天皇陛下と高市首相「緊迫の内奏」、ICC赤根智子所長への制裁、大谷翔平“二刀流”の行方

<今週の注目記事>
1「天皇と高市首相の『緊迫会談』」(「週刊文春」9月3日号)
2「高市政権が見捨てても赤根智子ICC所長は屈しない」(「週刊文春」9月3日号)
3「MEGUMIの『逆境上等』人生」(「週刊新潮」9月3日号)
4「竹中工務店 万博で工事費水増し『1700万円接待リスト』」(「週刊文春」9月3日号)
5「福岡県議会のドン・藏内勇夫『黒い履歴書』」(「週刊文春」9月3日号)
6「りくりゅう電撃婚約の全内幕」(「週刊文春」9月3日号)
7「続報スクープ サナエトークン騒動発端は総理の夫」(「週刊現代」9月14日号)
8「『懲役7年求刑』の1週間後に山形で開いていた『大宴会』写真」(「FRIDAY」9月11・18日号)
9「大谷翔平が『二刀流をやめる』決断の時」(「週刊ポスト」9月11日号)
10「大手求人サイトが特殊詐欺の『入り口』だった60代男性の悲哀」(「週刊新潮」9月3日号)
11「息苦しい『コンプラ過剰社会』の生き方」(「週刊新潮」9月3日号)
12「岸惠子(享年93)が愛した『5人の男』」(「週刊文春」9月3日号)「生を謳歌した岸惠子は『老い』をどう受け止めたか」(「週刊新潮」9月3日号)
女優でエッセイスト、小説家、ドキュメンタリストの岸惠子が亡くなった。享年93。
「華やかな人生」とはこの女性のことをいうのであろう。
私は、一度だけ岸に会ったことがある。「月刊現代」の時だから、私が30代後半、岸が50代の頃だったと記憶している。
作家の渡辺淳一と対談をしてもらった。場所は銀座の料亭だった。渡辺は“座談の名手”ではない。私は編集者としてイライラしていたが、岸の美しさが、私を癒してくれた。
私が聞いたと思うが、「岸さん、今でもあなたはとても美しいが、あなたが嫉妬する人はいますか?」。すると岸は、「いますとも、私の娘です。私もあの頃は、あんなに美しかったんだと嫉妬しています」と真顔で答えてくれた。
対談が終わり、渡辺が、「岸さん、行きつけのいいバーがあるから、ちょっと付き合ってくれない?」と、しつこく岸に“せがんだ”。
当時は超売れっ子作家だった渡辺は、派手な女性関係でも有名だった。
だが、岸は毅然として、「今日は帰らせていただきます」と告げ、一人で銀座の街へ消えていった。
後ろ姿も素敵だった。
渡辺は不服そうに、こちらも銀座のネオンを求めて去っていった。
私は、NHKのラジオドラマから映画化され、岸の出世作となった『君の名は』(3部作/第一部は1953年公開)を同時代では観ていない。10代の後半、どこか場末の映画館でリバイバル上映した時に観たが、戦争を知らない子どもである私には、今一つ、当時の男女の切なさが分からなかった。
“真知子巻き”というのが大流行したらしいが、私の周りにはそんな髪をした女性はいなかった。
女優になりたての頃、撮影の合間に「サルトル」を読んでいたら、「生意気だ」といわれたそうだ。
新潮によれば、日仏合作映画『忘れえぬ慕情』(1956年)に出演した縁で、11歳年上のイヴ・シャンピ監督と恋に落ち、スターの座を捨てて渡仏した。
現地の結婚式では川端康成が仲人を務めたそうだ。
だが、シャンピの不貞がわかり別居し、その後離婚。別居を始めた1975年5月1日を「私の独立記念日」と呼んでいたという。
その後は、とりつかれたようにやりたいことや自分を突き動かすことに猛進していった。
岸が企画・構成に深く関わったノンフィクション特番『ネイチャリングスペシャル ナイル670キロ、最初の一滴を求めて』(1984年/テレ朝系)では、アフリカのウガンダのサファリパークで、25メートルほど離れた林からライオンが顔をのぞかせたが、岸は車を降りて、ライオンと見つめ合ったという。
死の恐怖よりも、ジャーナリストとしての好奇心が勝っていたようだ。
しかし、岸も老いからは逃れられない。岸は老いについてこんなことをいっていたという。
「人生の夕暮れ時にパッと虹が立つような輝き、夕映えがあってもいい。夕映えの中で生きている、若くはない男も女も幸せであっていい。そんなことを私は夢見ているし、夢見ていれば、現れるんです。私には現れました」
彼女は多くのエッセイやドキュメンタリー、小説を残した。中でも、81歳で上梓した自伝的小説『わりなき恋』(幻冬舎)は、老いた男女の赤裸々な愛を描き、ベストセラーになった。
文春は、岸が深く関わった男が5人いると書いている。
《最初に報じられたロマンスは、昭和の名優・鶴田浩二。当時、鶴田には岸とは別の婚約者がおり、二人の愛の結末は鶴田の自殺未遂騒動にまで発展した。
鶴田のことを幼少の頃から「鶴田さん」と呼ぶ、三女の女優兼歌手・鶴田さやか(65)が回想する。
「鶴田さんと岸さんの関係は、魂レベルでの繋がりだったはず。行くも地獄、行かぬも地獄……。役者という仕事と、成り行きと、時代とが重なって起きた関係だったのかな」》
1963年にはシャンピとの間に1人娘を出産。パリと日本を行き来する生活を送る中で出会ったのが、当時「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」の代表を務めていた作家の小田実だったという。
小田と旧知の仲だったコラムニストの水口義朗(91)がこう打ち明けている。
「彼女が小田と出会ったのは七一年。彼の小説に感動した岸さんが、わざわざパリからやって来たんです」
2人の関係はいつしか深まり、あるとき小田が水口にこう告白したという。
「実は、岸さんと付き合っているんだ」
水口は、
「それを聞いて僕は、宴席を設けたんです。岸さんはその場で、甘えた声で小田に『この前、夜中に一緒に食べたラーメン美味しかったわね』なんて言ってね。僕は心の中で“こんちくしょう”と嫉妬しましたよ」
ところが、2人の関係は長く続かなかったという。
「2年ほどで別れたのかな。小田は独占欲が強くて威圧的。一方、岸さんは独立心が強く、フランス仕込みの男女平等の考え方。岸さんの方が急激に冷めてしまったんでしょう」(水口)
さらに、岸はこの頃、18歳下の若手俳優とも噂になっていた。ショーケンこと萩原健一であった。2人は72年に映画『約束』で初共演し、その3年後には『雨のアムステルダム』で濃厚なラブシーンを演じている。当時を知る映画関係者がこう述懐する。
「岸さんに対して彼は“お姉さんとして慕う気持ちと、恋慕する気持ちの両方がある”と言っていた。撮影現場に着てきたゼブラ柄のワンピースがとても華やかで、“岸さんを思ってセンズリこいた”とも言っていたのを覚えています(笑)」
シャンピと離婚後、岸は執筆活動に力を入れ始め、その頃出会ったのが当時毎日新聞の記者で7歳下の鳥越俊太郎(86)だったという。
その鳥越がこう語っている。
「僕が岸さんと偶然出会ったのは82年、ドイツで開かれたシンポジウムでした。その後、彼女から手紙が来て『イランのことを教えてほしい』と。そうしたら、たまたま僕がテヘラン支局に駐在することとなり、現地で彼女を案内したんです」
2人の関係は「禁断愛」といわれたそうだが、岸にこういわれ関係は切れたそうだ。
「俊ちゃん、私の彼氏がね、あなたのことを気にしているから、もう来ないで」
そして、岸が76歳の時、ひと回り近く年下の大手メーカー元役員Aと交際関係にあり、その経験が先の小説になったようだ。
そんなAの声を聞きたいと自宅を訪ねたところ、親族がこう答えたという。
「少し前から体調を崩し、今は老人ホームにいるので取材は受けられません」
横浜にある岸の自宅玄関前にはバラの花が手向けられていたという。
お次は、職場の人間関係をギクシャクさせているコンプライアンス過剰問題。
新潮がこの問題に切り込んでいる。
あれもハラスメント、これもハラスメントと職場では大騒ぎだが、どこまでがハラスメントになるのかわからず、コンプラの専門家を招聘する企業もあるという。
だが、その女性は「ハラスメント研修会」でこんなことをいったそうだ。
「女性の部下を直視するのはセクハラになりかねないと釘を刺した上で、“どうしても見つめる場合は3秒以内にしてください”」と指導したそうだ。
さらに、喫煙所でタバコを1本吸っただけの男性社員に「たばこ吸いました? スメハラ(スメル〈臭い〉ハラスメント)になるので気をつけてください」と注意したそうだ。
あまりのことに、社員から「これでは仕事にならない」という苦情が出て、人事部長が「お手柔らかに頼むよ」というと、件の女性は、「問題を隠蔽するつもりですか」と激怒し、人事部長の発言をパワハラ認定して、顛末書を社長に出し、すべての管理職対象者の会議が開かれる事態になったというのである。
社労士の野崎大輔は、こんなケースもあるという。
「ある中小企業で、50代の男性社員が40代の女性社員に何の気もなく“子どもさんは元気ですか?”と聞いたところ、ハラスメントだとして新設されたばかりのコンプラ係に駆け込まれてしまった。女性はひたすら“個の侵害だ”と訴えたそうですが、担当者も困り果てていましたね」
昨今は、職場の女性に、“君、キレイだね”といっただけでセクハラになるというから、うっかり女性を褒めるのも難しいようだ。
こんなギスギスした職場では仕事もしづらかろう。いっそのこと、職場を半分に分けて、女性だけの部屋、男だけの部屋として、連絡はメールだけというようにしたらどうだろう。
だが、メールの文面次第では、すぐにパワハラだとか騒ぐに違いない。
ヤな世の中だな~。
これも新潮から。
いくらなんでも60代を越えれば、「特殊詐欺」に巻き込まれることはないだろうとタカをくくっていると、取り返しのつかないことになるというのだ。
新潮によれば、警視庁の「匿名・流動型犯罪グループ対策本部」が作成した極秘資料には、「60代男性・架け子」のこんな話が記されているという。
「ベトナムの生産管理の仕事に応募したところマレーシアに連れて行かれる。詐欺の仕事をするよう強要され殴られ、カンボジア(ポイペト)の拠点に閉じ込められる」
この男性は、求人サイトで、ベトナムの工場での仕事を見つけ、疑うことなく応募してしまったというのだ。
「海外での仕事だったため、パスポート番号を教えることにも抵抗を感じなかった。送られてきた航空券はマレーシア行きのものでしたが、経由するだけだろうとその便に搭乗。しかし、現地の空港で出迎えた男に暴行を加えられるなどして、やむなくカンボジア西部の町・ポイペトに連れて行かれ架け子をさせられたのです」(捜査関係者)
いい話には裏がある。だが、特殊詐欺グループは甘い声で、「こっちの水は甘いぞ」と老若男女を問わず、囁いてくるのだ。
私に、そんな話が来るわけもないが、ベトナムは私の最初の海外旅行先だった。まだ、ベトナム戦争の最中だったが、今はずいぶん変わったのだろうな。
「ベトナムに行って軽い作業をやりませんか?」といわれたら心が動くだろうか?
さて、大谷翔平が輝きを失ってきているように感じるのは、私だけではないはずだ。
打者としては、大谷としてはマアマアだが、投手としては7月頭を最後に登板はない。
今日(8月31日)も、大谷が先発するといわれていたが、ロバーツ監督が前日、「登板はない」と記者団に告げた。
右上腕二頭筋や左膝の状態がまだ万全ではないようだが、ポストシーズンまで登板はないのだろうか?
大谷も32歳。少し前までのように、ダブルヘッダーの第1試合で投げて勝利投手になり、次の試合でホームランを打つというような「超人的」な活躍を期待するほうが無理なのか?
ポストが、大谷が二刀流を捨てる日が近いと報じている。
《今季の大谷は投手として8勝をあげ、打者として30本塁打を記録している(8月24日時点、以下同)。一流と言える数字であり、6年連続で30本の大台に到達するのは日本人選手初の快挙だ。
しかし、投打で同時に活躍する場面が限定的だという現実もある。
「4~6月は投手として防御率0点台を記録していましたが、本塁打のペースは例年より落ち、5月頭には24打席ノーヒットも記録した。それが左膝の故障で登板も投球練習もなかった8月前半は本塁打を量産。月間打率も一時、3割を超えた」(スポーツ紙デスク)
そこから8月14日(現地時間、以下同)にブルペン練習を再開。18日からは標高1600mで打球がよく飛ぶロッキーズ本拠地での3連戦でブルペン入りしながら3本塁打と暴れてみせたが、その後は当たりが止まった。
「22日のパイレーツ戦前にはより負荷の高いライブBP(実戦形式の投球練習)で50日ぶりに打者を相手にしたが、その後の試合では3打数ノーヒットに終わった」(同前)》
大谷は規定投球回数への到達が難しく、サイ・ヤング賞争いでは極めて不利な状況にある。
「シーズンMVPを争うカブスの外野手のPCAことピート・クロウ=アームストロングにWAR(勝利への貢献度の指標)で大きく水をあけられるなか、大逆転するにはPCAが失速するか、大谷が投手として貢献するしかない。しかし、投手としての復帰へ歩を進めると打撃に影響するジレンマが生じている状況です」(スポーツジャーナリストの友成那智)
「いよいよ”二刀流をいつやめるか”をタブーとせずに考えなくてはならない時」とするのは、野球評論家の江本孟紀。
今の大谷について江本はこう説く。
「投手に本格復帰した今季は、開幕当初からシーズン途中で壊れるのではないかと心配でした。凄い選手だが、2回も手術をした体で投手と打者の両方をやるとなると無理が出てしまう。32歳を過ぎて本格的な二刀流で年間を通して活躍するのは不可能でしょう。本人がどこで納得するかですが、今後の選手寿命を考えてどちらかに専念したほうがいいと思います」
江本は大谷の才能を評価するからこそ、「中6日で投げる投手より、毎日出られる野手のほうが記録を残せるはず」という。
「大谷は投手としてはメジャー9年で47勝。二刀流を続けても日米通算100勝(現在89勝)を超えるあたりまででしょう。投手に専念していたら200勝はできていた。でも、ここから打者に専念すれば、まだまだ記録は残せる。ホームランは年間50本近くが狙えるし、盗塁も心配なくできる。そのほうが選手生命も長くなる。ライトなどの守備についてファンを喜ばせることもできるでしょう」
先の友成もこういう。
「大谷は7月に上腕二頭筋の違和感でピッチングをやめたが、同部位の異常はトミー・ジョン手術に発展するケースが少なくない。球団としては3回目の手術はないということで、無理はさせたくないのが本音でしょう。ドジャースも次の”5年周期”にあたる2028年まで登板機会を与えながら、徐々に打者にシフトしていく考えではないか」
私は、大谷には野球に対する「美学」があると思う。それは、二刀流ができなくなったら潔くグラウンドを去るということではないか。
あくまでも二刀流にこだわり、二刀流を極めた野球人として、ファンの心に残りたい。
想像するに、大谷翔平は、投手を諦めることに悩んでいるのではなく、いつ、グローブとバットをグラウンドに置くのかを、静かに考えているのではないかと思っている。
お次は、元『ジャングルポケット』の斉藤慎二被告(43)のお話。
斉藤被告は2024年、初対面だった共演者の女性に性的暴行を加えた罪に問われている。
8月5日の公判で検察側は懲役7年を求刑し、弁護側は無罪を主張している。11月に判決が下る予定だ。
そんな大変な時期に、ノー天気に飲んでバカ騒ぎをやっているとFRIDAYが写真とともに報じている。
《斉藤被告はこの日、昨年4月から営業を開始したバームクーヘン店の販売イベントに汗を流していた。件の焼き肉店で行われていたのは、その打ち上げのようだ。焼き肉店を後にした一行は、車で山形でも有数の繁華街へ。客単価7000円ほどの小洒落た和食店に入った。
「斉藤さんはカウンター席に座り、身振り手振りを交えながら何やら熱弁を振るっていました。それほど酔っている素振りはなかったですが、上機嫌でしたね。一緒にいた人たちは、斉藤さんの顔がプリントされたシャツを着ていました。バームクーヘン販売の関係者たちだと思います」(一行を目撃した通行人)
宴会が終わるころには、時刻は深夜0時を回っていた。斉藤被告は酒席を共にした仲間たちに別れを告げると、その中の一人と一緒に夜の街へと消えて行った。》
テレビから消え、多額の借金もあるといわれるのに、なんて暢気なんだと思ってしまうが、斉藤とすれば、すべての憂さを忘れて飲んで騒ぎたい心境なんだろう。
その気持ち、わからないでもない。
