興収120億円超え、映画『ちいかわ』 エンタメ社会学者が語る「ミリしら勢が“マス”へ押し上げた理由」

〈どんなものかと思ったら、とんでもなく深かった〉
映画『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』が、SNSと相性が良すぎるようだ。普段は語ったりしないのに、あるいはそれまで「ミリしら」(1ミリも知らない=“ほとんど、もしくは全く知らない”のネットミーム)だったのに、何か語りたくてたまらなくなる人たちがXやスレッズのタイムラインに溢れている。
罪、罰、不条理、理不尽、シビア、ダーク。業、友情。映画『ちいかわ』に衝撃を受けた人たちが発する言葉の代表例だ。
SNSで「語りたがる」大人たちが溢れている
ドストエフスキーみ、めっちゃ吉田戦車、『ほんとにあった怖い話』や『世にも奇妙な物語』(共にフジテレビ系)のテイストがする、神話的、童話的。“なんかっぽい”と、自分の記憶にある“何か”と結びつける感想がSNSで渦を巻き、評論家の宇野常寛氏は「貧困ニッポンの寓話」だと論じ、講談師の神田伯山は「八つ墓村は実写版ちいかわ」とラジオで話す。精神科医の樺沢紫苑氏はユング心理学の見地から、茂木健一郎氏は脳科学者の観点から。語るに飽き足りなくなった芸人・なだぎ武はちいかわグッズを大量に買い集め、コピーライターの大御所・糸井重里氏はちいかわの絵を練習する日々を投稿中だ。
YouTubeでは、映画紹介・考察系の配信者をはじめタレントたちも数多く乗っかり、東宝公式チャンネルではお笑いタレントの東野幸治と内海崇(ミルクボーイ)が『ちいかわ』について語り合っている。その他、医師で弁護士&公認会計士の“頭脳王”河野玄斗氏、危険地帯ジャーナリストの丸山ゴンザレス氏らさまざまなジャンルの識者が『ちいかわ』評に熱弁を振るい、再生回数を数十万、数百万と稼ぐ。彼らのなかには、それまで「ちいかわ」というキャラクターを知ってはいても、その世界観に深く触れたことはなかったという人も多い。
7月24日の公開後、公開38日間興行収入122億円を突破した本作。『名探偵コナン ハイウェイの堕天使』が同日数で興収119.5億円だったことを踏まえると、大人気シリーズ『コナン』の興収ペースを超える勢いで、その凄まじさがうかがえる。
絶好調の背景に、“ミリしら”勢の存在は無視できない。それまで「ちいかわ」についてはビジュアル程度しか知識がなく、“あの絵柄はスクリーンの大きさや尺に耐えうるのか”“何をどう物語にするのか”などと懐疑的だった人たちが確認しに行った結果、「なんか凄い」と口をあんぐり開けて帰宅し、場合によってはまんまと沼る。
そして、大人たちはこの「沼」について、なんとか言語化を試みようとする。いつになく識者が多く参戦しているのも、それだけ切り口が多く、論考の幅と奥行きがあるということであろう。
浅・深×陰・陽 「『4客層』の全てを獲った」
映画の原作は、イラストレーター・ナガノ氏の手により、2023年3月からX(当時Twitter)で不定期連載された物語だ。それを含む漫画『ちいかわ』は、ナガノ氏が2020年1月、Xに投稿した“こういう風に暮らしたい”というイラストから始まり、そのビジュアルの可愛さとは裏腹にシビアな暮らしが展開されてきた。念のためだが、主人公の名で冠にもなっている『ちいかわ』は、『なんか小さくてかわいいやつ』のことである。
『賭ケグルイ』(TBSドラマ/映画)や『あなたの番です』シリーズ(日本テレビ系ドラマ)などの脚本家・高野水登氏は、ナガノファンで漫画『ちいかわ』も第1回から愛読しているガチ勢。芸人でドラマ・映画評に定評がある大島育宙氏とのYouTubeチャンネル「無限まやかし」8月23日配信回では、映画『ちいかわ』が大ヒットしている理由として、「『4客層』の全てを獲った」ことを指摘していた。
高野氏のいう「4客層」とは、縦軸を〈浅い〉と〈深い〉、横軸を〈陰〉と〈陽〉とし、掛け算で分類するものだ。陽×浅は、そのキャラが好きで、グッズは持ち歩いても原作は読んだことがないタイプ。陽×深は原作者ファンで、物語を知ったうえでグッズも買う。陰×浅はミーハーなオタク層で、流行りを乗り換えがち。そして陰×深が「考察勢」で、描かれている物語の外にあることまで考え、想像し、楽しみたい。高野氏曰く、この層がSNSで「強い」という。
生まれながらに避けられない身分や階層、それをつなぐ友情という不確かな糸、永遠の命をめぐるエゴと現実、そうした世界でちいかわと多くのキャラクターは、長ったらしいセリフをほとんど発しない。そのオープンさゆえに、観た後は「どうすればよかったのか」「あれは何だったのか」と、尽きぬ問いが頭の中をぐるぐるする。答えはない。
「語る」に飢えていた男性客が「マス」に押し上げた
エンタメ社会学者で、「ちいかわ」についてもさまざまな分析を行ってきた中山淳雄氏は、巷の“大人がハマる”という表現には異を唱える。少なくとも映画『ちいかわ』はそもそも「大人向け」だからだ。そのうえで、「ちいかわ」の生んだユニークな現象を語る。
「100億に到達する作品には“話題が話題を呼ぶ”という現象が欠かせません。『ちいかわ』の場合、もともと遠いと思われていたミリしらの男性客が入ったことで、マスコンテンツになりましたよね。そして見た後、あれこれSNSで語りたくなる人は確かに目立つ」(中山氏、以下同)
背景にあるのは、「トレンド」をおすすめするアルゴリズムのいたずらだけではない。中山氏はそうした人たちの “体験記憶”と潜在的な“飢え”、そして自己投影を指摘する。
「1990年代から2010年代にかけて、作品的には『新世紀エヴァンゲリオン』(1995~1996)から『魔法少女まどか☆マギカ』(2011)まで、作り手のおっさんが自ら“こういう意味を持たせている”とか、“こう解釈してね”的なニュアンスを出していたものなんです。おっさんがいろいろな読ませ方をするものを作って、受け手が深く読むというキャッチボールが行われていた。社会批評家がアニメを絡めるようになるのも『エヴァ』頃からです。ファンは『エヴァ』や『まどマギ』で“作品の見方”を体験、会得した。
ところがリーマンショック(2008)の後、社会は新しさより安心に舵を切り、エンタメ系コンテンツは冷えていきました。それまでポストモダンだとか空気系だとか、アニメを語っていた批評家たちも表舞台からいなくなった。つまり、批評的に“語られる”ものがなくなった」
語るものに飢えていたところへ『ちいかわ』が登場した。
「ナガノさんについて、僕は松尾芭蕉とか、“令和の水木しげる”という言い方をしているんですけど、身近なところで生きる喜びを語る人。ナガノさんは『自分ツッコミくま』というキャラクターが間接的に相手の気持ちを代弁するように、“大喜利”型が得意なんですよね。『ちいかわ』でも、みんなが置き去りにしているものにもう1回ちゃんと目を向けなさいというメッセージがあるような気がしています。

映画では一見ささやかな物語をいくつも重ねて構築していったら、後から厳しい現実に照らし合わせた解釈や社会批評が続々と登場した。『鬼滅の刃』(劇場版『無限列車編』/2020)の吾峠呼世晴さんもそうですが、ナガノさんは自分から“解説”を提示しない。そして、おそらくそういう読まれ方を想定していないんだが、『ちいかわ』で描かれる食や労働は社会問題につなげやすいんですよね。“そう”読みたくてたまらない人たちが、自分なりの考察や批評を投稿する。ちいかわを通して、努力しても報われないとか、生の不条理さとか、日頃感じている自分の意見を忍ばせる。そこに作り手とのキャッチボールはなく、だからこそ終わりもない」
「ちいかわのせいで別れそう」が示唆したもの
8月10日、「はてな匿名ダイアリー」に【映画ちいかわとライムスター宇多丸のせいで彼女と別れそう】といった嘆きが投下され、大きな話題となった。
ラッパーで映画評論家・ライムスター宇多丸氏が述べた『ちいかわ』時評にナルホドと思った男性が交際2カ月の彼女と映画『ちいかわ』を見に行き、あれこれ感想を述べたところ、彼女から「なんで〇〇君って普通に映画を観られないの?」「うさぎが可愛いとか洞窟のところ怖かったとかそういう感想でいいんだよ。なんで深読みしたがるの?」とウンザリした反応をされたというエピソードだ。

「そのエピソード自体の真偽はさておき、したり顔で喋る男性がいることと、それをウザいと思う女性がいるということを示唆したとはいえますよね」と中山氏。
「己の批評めいたものが“押し付け”られるように感じると、ウザい、面倒くさい、と思ってしまうものです。考察と批評の違いは何かというと、今の時代の『考察』は、みんなで謎解きしようよという提言。『批評』は、もう少し教養でもって、“これは◯◯で言うところのこれである”というような意味づけをするものです。そして批評は知識のマウンティングでもあり、見せびらかしたい欲とセットですよね」
SNSで無限ループする、考察とも批評ともつかぬ“なんか”。
「2023年1月以降、多少の会費を払えば誰でも青バッジ(認証マーク)がもらえ、かつ長文投稿が可能になりました。長い文章を発表する場所が増え、しかもそれはタイムラインに乗って拡散する。場合によってはそこで議論やバトルが起こる。『ちいかわ』は、この20年間埋没していた批評の復活の可能性を含んでいて、またXやYouTubeがそうした場に便利な状態になっているのだと思います」
楽しくて、切なくて、ちょっとハードな日々の物語。奇しくも前述・はてな匿名ダイアリーへの投稿と同じ8月10日に公開された公式インタビューで、ナガノ氏は、〈この映画はどのように楽しんで欲しいでしょうか?〉という問いに
〈キャラクターたちのかわいく愉快なところを見て楽しんでもらえたらと思います。
子供が見た場合は、昔こんな映画を見たな。という感じで思い出してくれたらすごく嬉しいです。頭のどこかに記憶として残っていて、そこから何かをつくるときの土台になってくれたらさらに嬉しいです。私も昔見たアニメ映画はずっと心に残っているので。〉
と答えている。子どもにも大人にも、見た人には「こんな映画を見たな」という強烈なインパクトを残している映画『ちいかわ』。映画史に名を残すことは確実で、何かをつくる——少なくとも“何かを語る”ときの土台になっているのは間違いなさそうだ。
(取材・文=町田シブヤ)