宮崎駿が描いた理想郷『となりのトトロ』 さまざまな都市伝説が生まれる理由

「子どものときにだけ あなたに訪れる 不思議な出会い」
そんな主題歌の一節を記憶している人は多いのではないでしょうか? 宮崎駿監督の劇場アニメ『となりのトトロ』(1988年)が、8月21日(金)の『金曜ロードショー』(日本テレビ系)にて放送されます。
それこそ、子ども時代から繰り返し視聴してきた人も多いはずです。子どもたちのイノセントな生の輝きと想像力の豊かさを描いた『となりのトトロ』ですが、同時に「死」の匂いを嗅ぎ取ってしまう人もいるようです。
宮崎アニメがさまざまな都市伝説を生み出してきた要因を探ってみましょう。
戦後復興期の郊外で過ごす姉妹の物語
舞台となるのは、1950年代の東京郊外にある農村です。小学生のサツキ(CV:日高のり子)とまだ幼いメイ(CV:坂本千夏)の姉妹は、大学で考古学の研究をしている父(CV:糸井重里)に連れられて、古い一軒家に引っ越してきます。近所の子どもからは「おばけ屋敷」と呼ばれている、いわくありげな物件です。
母(CV:島本須美)はずっと入院生活を送っているため、サツキは家事をこなし、メイの世話もしています。今でいうヤングケアラーです。
母のいない寂しさを我慢しているサツキとメイでしたが、メイが近くの雑木林に迷い込んだことがきっかけで、「トトロ」という不思議な生き物に遭遇します。雨の日にトトロからもらった木の実を、庭に植えるサツキとメイでした。なかなか木の実は芽を出しませんでしたが、満月の夜にトトロたちが庭で踊っているのをサツキたちは見つけ、踊りの輪に加わります。
夢だけど、夢じゃない。トトロたちと過ごすファンタスティックな一夜となります。
同年生まれのサツキと節子
おそらく、トトロはかつて日本中の村々にあった鎮守の杜の神さまでしょう。そんな日本に昔から伝わる伝承と、姉妹の想像力、北欧の森の妖精「トロール」のイメージが結びつき、トトロという魅力的なクリーチャーが生まれています。
ストーリーとキャラクター設定は、宮崎駿監督と高畑勲監督の共作『パンダコパンダ』(1972年)によく似ていますが、「スタジオジブリ」という理想の製作環境を手に入れた宮崎監督のアニメーターとしての円熟味が満喫できる作品となっています。
多くの人に愛され続ける『トトロ』ですが、その一方では「サツキとメイは死んでいる」など、いろんな都市伝説も生まれています。サツキとメイの生命力がまぶしいほど、作品に濃い影も生じているようです。
その要因のひとつとして、劇場公開時は高畑監督の戦争アニメ『火垂るの墓』(1988年)との二本立てだったこともあるでしょう。太平洋戦争末期から終戦までを描いた『火垂るの墓』のヒロイン・節子は栄養失調でわずか4歳で亡くなっています。
その後、敗戦から復興を遂げた日本社会を描いたのが『となりのトトロ』です。サツキは節子と同年生まれという設定です。家族に恵まれ、戦争を生き延びたサツキ。飢えに苦しみながら、息を引き取った節子。生と死の明暗が、『となりのトトロ』と『火垂るの墓』でははっきりとしています。
生の先にあるのは死
同じ年に生まれたのは、節子とサツキだけではありません。実は宮崎駿監督も同じ昭和16年(1941年)生まれです。少女に置き換えられていますが、『となりのトトロ』は宮崎監督の少年時代の物語でもあるのです。
宮崎駿ファンならご存じでしょうが、宮崎監督のお母さんは結核を患い、病床で過ごす時期が長かったそうです。少年期の宮崎監督はお母さんに甘えたいのを我慢して、家事や弟たちの世話に努めていたことが知られています。
最愛の母親を失ってしまうかもしれないというサツキとメイが感じている恐怖は、宮崎監督がリアルに感じていたものでもあったわけです。当時の結核は、死に至る病として恐れられていました。
物語の後半には池の中に児童用のサンダルが浮かぶなど、死を連想させるカットが盛り込まれていることもあり、『となりのトトロ』から死の影を感じた人がいるのは不思議ではありません。生と隣り合わせにあるのが、死であることは確かです。
「滅亡する文明」を描き続ける宮崎駿
さらに言うと、宮崎監督は「滅亡する文明」を描き続けているアニメーション作家でもあるのです。初監督作となったNHKアニメ『未来少年コナン』は高度にハイテク化した文明が崩壊した後の世界で、サバイバルする少年少女の物語でした。
劇場監督デビュー作となった『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)は、滅亡した古代ローマ文明の遺産が重要なモチーフとなっていました。先週紹介した『風の谷のナウシカ』(1984年)や『天空の城ラピュタ』(1986年)は説明するまでもないでしょう。
そう考えると、まぶしい生の輝きを描いた『となりのトトロ』も、滅びゆく文明の物語として捉えることも可能です。大日本帝国という軍事国家が滅亡した後の、平和な社会が築かれつつある過程で生まれたユートピア世界が描かれていると言ってもいいでしょう。
また、シビアな視点から見れば、自然と人間社会が適度に融合していた「里山文化」を描いた『となりのトトロ』ですが、この共生文化はやがて高度経済成長によって土地開発が進み、急速に消滅していくことになるのです。
宮崎アニメには「滅びの美学」が一貫して描かれており、多くの人は無意識レベルで魅了されているように感じます。
やがて訪れる宮崎ワールドの終焉
宮崎アニメの中でも、ひときわ『となりのトトロ』が輝きを放っているのは、その日その日を全力で生きている少女たちの視点で描かれているからでしょう。彼女たちはこのユートピア的世界がもうすぐ消えることも、トトロやネコバスに会えなくなることにもまだ気づいていません。
少女たちの空想の世界と現実世界がリンクした、一瞬の夏を描いているからこそ『となりのトトロ』はまぶしく輝いているのではないでしょうか。
そんな宮崎ワールドの後継者として、『サマーウォーズ』(2009年)の細田守監督、『借りぐらしのアリエッティ』(2010年)の米林宏昌監督、『この世界の片隅に』(2016年)の片渕須直監督、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021年)の庵野秀明監督らがいます。
海外にも宮崎駿監督のフォロワーは大勢います。もっとも有名なのは、メキシコ出身のギレルモ・デルトロ監督でしょう。若手時代の宮崎監督が参加していた東映アニメ『長靴をはいた猫』(1969年)が大好きだそうです。
デルトロ監督の代表作『パンズ・ラビリンス』(2006年)は、『となりのトトロ』と『火垂るの墓』を足して割ったような戦時下の実写ファンタジーとなっています。
宮崎駿の時代が終わっても、その遺伝子は世界中で育っているようです。
「夢だけど、夢じゃない」
サツキとメイのそんな声が聞こえてくるような気がします。
(文=映画ゾンビ・バブ/映画ウォッチャー)
