する理由として、映画館の位置づけが変化していることも無視できない。近年の、猛暑を超える酷暑である。

「『夏といえば屋外レジャー!』という時代はほぼ終わり。外は熱中症リスクと隣合せというときに映画館はぴったりです。特にシネコンはショッピングモールに併設されていたり、駅ビル直結型だったりと、映画の前後に食事やショッピングを楽しむことができる。人気作が集まっていれば、ひと夏に何度も映画館に足を運ぶ理由にもなるでしょうし」

 2026年の夏休み、新たに殴り込んできた『ちいかわ』が、映画界に一石を投じている。

「否定」派をねじ伏せた説得力

(取材・文=町田シブヤ)

町田シブヤ

1994年9月26日生まれ。お笑い芸人のYouTubeチャンネルを回遊するのが日課。現在部屋に本棚がないため、本に埋もれて生活している。家系ラーメンの好みは味ふつう・カタメ・アブラ多め。東京都町田市に住んでいた。

X:@machida_US

最終更新:2026/08/16 14:00